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『水辺のビッカと月の庭』  第2話

帰ってきたヒロム

 「ねえビッカ、起きてよ、着いたよ」
ムンカにからだを揺すられてビッカは目を覚ました。
 ムンカの声がはしゃいでいます。ビッカはおかしなもの言いが気になります。だれもどこかに向かっていたわけではありません。屋根の上でお月様をみて眠っていただけです。それなのに「着いたよ」とは、納得がいきません。ビッカは頭をゆっくり回して落ち着こうとします。ムンカはもどかしくてせき立てるように言いました。
「大変だよ。おかしいんだ」
「そうだよね」
ビッカはムンカの様子を見ながら言いました。
「見てよ」
ムンカは尾で月をさします。
「赤くなってるよ」
ビッカはムンカを見てゆっくり答えます。
「時にはそんなふうに見えることもあるよ」
「もっとよく見てよ。眠る前はどうだった? 今は欠けてるよ」
「満月がいきなり欠けるはずがない」
ビッカは言下に答えます。
「じゃ見てよ」
 見上げた空には満月はありません。もう一つ別の月があったわけではないのです。半分欠けていました。ビッカはさらにこまった表情になります。
ビッカに視線を合わせたムンカが言います。
「ね」
「そう、確かに。色も違っている」
ビッカは相槌を打って答えましたが、さらに困った様子になります。
「ビッカがお月様の変な歌を歌うからだ」
責められてビッカの目玉がぐるりと回ります。
「それだけではないよ、ビッカ」
ビッカは次々とムンカに言われて考えがまとまりません。
「足元を見てよ」
眠る前はドールハウスの屋根の上でした。それが草の上になっています。
「なるほど、よく眠れたわけだ」
悠長なことをいうビッカにムンカは呆れ顔になります。
「ヒロムはどうした? まだ眠っているの?」
かたわらに居ないのを見てビッカが尋ねます。
「やっと気がついた。ヒロムに起こされたんだ。真っ先に起きてたよ」
「今度は逆だ。ぼくらがヒロムに起こされちゃった」
ビッカは辺りを見回します。
「それでどこに着いたというの? ヒロムは何をしているの?」
「離れたよ。少し様子を見てくると言って」
ムンカは気にする様子がありません。
「止めなかったのか。こんな中をどこへ行くの」
ビッカが強い口調で言います。困ったムンカは尾を丸めて言います。
「ヒロムのようすが違ってたんだ。なんか慌てて、こうしちゃいられないって雰囲気で止められなかったよ」
ビッカの目玉が上下に揺れて困っています。
「ヒロムのことも気になるけれど、ここは喜べる場所じゃなさそうだ」
ビッカは目を凝らして辺りを見回します。赤く黒い月の光は弱く辺りの様子ははっきりとは見えません。
「芝生が広がっているようだけど、公園かな。おかしな所に来ちゃったみたいだ」
ため息をつきながらビッカは言いました。
「知らない所だよね」
「もちろん。遠くが見えないよ。どうなってるんだろう」
「夜が明けるまで待てば良いよ」
ビッカの心配をよそに気楽にムンカが言いました。
「どこまで行ったのだろう。ヒロムには見えるのかな」
「それよりビッカ、月がもっと欠けちゃったよ」
ムンカは飛び跳ねながら尾で月を指します。
「半月が三日月になってしまったよ」
「ムンカ、もう月を見るな。次は月が消えてしまうぞ」
冗談っぽくい言いました
 「ビッカ、何か聞こえてくるよ」
ムンカは全身で音を感じます。ビッカの顔色も変わってきます。体の中をよぎるのは夜に押し寄せてきた洪水の音でした。雨の音と洪水の音が天上に響いていた夜のことです。ビッカの目玉が充血し始めます。ムンカはビッカの様子を見て言いました。
「大丈夫。洪水の音じゃない。足音だよ」
音に敏感なムンカが言いました。
「どっちから」
「ビッカの後ろの方からだ」
ビッカは振り向いて目をこらして見ます。
元気な声がしじまをさいて呼びかけます。
「ビッカ、ムンカ、大丈夫だった?」
息せききってヒロムが帰ってきました。
「逆に心配されるとはね」
と言いつつもビッカはほっとします。
「どこへ行っていたの」
「僕、町に帰ってきたんだよ」
ヒロムは嬉々として言います。
ビッカとムンカは首を傾げました。
「さあ行こう。案内するよ」
そう言ってヒロムは先に立って歩きます。スタスタと薄暗闇に入って行こうとします。どこにいるのかもはっきりしないし、どこへ行くかは全くわかりません。
 ビッカははヒロムのたかぶっている様子が気にかかります。たまらず尋ねました。
「ちょっと待ってヒロム。どこへ行くの」
「ぼくが落ちたところだよ。もう一度行ってみる」
「それはどういうこと?」
ビッカが不思議そうに尋ねます。
「落ちた! それって初めて聞くよ」
ムンカはびっくりして声を上げます。
「眠っていたと言っていたよね。自分の部屋で」
「そうじゃなかったんだ」
ムンカもビッカも残念そうに言います。
「ごめん。二人には話してなかった」
「無理もないか。知らないものに誰も本当のことを初めから話さないよね」
ビッカは声の抑揚を抑えて言いました。
 帰ってきた喜びでヒロムは興奮が続いています。ヒロムは足早に歩きながら答えます。
「覚えてるのはブランコのあった庭なんだ」
「変わった場所を選んで寝たんだね」
ムンカは呆れ顔で言います。
「その庭、よほど寝心地が良かったんだね」
