わたしがバスケットボールから学んだこと。
わたしが “この地で育ってきた感覚” をなんとなくもてている理由のひとつに、バスケットボールがある。そして、わたしが働くチームを大切にしているのも、バスケットボールから学んだことなんだと思う。
私たちのミニバスは、平均身長がとにかく低いチームだった。現にわたしの卒業時の身長は確か138cmくらいで、チームで一番大きい子で160cm前後。バスケットボールをするうえで致命的なぐらい、みんな身長が小さかった。
それでも、小学5年生と6年生の時に京都府の大会で優勝し、全国大会に2年連続で出場した。
小学生らしからぬ練習漬けの日々で、月曜を除いた平日は毎日練習があったし、土日は1日練習か遠征に行っていた。夏休みとお正月には少しだけ休みがあったけれど、それ以外は寝ても覚めてもバスケットボール一色。
走るメニューが嫌すぎてみんなの反応が遅れた時に「それやったらもう練習せんでいい」とコーチに突き放されたり、自分が活躍できずに悔しい思いをしたり、決して楽しいことばかりではなかったけれど、それでもめげずにやってこれたのは、チームの目標が明確で、小さな自分たちでも勝てることがわかったから。
そして、「全国大会に出場する」という夢を掲げた他チームのみんなと一緒に、切磋琢磨できるフィールドが京都にあったから。
それから、やっぱりコーチの力が大きいと思う。バスケットボールの基礎を誰よりも教えてくれたのは、ミニバスケットボールのコーチだったし、その後、中学、高校、大学とバスケを続けるなかでひしひしと感じていたことだった。
自分たちと真剣に向き合ってくれる大人に出会えた場所が地元で、京都の田舎の小学校から全国大会に出場できたという事実が、わたしのなかで “この地に育ててもらった” という感覚につながっているのだと思う。感謝の気持ちを忘れずにいられるのも、親たちが私たちの一生懸命さに答えてくれたから。
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「チーム」というものを強く感じるようになったのは、高校バスケの頃。
コートの上に立てるのは5人で、試合に出られるのは15人、部員は全員で30人以上。これまでの環境と違い、必ず試合に出られるとは限らないポジションにいた。チームが「インターハイ」を目指すなかで、試合に出た時にパフォーマンスを発揮するのはもちろんなのだけど、出ていない時でもチームのことを考えられるようになったのは、あの頃のおかげなんだと思う。
スポーツをやるからには、試合に出るということが一番うれしいことでもあるんだけれど、これだけ部員もいれば競争も激しいし、184cmの後輩と張り合ったところで求められる役割がそもそも違う。
この、“チームのなかで求められる役割” を意識しはじめたのがこの頃だったかな。
ただ、競争をしているだけだったらまわりを蹴落としてでも試合に出たいと思えるのだと思うけど(そういう心の強さを求められていたことはあるけれど)、それぞれの得意なことに目を向けて、それを活かすという感覚を養えた。
だから、わたしの武器はどこまでいっても味方を活かすアシストだったんだけどね。
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足りないものを補い合えるのがチームなんだと思う。
バスケットボールというスポーツをしていなかったら、わたしは多分陸上で長距離選手になっていたと思う。広くいえば陸上もチームで戦うんだけど、突き詰めると個人種目だから、あの場所で「チーム」で戦うことの基礎を学べてよかったんだといまは思う。
「あひるの空」という漫画は、体の動きも心理的描写もすごく繊細に描かれていて、いつもわたしをあの頃のコートに連れ戻してくれる。
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