友達に恋人ができる について

私は、友達に彼氏ができた時にはくそくらえ!!としか思えない人だ。

どんなに仲の良い二人同士が付き合ったとしたって、なんとなく自分が失恋した気持ちになったりして、その事実を知るや否や、友人の像がオブラートで包まれたように、自分の中で彼らを見つめる瞳が濁ってしまって、どこかで悲しみを帯びる。

この感覚を持っていることに気がついたのは、大学2、3年生くらいの時だったと思う。
今までも持っていた感情だったけれど、それくらいの時期にはっきりと認識した。

恋人、という存在について。
恋人 もしかしたら一番多くの時間を共に過ごして、人によっては時に身体を委ねたりして、でも誰よりも大切に思いあうことを約束した関係____
かなり契約的だと思う。私はあなたのことを一番大切に思うよ、同士の契約。
この契約によって、人間は 宇宙のように自由でそれゆえ拠り所のないように感じられるこの世界における、その拠り所のない故の心理的な孤独感を、まるでセーフティネットのように 見えないものとすることができる。
私はこの孤独感が酷く痛いものであることも知っている気がするし、
自分自身にも恋人がいて(なんやねん)、この安心感にすごく支えられた。(人間のことを無視した文章で恐ろしい!myパートナーごめん)

その契約に守られた関係は強いと思う。強いと理解させられている。
だから、その契約を結んだっていう友人を目の前にして、じゃあ私はそこには勝てないな….。となんとなく感じ取る
だから、友達に恋人ができたときに、私は一体何なんだと感じて、何となく自棄的にも、悲しい気持ちになる。

私だってみんなに愛されたいし、愛してるつもりだし、便利な楽しいだけの存在、人間にはなれないし、でも、恋人っていう関係性を盾にされたらもうそれ以上君に踏み込めないじゃないか。と思う。全てに対して。
過剰かもしれないし、イカれてるかもしれない。
でも私には私のこの感覚が全てなのだ。

私に恋人ができたとき。ちょっと浮かれて、いろんな人に言ってしまった。
ちょっと後悔している。
 もしかしたら、私が皆の永遠の曇りなき友達になっていた、その瞬間をちぎったかもしれないって思う。


私がこのように身の回りにある恋人関係にこういうふうに感じる根本的な原因を考えると
「異性愛」という交際の形の政治性について考えざるを得ない。

家を形成し、家族、子供をつくる可能性のある関係性。きっとそれが期待されているし、本人たちもそれを目的にしているかもしれない関係性。

今の社会では、異性愛の先には婚姻というかなり明確な「契約」が国によって用意されている。
それに続いて、社会のイデオロギーとしても、何となく人間は家庭を持って家族を持っていたらそれがすごく尊くて、幸せなんだという価値観がある。
(社会の枠組みは置いといて、私はその関係性を否定するつもりはないことをここに明記しておきたい。)

そして、今この社会においてほとんどの場合、その「結婚、家族、していこね!!」の価値観に全身を投じることになるのは多くが女性だと思う。(正直肌感覚だけど、でも肌感覚こそ全ての話をしているからね。続ける)
私自身の身体感覚が、この社会におけるいわゆる女性性と呼応しているからこそ、そしてまた私なりに世間を見ていてそのことをひしひしと感じる。
具体的にいうと、母は基本的には家族の世話、家事をする役割を任されることが多い。ゆえに、多くの母はおそらく、自分の友人と遊びに行くだけでも家の夕飯の心配をし、そしてそれの手配がうまくできなさそうなときには夕飯の時間に合わせて帰ってくるだろう。(ゴリゴリ主観でごめん)作り置きとかもできるけどそれも込みで、家族のことを常に考えマネジメントしテイクケアしている身体を持つ。(この説明でピンとくるひとは来たらいいけど来なかった人はごめん)家族に対して女性はそうでなければいけないのだ。そうでなければ、ネグレクトになってしまう。女性が世間において人であるためには、母性を持ち合わせなければいけない。(母性って言葉キラーい)
そういうことの積み重ねで、女性に対しては 何となく家のこと、家族のことを優先しなければいけないという遠慮のような、ものがある。

だからこそ、異性愛の関係性に対して、私の持つ女友達の多くに対しての、「恋人ができたの?!うギー嫉妬!!悔しい!!」の感情の奥深くには、この、家族に彼女が飲み込まれてしまってしまうんだろうな という漠然とした、将来を見据えた不安があるんだと思う。

私自身の中に内面化された、女性へのジェンダー規範が、このように私の友人に対して働いてしまっていることについて、とってもとっても申し訳なく思う。結局懺悔noteになったけど、書いていて謝罪が必要だなと思った。ごめんなさい。
そんなふうに思いたくないし、誰かと愛し合えることはすごく尊いことだし、素直に喜びたいと思う。だから、私がこう思ってしまうことはやめたいし、そのためには社会ももっと変わっていけばそういうふうに思わなくなると思う。私と同じように感じる人も少なくなると思う。
変われーって思っているよ。願いとして。

眠くなってきたからまとめちゃう
友達に恋人ができたとき、悔しいってなるのは結構ある感情だと思う。
それは、単純に私と仲良かった人が恋人を優先してしまうという悔しさもある。

そしてそれと同時並行(そして表裏一体)で、私は 
・異性愛における付き合う(婚姻)契約の政治性 と、
・その先ある家庭に女性は身体ごと突入する 
はどうしても考えちゃう
って話。

うーん、1年後くらいにもう一回書こうかな 
うまく文章で伝えられなかった気がする
カッコの多すぎる文章、直していきたい








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