ビッカはとぼけたことを言います。二人とも意地悪をしたくなります。「だから落ちたんだって。眠ったわけじゃない」「落ちたって何からさ」
「さっきから言ってるよ。ブランコだよ」
「ヒロムはブランコから落ちたの。ブランコって落ちるものなの」
ムンカはヒロムを覗きこむように見ます。ヒロムは足が止まってしまいました。
「どこかの庭でブランコから落ちたってこと?」
ヒロムはうつむいてふたたび歩きはじめます。ムンカはビッカに話しかけます。
「公園じゃなくて家の庭にもブランコはあるの?」
「わからないけど、庭にあるようなものだと大きなブランコじゃないよね。ヒロムが落ちるかな」
ビッカの話を聞いてヒロムは足を止めました。
「幼児用じゃないよ。水の館の庭にあるブランコだった」
「なんだか古そうな家だね。人が住んでるの? どんなブランコ? 庭に井戸は有る?」
ムンカは次々と尋ねます。
「まさか水浸しの家じゃないよね」
つまらなさそうに言うビッカにヒロムは笑って答えます。
「月が綺麗に見える高台にあって大きな木が目印だよ。月の庭には裏山から引かれた池もあった」
「どこにあるの。この近くにある?」
ヒロムは頭を横に振ります。
「井戸はないんだね。でも月の光を浴びながらブランコに乗れるんだ」
ムンカはわくわくしながら言います。でもヒロムは落ちた事ばかりが心を占めているようでした。
「落ちるなんて考えられなかった。でも落ちてしまったんだ」
納得いかない表情で言います。
「ぼくはね、ヒロム。きみは叱られて家を飛び出したのかと思ってた」
ムンカは心配そうに言いました。
「ぼくは、捨て子かなと思ったよ」
ビッカはおどけた調子で言いました。ヒロムはぷっと吹き出します。
「捨て子にするには大きすぎるよね」
ムンカはそう言って尾を振って笑います。
「でも今は戻ってこれたと思ってる」
ヒロムは空を見上げて言います。
「目を覚ましてすぐにわかったよ。赤い満月はぼくの町の月だからね。帰ってきたんだって」
ビッカは空を見上げ首を傾げます。月はいつの間にか赤くて黒い満月に戻っていました。時が震えているのか、場所が揺らいでるのかおぼつかない町です。
「ヒロム、月の話はもういいよ。それよりこれからどうするの」
ムンカの問いかけにヒロムは少し間をおいて答えました。
「月の庭に、いや先に家に帰ったほうがいいかな」
「水の館は近くにないって言ったよね」
ビッカが思い出して確認します。
「家の人が心配しているよ、きっと」
ムンカに言われてヒロムの表情が明るくなります。
 ムンカとビッキはヒロムの後ろをついていきます。
「ビッカ、これで一つ片付いたよね」
ムンカはほっとしたようすで話しかけます。
「どういうこと?」
「ヒロムを送り返す手間が省けたよ」
「たしかに。そのとおりだよ」
ビッカは声をあげて笑いました。次にムンカを覗き込むように見ます。
「どうしたのビッカ。険しい表情して」
「ムンカ、ぼくはね、ちょっと困ってるんだよ」
「何を?」
「ヒロムを家に送り返したら次はどうする? どうやったら親水公園に帰れるんだろうか。ムンカは心配してないようだね」
ビッカはムンカのことだからあっけらかんとした答えを返してくると思っていました。ところがムンカは黙ってしまいます。前を歩くヒロムが振り返って聞きました。
「どうしたの。何か言った?」
帰ってきてから甲高いムンカの声もきこえているようです。
 ムンカは話題を変えて話をしました。
「実はね、ぼくらはヒロムをどうしようかって話してたんだ」
「どうしようかってどういうこと? もう帰ってきたよ」
「そうだよね、そうなんだ」
ムンカは答えましたが、ビッカが付け足して説明します。
「帰ってくる前のことだよ、ヒロム。初めからドールハウスで寝ていたわけではないんだ」
ヒロムはすぐには答えられないで聞いています。ビッカが続けて話します。
「きみはね、親水公園の沼に浮かんでたんだ。仰向けになってね」
「ぼくが見つけて引きあげたんだ。そしてあの家のベッドに寝かせたんだ」
ヒロムは頭を軽く横に振りながら答えます。
「ぼくが覚えてるのはブランコのあった庭なんだ、水の館の。やっと見つけて揺らそうとした」
ビッカとムンカは顔を見合わせて聞いています。
「それを揺らそうとして、座板に腰をかけて思い切り足を振り出した。でも座板が消えるようにしてぼくは落っこちた。覚えているのはそこまでなんだ」
「どうやって親水公園に着いたのだろうね。誰かが担いで来たはずはないだろうし」
ビッカが不思議そうに言います。
「じゃドールハウスに来るまでののことは何も覚えてないの?」
「ちっともわからない。目が覚めたらビッカとムンカがいた」
ヒロムはあらためてムンカにペコリと頭を下げました。沼に浮いていたなど初めて知りました。
「目が覚めたときは、どう言っていいかわからなかった」
そう言うヒロムには苦痛の表情が浮かんでいます。
「いいんだよ、もう」
ムンカはムンカらしくあっさりと言いました。
「目が覚めたら、そこが別の場所だったらだれだって混乱するさ」
「それでどうして、どうして落ちたの」
ムンカが尋ます。
「わからない」
「手が滑ったとか。足が滑ったとか」
「ブランコに嫌われたとか」
ムンカとビッカが口々に推測します。ヒロムの足取りがゆっくりになリました。大きく息をはきます。辛そうな表情で歩いてゆきます。

