見出し画像

批判と誹謗の違い〜anagonの日記 5/23〜

はじめに

今日はお酒とおいしいご飯をたくさんいただけて、幸せな1日でした。
一方で心がもやもやするようなニュースもあって、今日も僕は生きてるなあと思いました。


①今日あったこと

1.ギタードラムベースピアノの練習をした

今日もしっかり全楽器練習しました。
日々自分が上達しているのが、わかってくるのでとても嬉しいです。
毎日一曲あげていますが、ここに弾いてみた動画も混ぜて行きたいなあって思ってます。

2.BUMPの「ラフメイカー」歌った

今日の一曲はBUMP OF CHICKENの「ラフメイカー」を歌いました。
バンプは熱狂的なファンというわけではないのですが、高校んときのバンドメンバーの影響で、割と良く聴きます。

「ラフメイカー」を初めて聴いたときは、情景がこんなに浮かぶ曲があるのか!っていう感動と、荒々しい歌声に鳥肌が立った記憶があります。

なので、僕もこの曲の主人公の心の様子をしっかり表現すべく、いつもより声を荒げて歌わせていただきました。

ぜひ聴いてみてください。



3.おじさんとおばさんがきた

今日はおじさんとおばさんがうちに来ました。
おじさんはいつも、お酒とつまみを買ってくれて、バンドマンなので一緒に演奏したり、音楽の話をしたりしてとっても楽しいです。
おばさんはいつもおいしいご飯作ってくれたり、僕のことを褒めてくれるのでたくさん幸せをくれます。

今日はお寿司食べて、プレモル飲んで、幸せでした。


②今日思ったこと

1.批判と誹謗の違いの話

女子プロレスラーの方が亡くなったニュースがありました。
死因はわかりませんが、誹謗中傷によるストレスでの自殺という推論がされています。
公式にきちんと出ていないのに、どうして多くの人は、勝手にそれが決まったことかのように話を進めるのか、いささか疑問ではあるのですが、

とりあえず、このニュースによって、誹謗中傷をする人への批判的コメントが多くSNSに寄せられています。
ということで、僕なりの持論ですが「批判と誹謗の違い」について考えたことを書きます。

前にも「批判と否定の違い」と言うのを書きました。否定は誹謗と同じニュアンスで使ってますが、改めてもう少し整理して今日は書きます。

批判と誹謗の異なる点は、大きく以下の点で考えることができると思います。

①具体的論拠の有無
②一般性の有無
③論理性の有無
+αで、
④提案の有無
⑤言葉への配慮の有無

それぞれ具体的に説明すると、
①具体的論拠があるのが批判、ないのが誹謗です。
すなわち人の言動や発言、またはその人のパーソナリティに対して批判したいたいのであれば、その思想、その言説を裏付ける具体的な根拠が必要になります。
「あなたの発言は、このようなデータに基づいて、このような思想の面で、理解しかねる」というのであれば批判とまあ言えると思います。

例えば「女は家事だけしてればいい」という発言を誰かがしたとして、
それに対して、まずあなたが「それは違う!」って思ったとしましょう。
そこでもし「お前は馬鹿なのか?何にもわかってない!」としか言えない、自分の中の違和感しか表面できないのは、批判とは言いづらいのです。

だから、例えば「その発言に関しては、フェミニズム的視点から立つと配慮に欠けていると思います。また、性別役割分業に関してはこんなデータも出ているので、そう言った点も踏まえての発言をした方が良いのではないでしょうか」なんて言えたら、とてもいい批判なのではないかと個人的には思います。

次に②一般性があるのが批判、ないのが誹謗だと考えます。
①と似たようなものではあると思いますが、あなたの意見がきちんと何か論拠を持っていて、それがきちんと指示されている文脈がある、すなわち一般的とまで言わずとも、個人的な解釈に過ぎるものではないというのを、示さなければなりません
100パーセントの個人的解釈しか入っていないのであれば、どんなにみた感じはただしそうでも、「でもそれ、君しか言ってなくない?」ってなります。
似たような個人的解釈が束になっているのはあくまで、多数派を形成しているに過ぎないのです。
きちんと論拠を持った上で、個人的解釈ではない、これは一般でも言えることであるというのを示さなければならないと思うのです。