 その公園はうちすてられたようにひっそりしています。後ろから付いていたムンカが公園の前で足を止めました。
「どうした?」
気がついたビッカが声をかけました。
「ここはなに?」
入り口からのぞきこむようにして中を見ます。
「なんだか暗いね」
実際にはいくつかの街灯がともっています。それでもムンカは暗く感じました。ヒロムもムンカの後ろに立って公園を見ます。
「ここには月曜のブランコがあった」
「何? ヒロム、月曜のブランコって何?」
尻尾を振りながらムンカが尋ねます。
「ぼくが名付けた。毎週月曜日に乗っていたブランコのことだよ」
ムンカの尾はますます揺れます。
「もしかしたら、火曜日のブランコもあったりして」
「もちろんだよ」
「本当に? どんなブランコなの」
ムンカとヒロムで話が進みます。ムンカのブランコへの興味は増しこそすれ減ってはいません。ビッカはあきれて目玉を上下に動かしています。
「いいブランコだよ。いくら揺っても軋む音が小さいんだ」
「きしむ音ってどんな音。聞いたことがないよ」
知りたがるムンカの声は
「水の中だと聞く機会がないかもしれない。ビッカはどう? 聞いたことがある?」
ヒロムの問いかけにビッカも頭を横に振ります。
「金属と金属が当たって擦れるんだ。ギーギーと耳障りな音だよ」
ヒロムは軋む音を口真似します。ムンカもビッカも聞いていると次第に表情が歪んでいきます。
「確かに耳障りだな」
「ぼくは水の中で石が転がる音を思いだす。あれは嫌だよ」
ムンカは頭を振って思い出をふり払うように言います。
「ぼくはそんな音が聞こえたら逃げだすよ」
ヒロムは理由をビッカに尋ねます。
「無理もないよね、ビッカ」
ムンカが言うとビッカはブルッと震えて答えます。
「転がる石の音が聞こえてくるってことは上流から濁流が押し寄せてきてるってことだよ」
それはヒロムの経験したことのないできごとです。
「嫌な音って誰にでもあるんだね」
ヒロムの言葉にムンカは頷き、ビッカは思い出したように天を仰義ました。
「月曜のブランコは風のブランコだよ。揺らしていると耳元に風がおきるんだ」
ブランコの話を聞くとムンカの表情が明るくなります。
「それでそれで」
ムンカが話をねだります。
「うまく揺らすと自動車の騒音でさえささやきになるんだ」
「ヒロム、それに乗ろう、今すぐ」
ムンカは尾を振って催促します。ヒロムは申し訳なさそうな表情になリました。
「今は取りはらわれてしまったよ」
「どういうこと」
「今はこの公園に無いんだ」
ムンカは残念そうな表情を浮かべます。
「揺らしていた子が落ちて骨を折ってしまった。ぼくの見ている前で」
「どうしてそんなことになったの」
「揺らしている最中に手を離してしまったんだ」
「それって危ないの?」
乗ったことのないムンカが尋ねます。
「ぼくでもやらないよそんなこと」
ヒロムは顔に笑いを浮かべながら言います。
「ブランコのせいとはいえないけど、ヒロムは黙って見ていた? 止めなかった?」
ビッカが尋ねます。ヒロムはすぐに答えられません。ムンカは困っているヒロムの代わりに言いました。
「親じゃないのに止められないよね」
「その小さな子は、『ブランコに話しかけられて怖くなった』と言ったんだ」
「変わったブランコだね、それは」
ビッカは不思議そうに言います。
「怖がるのも無理はないよね」
「その子の聞きまちがいだと思う。でも月曜のブランコは耳元で風切る音がメロディになることはあるんだ」
「メロディが声に聞こえたのかもしれない」
「それって聞いてみたいな」
「聞かない方が良さそうだ。危ないかもしれない」
「どこにあるのかな、そのブランコ」
「もしかしたら処分されているかも」
ビッカが言うと、ムンカもヒロムも辛そうな表情になりました。

公園の整備員

ビッカとムンカは家に向かうヒロムについて行きます。
「ヒロム、あそこにも公園があるよ」
キョロキョロと周囲を見ながら歩いていたムンカが声をかけました。
「そうだよ。ぼくの町には公園がたくさんある。緑の町が自慢なんだ」
「多分ここにもヒロムのブランコが有るんだろ」
ビッカの問いかけにヒロムはうなずきます。
「それって火曜のブランコなの」
ムンカが尋ね、ヒロムは首を横に振りながら答えます。
「木曜のブランコだよ」
「ほんとにブランコが好きだね。水曜も金曜もありそうだ」
ビッカは呆れるています。
「毎日乗ってるんだね」
「そんなことないよ。週に四日だよ」
ヒロムはムンカに言い返します。ムンカは尾をパタパタとうち振るわし、ビッカは思わず吹き出してしまいました。
「それってほぼ毎日だ。なぜなんだ」
ビッカの問いかけにヒロムは何も答えられません。困惑して立ち止まってしまいます。見かねてムンカが言いました。
「ひどいよ、ビッカ、答えられないこと、答えたくないことだってあるよ」
責められて今度はビッカが返事に困ります。
「ビッカはなんで毎日親水公園を散歩するの」
またムンカに言われてビッカの目玉は上下に動いてしまいます。こちら問いかけの方が方がもっと困ってしまうのでした。
ムンカは催促のカウントダウンを始めます、たのしそうに尾っぽ振りながら。
「5、4、3、2」
「習慣です」
ビッカは精一杯おどけたふりをします。目玉を回し肩をゆすってリズムをとってムンカの口調まで真似をしました。
ヒロムが笑いだします。そしてビッカの真似をします。
「『習慣です』。これって良いね。『習慣です』」
「ヒロムが笑ったよ。よかったねビッカ」
ムンカもご機嫌です。ビッカもヒロムを困らせるつもりはありませんでした。ただ毎日毎日ブランコが中心の生活をしているヒロムが心配になったのでした。
「それでヒロム、ここにある木曜日のブランコは?」
ムンカの問いかけにまたヒロムの表情が曇ってしまいます。でもなんとか答えようと言葉を選びます。
「燃えてしまった」
「ブランコって燃えるの?」
無邪気にムンカが言います。ビッカはあきれ顔です。
「やっぱり燃えないんだ」
ばつの悪そうな表情がムンカに浮かびます。
 ビッカが先に公園に入っていきます。ムンカもあわてて入ります。
植え込みの木を見ると黒く焦げていました。ビッカの目が険しくなります。
「ブランコが自然に燃えてしまうはずがない」
ビッカはヒクヒクと鼻を動かし匂いを嗅ぎました。
「何か匂うの」
ムンカが尋ねます。
「灯油の匂いがまだ残ってる」
「灯油? 何それ」
「燃える水だよ。誰かがそれを振り撒いて公園の植木まで燃やしたんだろう
ビッカは推測を口にしました。聞いているヒロムはうなだれたままでしたが、どこか上の空で辛そうです。
「燃やすなんて酷いことする奴がいるよね。乱暴で怖くなるよ」
ムンカはあきれて腹をたてています。ヒロムは左右の手を絞るように握りしめています。ビッカはその様子を見て話しかけました。
「なにかだいじなことでも思いだした?」
ヒロムはその質問にも答えず険しい表情で立ったままです。ビッカはそれ以上尋ねませんでした。
ムンカは目を凝らして植え込みを見ています。
「今一瞬、炎が公園を覆ったよ」
「ムンカ、気のせいだ。きっと燃やされたと聞いてイメージが頭に浮かんだんだ」
ビッカはそう決めつけます。ムンカは「そうかな」とつぶやきました。
「放火の犯人はわかっているの。捕まった?」
ムンカはヒロムに尋ねます。
「公園を燃やすなんて。この街で何が起きているんだ、ヒロム」
ビッカも尋ねます。ヒロムは何も答えられずだまって公園の外に出ました。ビッカとムンカはお互いを見合わせてヒロムの後を追いかけます。
ヒロムはとぼとぼと歩き、小石を思いっきり蹴りとばします。小石は暗闇に吸い込まれるように転がっていきました。暗闇の向こうで何かに当たって派手な音がしました。
ビッカとムンカはそろって歩きながら話を続けています。
「犯人はブランコを嫌ってる者だ」
「ブランコに乗せたくない人たちがいるんだよ、きっと」