次に③論理性があるのが批判、ないのが誹謗だと考えます。
要は、こういう解釈をまず自分がした、それはこういう流れでそう捉えることができる、そしてそれを示すデータや意見はこれ、だから私はあなたにこう言いたい、というのが備わっているのかどうか。
「あなた嫌い!だって顔がブス!」っていう意見はどうみても論理性もクソもないので、「顔がブサイクであることの定義」「嫌悪感とブサイクであることの相関関係」「それが改善されるにはどうしたら良いのか」というところまで、しっかり述べましょうという話です。

さらにプラスアルファで、④提案が含まれるのが批判、含まれないのが誹謗と考えます。
発言言動思想に対して、一定の論拠を持った上で論理的に指摘した上で、では今後自分、または相手がどうしていけばより良くなるのかという提案を考えるべきなのです。
論文なんかを読んだらわかると思いますが、「今後こうして行きたい」という展望が必ず最後に書かれます。要はそれまでは分析、現状把握でしかなく、今後の展望を含めて批判はなされるべきなのです。

最後に⑤言葉への配慮があるのが批判、ないのが誹謗
これはまあ、プラスアルファではありますが、それなりの論拠とか論理性を持ち、一般性をもち、展望も含められている批判なら、それなりの言葉遣いになるはずなのです。
そこまで考えてやってる時点で、十分相手を慮ってるはずで、そうしたら少なくとも、敬語を使うなり、直接的な表現は避けたりするはずだと僕は信じたい
だから、もう炎上してるツイートのコメント欄なんかみてても、「あー、こういう言葉遣いするってことは、大した人格をお持ちではないのかな」と僕は思ってしまうのです。


長くなってしまいました。
まあ、誰かに対して意見をいうのであれば、それなりの説得力と、相手を慮る気持ち、覚悟を持って、するべきなのだと思います。
相手に直接述べたり、不特定多数がみるような場所では特に。




2.YouTubeの低評価ボタンの話

YouTubeに低評価ボタンってありますよね。
僕の動画も毎回出すたびに、早速低評価ボタンを押して去っていく人が一人います。昔は、15再生増えたと思ったら、15こ低評価がついてるなんてことも、半年以上続いたりしました。

もはや、先述のように全く論理性も根拠も一般性も提案もないので、僕はもうこれはただの誹謗だから気にしなくていいと今は思っているのですが、

昔はだいぶ傷つきました。歌うのをやめようかななんて考えたりもしました。

そんなYouTube低評価ボタン。果たしてなぜ奴が存在するのか。
廃止した方がいいと思う理由はたくさんあるのです。
そもそも悪質な動画などに関しては、動画再生維持率などで完璧とは言わずとも判断できるはずで、それによってオススメ動画に表示することを減らすことは可能だし、
組織的な低評価あらしを防止することもできます。
動画投稿者側の制作意欲の上昇と低評価ボタンの廃止が有意の相関が見られれば、YouTubeサイドにとっても、広告による収入の増加が見込めるはず。

じゃあ残しておくべきメリットはなんなのか。
考えたのですが、全く思いつきません。
強いていうなら、その動画がひと目で、悪質かそうでないか、見る価値があるかないかの判断をしやすいとか、低評価と高評価の比率から、動画投稿者側が次の動画の傾向を考えることができるとかそんなところ?
でも前者に関しては、まずその動画に関する評価の透明性が低く、価値判断材料としての資質に欠けるし、後者については、動画再生維持率、総再生時間、高評価数、1日あたりの視聴回数、年齢別視聴者分布とかから今後の動画の傾向なんて考えることができます

だから、個人的にはやっぱり低評価ボタンは無くなっていいと思うんですね。

もし残るのであれば、低評価ボタンを押した時に、きちんとその理由をコメントすることが求められるとか、そしてそのコメントに対してのチェックが行われた上で、さらに投稿者がそのコメントの一般公開をできるかどうかを選べるようにすべきだと思うのです。


③今日の豆知識「寿司ってなんなん?」

画像1

今日はお寿司を食べた僕なわけですが、そう言えば「寿司って、いつからあるんだろうか」っていうのをふと気になったので、今日はお寿司、特に握り寿司について調べたことを書いていきます。(それぞれ諸説ありますので、鵜呑みにはしないようにお気をつけください)

引用参考資料はこちら


Q1.寿司?鮨?鮓?どれなん?