ムンカの言葉を聞いてヒロムはハッとした様子です。そんなふうには考えてもみなかったのでしょう。意外そうな表情を浮かべます。
「だとするときっと、そいつがやったに違いない」
そう言いながらビッカも小石を蹴りとばします。
足早に進むヒロムにムンカは後をついていきながら尋ねました。
「何か心当たりでもあるの?」
ヒロムがムンカとビッカに答えます。
「早く家に帰るんだ」
ヒロムの足取りはさらに早くなります。
「待って」ムンカが叫びました。
「どうした」
「何か近づいてくるよ。音がしている」
ビッカもヒロムも気がつきました。
舗装の路面を何かが転がっているような音です。
「蹴とばした石ころが帰ってきた」
「冗談じゃないよ、ビッカ」
ビッカの足元にはけとばしたはずの石ころが戻ってきています。それを見たムンカは震えながら言いました。
「大丈夫だよ、ムンカ。心配いらない」
ヒロムはおびえるムンカに声をかけました。前に出て歩みを止めません。
「ここはヒロムの町だもんな」
ビッカもムンカを安心させようとします。
前方からの音はどんどん大きくなってきます。初めにムンカの足が止まりました。嫌な音には敏感です。次にビッカの足が動かなくなります。最後にヒロムも足を止めました。今度は前方から聞こえていた音がぴたりと止まりました。
 それは街灯の光の届くか届かないかの暗い辺りに姿を現しました。青いつなぎの作業着らしい影が目に映ります。
 「戻ってきたんだね」
「影がしゃべったよ!」
驚いたムンカが甲高い声で叫びました。
「じゃ影でないんだよ」
ビッカは前を見据えて抑えた声で言います。
「ヒロム、あれは何?」
「知り合いなのか」
警戒感がムンカとビッカの中で大きくなります。ヒロムはかぶりを振ります。
「でも何度か話しかけられたことがある」
答えるヒロムの声も緊張しています。
青い作業着の人物は少しずつ近づいてきます。
「なんか得体がしれないよね」
ムンカは様子を伺いながら言いました。
「ぼくは影の男って呼んでいる」
「影男? 何それ」
薄く青い色の作業着だけれどフードが付いる。顔はその陰に隠れてはっきり見えません。
「彼は整備員らしいよ」
「整備員?」
「らしいって?」
「そう。自分で言っていた」
「何の整備員だい」
「公園の遊具だよ。ブランコに乗っていると、いつの間にか来てるよ」
「ちょっと不気味だな」
ビッカが目玉を上にあげながら言いました。
 「やあヒロムくん、久しぶりだね。もう遅いね。帰るところかな?」
名前まで知っていて親しそうに話しかけてきます。
ヒロムは身を固くしている様子が見てとれます。
「最近見かけなかったね。ブランコを揺らさなくても大丈夫だったかい?」
表情も険しくなっているヒロムは何も答えたくなさそうでした。フードの縁が青く光ます。
「お、今夜は連れも一緒だね」
整備員はわざとらしく大きな声で言ったようでした。何度か話しかけられたことがあるだけの関係にしては整備員の態度は馴れ馴れしく思われます。ずっと様子を見ていたビッカとムンカは警戒しはじます。ビッカはヒロムの後ろに、ムンカはビッカの後ろにまわります。
その様子を見て整備員は声をあげて笑いました。梢を揺らして吹きぬけるように荒々しい声です。
ヒロムはビッカたちに後ろに下がってというふうに右手で合図します。ビッカとムンカはいつでも逃げられるようにと離れます。
「ビッカ、ビッカ」
ムンカか細い声で話しかけます。
「ヒロムの名前を呼んだよね。どんな関係だろう」
「顔見知りらしいけれど、さあどうだろう」
「いやな笑い声だよ、ビッカ。そう思わない?」
「そうだな。どこかで似たようなのを聞いたような気がする」
ムンカは警戒のうめき声をもらします。
「嫌だよ、洪水の音だなんていうのは」
「それは考えすぎだよ」
ビッカはかぶるを振って答えました。
 「何か用なの?」
ヒロムは整備員に向かって言いましたがすぐにしまったという表情を浮かべました。用があることをわかっていると伝えているようなものです。
「大した用じゃないよ。出迎えだよ」
言いながら整備員は右手をワイパーのように二度三度と振ります。そのたびにツナギの青い袖が揺れます。ヒロムは眉をしかめて答えます。
「ここは公園じゃないよ。それにブランコにも乗ってない」
ヒロムはそっけなく答えましたが警戒してる様子が伝わってきます。それでも整備員はかまわず声をかけてきます。
「それであの件は考えてくれたかい」
整備員のフードが青く光っています。ヒロムは頭を横にふります。
 「ビッカ、あの件ってなんだろうね」
知りたがるムンカがつぶやきます。
「さあね。ここでぼくらにできることはないよ」
「フードの整備員の顔見えている?」
ムンカの問いかけにビッカはかぶりをふりながら答えます。
「それが、はっきりとは見えない」
「ビッカの大きな目でもだめか」
ヒロムは整備員の話に気が乗らないようです。
「おだてたって無駄だよ」
ヒロムは素っ気なく答えます。
「それよりカエデ公園のブランコはどうしたの」
ヒロムは整備員に問い詰めるように言います。
「あれかい。あそこのブランコは取り払ったよ」
表情のくもった様子から、ヒロムの気に入っていたブランコのようです。
「まともに揺れなかったからね。横にブレて揺れるんだ。それに軋みも激しくて危ないブランコだよ」
影男は整備員らしいことを言って答えます。
「そんなことない。間違いだ。あのブランコはほんの少しコツがいるだけだ」
ヒロムはきっぱりと言いました。
ところが影男は上体をゆすって笑います。
「むりむりコツが必要な、そんな器用な揺らしかたをする子はいない」
「月曜のブランコは、あれはどうして。だれが乗っても素直に揺れた」
「いや違うね。揺らしている子供に話しかける。怖がらせた。危ないブランコだ」
ヒロムは次第にむきになります。
「木曜のブランコはどうなの。揺れがぎこちなかったけどあれで十分だった。小さい子だって怖がらない」
「それだって安全だとは言えない。腰掛ける板が腐りかけていた」
「でもそんなブランコばかりじゃない。風が音楽のように聞こえるブランコだってあったんだ」️
「お気に入りのブランコだね。残念だ。老朽化ってのは避けられないよ」
 整備員は何を言っても取りあいません。ただ左右の手を交互にワイパーのように振って答えるだけです。ヒロムは険しい表情で影男をじっと見ています。
 ムンカは尾でパシッとビッカをたたいて合図を送ります。
「ビッカ、気が付いた?」
問いかけにビッカは軽くうなずきます。
「ヒロムの気に入っているブランコばかりのようだよね、無くなっているのは」
「まるで取り上げられているみたいだよ」
 ビッカは目玉を上下に揺らしながら言います。
 フードの下にある整備員の顔の表情はちっとも見えない。
「ぼくは仕事をしているだけだよ。雨風にさらされるし、寒さ暑さにも痛めつけられる。遊具は傷みやすいからね」
整備員は抑揚のない声で答えるばかりです。話は平行線です。ヒロムは話題をかえました。
「ぼくが乗っているときはいつも姿を現すよね」
「いや必ずでもないよね」
整備員の影男はとぼけた答えで返します。ヒロムはさらに言います。
「見えてないと思ってるね。ぼくは眼も勘もいいんだ」
青いつなぎの作業着がブルルッと揺れる。
「公園の茂みから見ていたことが何度かあったよ。青いつなぎが目に入った。知ってるんだ」
「ブランコを揺らせると、その音は風に運ばれるんだ。それが耳に届くとついふらっと公園に足が向かう。ただそれだけだよ」
「ずいぶん耳が良いんだね」
ヒロムは嫌味を言います。
「でもどうしてボクが乗っているのがわかるの?」
「ブランコの揺れる音は、人によって異なっている。ぼくにはそれが聞き分けられるんだ」
ヒロムはいぶかしそうな表情で聞いています。整備員はフードを光らせながら話を続けます。
「きみの揺らすブランコはときには楽しそうでときには荒っぽいことがある」
そんなことは考えても見ませんでした。ヒロムはきょとんして聞いています。
「きみはわかっていると思っていた」
今までとは違って事務的な口調で言います。
「ブランコの撤去は決まっていたんだ。遊具は備品だからね、設置してから何年間って決まっている。早く古くなってしまったらその時点で撤去するよ」