寿司の語源は「酢を混ぜた飯(酢飯)」から来ているそうで、その「め」が抜けて、「すし」と呼ばれるようになったらしいです。
だから全部当て字らしいです。
「寿司」が一般的に使われるのは、祝いの席とかでよく食べられたりするからだそうで。

Q2.握り寿司っていつできたの?

寿司の起源みたいなものは、紀元前4世紀ごろの東南アジアの山地民族の魚の保存方法とかから来てるらしいのですが、一般的な握り寿司は「與兵衛鮨」の華屋與兵衛、または「松之鮨」の堺屋松五郎と言われていて、誕生したのは江戸時代。
江戸前寿司、江戸前握り寿司とも呼ばれています。
これがお刺身、白米、お醤油大好き江戸っ子にめちゃくちゃ流行ったらしいんですね。安い寿司を売る屋台なんかが増えてたそうです。
その後、関東大震災の発生によって、江戸前寿司の職人たちが各地に移住することで、この江戸前寿司が全国に広がっていったらしいんですね。

戦後は、1947年の飲食営業緊急措置令(当時は「外食券」がないと外食ができなかったそうで、その外食券食堂以外の飲食店は営業禁止)によって、寿司屋は営業できず。
その後、一合の米と握り寿司10個を交換する形で営業が認められたそうです。
さらに高度成長期では、衛生上の観点から屋台店がなくなくなり、今に至るそうです。(その屋台の名残が寿司屋のカウンターなんだとか)

Q3.回転寿司っていつからできたの?

日本で初めて回転寿司を導入したのは、元祖廻る元禄寿司だそうで、
最初は立ち食い寿司だったんだけど、めちゃくちゃ繁盛して、職人が腱鞘炎になっちゃって、どうしたもんかと思ったときに、ビール工場のベルトコンベアを見て回転寿司を思いついたらしいです。
1958年に、大阪で、回転寿司1号店がオープンされました。



とまあこんな感じでした。
質問は3つ程度ですが、本当に寿司に関しては、めちゃくちゃ情報量があったので、ぜひ上の参考資料も読んで寿司博士になってください。


④今日の歌詞「何様なのさ」

今日の歌詞は、誹謗中傷について高説垂れるインフルエンサーにもやもやして、「で君はどうなんだい?」って思ったのと、そう言って否定しようとする自分に対して「で自分はどうなんだい?」って思ったので、こんな曲を書きました。

心のうちに誹謗を留めておく分にはいいけど、何か行動、発言するのなら、その言葉がブーメランにならぬように覚悟を持とうかって曲です。

何者なのさ

「人の嫌がることはいけません」って
あんたいったよね?
昨日一緒に歩いてた人は誰さ 何様なのさ

「人を思いやっていきましょう」って
あんたいったよね?
なんであの子を無視したのさ 何様なのさ

手の平をくるくる返して
ひっくり返した数があなたの面の厚さよ
無自覚なのもいいとこよ

あんた何様なのさ 何様なのさ
自分がしたことを忘れてさ
あんた何様なのさ 何様なのさ
三歩歩いて忘れた鶏ね
あんた何様なのさ

「誹謗中傷やめようよ」って
私いったよね?
じゃあ昨日の発言なんなのさ 何様なのさ

「人を傷つけちゃダメ」って
私言ったよね?
じゃあなんであの子をいじめるのさ 何様なのさ

根拠、論拠、そんなもんは特にはない
私が嫌だから私は言う
配慮、考慮、そんなもんはどこにもない
あなたがされたらどう思う?

私何様なのさ 何様なのさ
自分がしたことを忘れてさ
私何様なのさ 何様なのさ
今日も偽善者ぶった悪人ね
私何様なのさ

優しい世界に生きたいね
でもそんなのまだまだ先かもね
覚悟がないものばかりだね
私何者なのさ


終わりに

なんか、世の中もっとハッピーでいきたいですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?