 やりとりを聞いてるビッカはムンカに話しかけます。
「この町じゃブランコはもう用済みらしいぞ」
「でもビッカ、ヒロムの言うとおりブランコって面白そうだよ」
ビッカはやれやれと言った表情でムンカを見ます。
「いろんなのがあるんだよ」
「そうかな。ありふれた遊具でしかないぞ」
ビッカはあえて気のない返事をしました。

 整備員はヒロムに説明を続けています。
「いつまでもがっかりはさせないよ。新しい遊具の用意が進んでいる。ブランコだってあるさ。良い知らせだろ」
ヒロムは戸惑いながら軽くうなずきます。
「だれが揺らすにしても新しくて安全なのが良くはないかい」
フードを明く光らせながら整備員は同意を求めるように言います。
ヒロムは黙ったままでつまらなそうな表情を浮かべています。
「新しいブランコができれば君に一番先に揺らしてもらうよ。出来具合を確かめてもらいたい」

 「いい話じゃない、ブランコが戻ってくるんだ」
尾っぽを振って喜んだのはムンカです。しっかりと整備員の話を聞いています。
「ヒロムはブランコのアドバイザーだね」
「うまい言い方をするね、ビッカ」
ムンカは額面通り褒めます。でもビッカはからかうつもりでした。目玉がくるっと回ってしまいます。

 「そこでだ、あの件はどうだろう。考えててくれたかい」
影男の話はヒロムと二人だけの話題に変わります。
ヒロムの体はぶるっと小さくふるえました。
「揺らしてほしいあのブランコのことだよ」
ヒロムはかぶりを振りながら答えます。
「ぼくでなくたってかまわないでしょ」
「くせがあってね、少々てこずるんだ」
整備員の言い方にヒロムは眉を顰め、荒っぽい言葉でかえしました。
「そんなブランコこそ取り払ってしまえばいいんだ」
「あっさり言うね。そう簡単にはいかないんだ。公園のブランコじゃないんだ」
整備員が公園のブランコじゃないと言ったとき、ヒロムの表情にはっきりと動揺が表れました。
整備員は話を続けます。
「新しいブランコに乗るために遠出だってしてるだろ。色々と知ってるんだ」
ヒロムの表情が変わりました。
「各地の公園の整備員は連絡しあうんだ。整備の仕方、故障や事故の報告などは、情報として重要だからね」
ヒロムはなんとか平静を装おうとしています。
「だれだって乗れるでしょ」
ヒロムはそっけなく言います。
「だったらきみに頼まない。難しいんだ」

 黙って聞いていたムンカがビッカにボソリと言いました。
「いったいどんなブランコなんだろうね」
「静かに!」
 ビッカはふたりのやりとりを真剣に聞いていました。整備員の話はどこか訝しい。公園のブランコをなくしておいてヒロムが乗れなくしているようにも思えます。ヒロムのようなブランコ好きには耐えられるはずがありません。

 「長年乗ってないブランコなんだ。でもちっとも古びてない。持ち主も困っているんだ。どうしていいか判断できないでいる。愛着があるんだねきっと。任せたいんだ。もしゆらせる子がいたら整備してそのままにしておくけれど、だめなら廃して棄てる」
「そんな大切なこと僕には判断できない」
ヒロムは小声で自信なさそうに言います。
「はっきり言うよ。ブランコ好きなら知っていておかしくない。月の庭のブランコだよ」
整備員はフードを光らせて言いました。ヒロムの表情はいっそう険しくなります。

 「聞いた? ビッカ。月の庭のブランコの話しをしてるよ」
ビッカは黙ってうなずきます。
「月の庭のブランコなんて二つも三つもあるのかな?」
「まさか」
「だったらヒロムが落ちたブランコじゃない?」
ビッカの目玉が赤くなっています。
「そんな手こずるブランコに乗らせようなんてどんな魂胆だ」
腹を立てているビッカにムンカは言いました。
「とっくにヒロムは月の庭のブランコを見つけてたんだ」
ビッカは指を口に持っていきました。ムンカも黙ってヒロムと整備員のやり取りを聞きます。

 整備員のフードがいっそう明るく光っています。良い返事を期待しているのでしょうが、ヒロムは黙って聞いています。一点を見据えてひと言も発しません。
整備員はしつこく誘います。
「早く揺らさないと、このままほったらかしにしておくと役に立たなくなってしまう。ブランコ好きなら耳にしたことはあるはずだ」
ヒロムは苦しそうな表情で話を聞いています。
「月の庭のブランコ口だよ。揺らせられれば、どこへでも好きなところに行けるとも言われているし、聞いたことは?」
「そんなの嘘だよ」
素知らぬ顔でヒロムはそっけなく言いました。しかしもう一度乗ってゆらせてみせるとの決意は急速に無くなっていきます。
フードが赤く光ります。整備員は簡単に否定したヒロムの言い方が気に入らないようです。

 じっと整備員を見ていてたビッカがムンカに話しかけます。
「不思議だよ」
「何が」
「あの影男ふるえてる」
ビッカに言われてムンカも目を凝らします。フードも作業着も風になびくように揺れています。
「申し出をヒロムに断られたからじゃないの。大袈裟だよね」
「いや、それにしてもおかしいよ」
「何が?」
「からだの様子がおかしいんだ」
「ビッカ、あの整備員の話だけど、聞いているとブランコを取っ払うことしかしてないよ。修理なんて仕事じゃないみたいだ」
ムンカも自分の気づいたことを口にしました。古いとか壊れているとか廃品回収のような言動でした。
「このままいくとヒロムの街に一つもブランコが無くなっちゃうよ」
すでに焼けてしまったブランコしかありませんでした。
「何考えてるのビッカ。目がまわってるよ。心配してるの?」
「ヒロムのためにも、このまま無くなってしまわなければいいなって思うよ」
「新しいのを用意するなんて言ってるけれど、ほんとかな」
ムンカも心配を口にします。
「口約束だ。どうなるかわからない」
「もう乗るのをやめるように言おうか」
ビッカは呆れ顔でムンカを見ます。そして首を振りながら言いました。
「ブランコに月曜だとか木曜とか名前をつけるような子だよ。スッパリとやめられると思うかい」
「そうだね。帰ってきたら家でなくて落ちたブランコのところに行こうと言ってたよね」
「それに」
「それに何?」
「それに、ムンカ、自分が乗りたいくせに、そんなこと言える?」
ビッカに言われてムンカは下を向いてしまいます。
「でも、あの申しでは何か怪しいよ。揺らせると好きな所へ行けるなんて。本当に行けると思う?」
「少なくとも成功した子はいないんじゃないか。揺らそうとした子はいるけれど」
ビッカはヒロムの後ろ姿を見ながら言いました。
「ムンカ、月の庭のブランコのことは、ヒロムとの話題にはしないでおこう」
「そうだね。落ちたんだもの触れられたくないよね」
「そう、傷口には触れたくないよ」
 異変に気がついたのはムンカの方が先でした。
「ビッカ、あれをを見てよ」
ムンカの甲高い声が震えています。
影男の輪郭がさっきよりも大きくなっています。
「震えてたんじゃなくて膨らんでたんだ」

 ヒロムのきっぱりした声が聞こえてきました。
「だからぼくには無理だよ」
ヒロムは揺らしては見たものの失敗したことを隠したままです。唇を強く噛んでいます。
「頼んでるんだよ」
「無理なものは無理」
「情けないと思わないのか」
すさんだ声でした。そんな声を浴びせられるのは耐え難いかもしれません。耳障りのする声がフードの下から吐き出されます。
「もっと可能性があるブランコなのに。風が音楽のように聞こえたり埃っぽい空気が良い香りになったりするなんて大したことない。それより遥かに」
整備員の影男は急速に膨らんでいきます。
ビッカは急いで近寄りヒロムの手を掴みとってひき離しました。波がくだけるように影男は崩れ落ちてしまいました。

続く


第一話

第三話

第四話


第五話


第六話(終)



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