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2020年もいい年にしていくためのメモ。


3月からずっと、“いつも通り”の日常を保つ方法を探してきたのだと思う。「新しい日常」という言葉が使われるようになってからは余計に、そもそも「日常」ってなんだったっけ、を考えるようになって。

正直なところ、3月に入っていたいくつかの仕事がキャンセルになった時はホッとした自分がいた。目の前のことをただただこなすのではなく、落ち着いて一つひとつと向き合える(そうせざるを得ない)状況になったことに安心したのだと思う。

しかし、4月になってからは、“このままでは心を保てない” と感じていた。所属している会社の仕事量は減ったけれど、それは年明けからそうしますと合意のうえだったし(他方、個人事業主としてやろうとしていたことは見事にできなくなった)、当初の予定では、今後の参考にしようとイタリアの各地を訪れる予定だったので、休もうと思えば休めたこともあったと思う。

けれど、あのまま時が止まることがただただ怖かった。収入面ではなく、精神的なものとして。

 

子どもの頃から“こばちゃん”と呼ばれるほどお節介気質なので、じっと待つこともできず、地元でテイクアウト営業を行っているお店の情報をnoteにまとめたり、3年前に商店街やまちを舞台に制作をした映画「かめじん」のDVDをレンタルで置かせてもらったりと、何が正解かはわからなかったけれど、とにかく好きなお店の力になりたかったし、地域コミュニティを軸にしたツーリズムも立ち上げたばかりだったので、コミュニケーションも止めたくなかった。

その後、行政のほうでもさまざまな取り組みや補助をはじめたし、わたしができる小さなことよりは遥かにパワーもあったから、現時点での自分の役割を改めて考えた。

そこではじめたのが、地元・かめおかを発見するインターネットラジオ「霧の音」や、おうち時間を楽しむためのギフトセット「おうちでゆっくり、かめ時間。」。企画をはじめたというよりも、ここ数年のコミュニケーションのなかでずっとできたらいいなと考えていたことのタイミングが重なった。

わたしの役割は、あくまで “たのしみ” をつくるところにあると改めて感じたこの期間。まちの人たちとつくること、それを地域内外へ届けることをやりたいし、最近はありがたいことにそういう相談も増えてきた。

ようやく、この1,2年でたどり着きたかった土俵の片隅に立てたようで、嬉しかった反面、枠の外にあるはずの “意図しない出会い” だけが今年はどうしても足りなかった。好きでやっているはずの仕事もどこか物足りず、どうにかして心を動かしたかったし、その方法をずっと探していた。


そんなタイミングで出会ったのが、ユニバーサル・オーディション「ルーツ」。編集部のおすすめとして、脚本家・今井雅子さんのnoteがタイムラインに流れてきたことがきっかけだった。

ユニバーサル・オーディションという方法、普段から大切にしている「ルーツ」というタイトルに惹かれて、本当に無知のまま応募してしまった。実際のエピソードから映画をつくるプロセスには興味があったものの、演劇がやりたいかどうかもわからなかった。それでも、悶々とした日々のなかで、現在地からできる挑戦を探していたことは紛れもない事実だった。


一次審査を通過させていただいた時は、何度もメールを読み直した。まだ見ぬところへ、誰も知らないところへ挑戦する高揚感は数ヶ月ぶりだった。


一次審査を通過すると、審査も兼ねてプロの演出家さんによるワークショップと個別ヒアリングの時間がある。

ヒアリング時に「あなたのルーツは?」と聞かれて少し困った。畑が違いすぎたことと理解不足で、演劇の世界では何か激しい原体験がないと興味を持ってもらえないのでは?という心理が不要に働いて、大切にしてきたことをほとんど伝えられなかった。

追い討ちをかけるように、「コロナで困ったことはありますか?」と最後に聞かれて「特にないです」と答えてしまい、終わってから随分苦い顔になったのだけど、この1,2ヶ月ほどでそう言い切れるまで心が戻ってきたと思えば、またひとつ強くなれたのかもしれない(と落ち着くために何度か言い聞かせた笑)。

参加させていただいたワークショップは、こんなに感情を開放したのはいつぶりだろうかと思うくらい楽しかった。素人のわたしが演技をするということがどういうことなのかは、体当たりもいいところなので、それはみなさんの想像にお任せしますが、「こうしたらもっと良くなる」とアドバイスをいただいた時にもう少しやってみたいなと素直に思った。

日頃より、文章やイベント、大学の授業、時には登壇者として、人に伝える仕事をさせていただく以上、どうすれば伝わるのかはずっと考えていることだったし、そこからもっと双方向性のあるコミュニケーションを生み出したいとも思っている。そういうところにも活きてくるんじゃないかという下心は見事に見破られ(?)、熱量も中途半端になってしまい、残念ながら次のステップには進めなかった。

とはいえ、そんなに人生トントン進んだら、きっとわたしは努力することをサボってしまうタイプなので(進まなかったからこれまでもコツコツやってこれたし)これでよかったのだなと思いつつ、それでも感じた悔しさのほうについては、これから時間をかけて考えてみたい。確かに父母は演劇をやっていたけれどわたしは観たことがないし、この期間にもオンラインとオフラインで観劇をさせていただきながら、どこに惹かれたのかを紐解こうとしている。それでいて、もう一度チャレンジしたくなったら、きっとわたしは門を叩く。

(10/17,18に予定されている「ルーツフェス(仮)」、残念ながら17日は仕事が入ってしまいましたが、どんな作品になるのか今からとても楽しみです。)

最後になりましたが、今回このようなチャレンジの機会をつくってくださったこと、そして一次選考に選んでくださったこと、とても感謝しています。地元を想い続ければ遠くの誰かにも伝わるということを改めて感じられ、心強くもなりました。運営のみなさん、ありがとうございました。

誰とも会えなかった2020年の夏に、出会えたのが「ルーツ」でよかったな。


2019年と比べても仕方がないけれど、やっぱり昨年よりいい年にしたいから。大枠としては、パッと思いつくだけでこれから8,9本のプロジェクトが同時に進んでいくので、着実に歩みを進めながら、来年の4月頃にまたこうして振り返りができたらいいなと思う。


先日も、仕事を交えつつ地元のことを深く知る機会がいくつかあった。シビックプライドの醸成を図りたくて、いま、この場所にいることの必然性を見出そうとしているのだけれど、焦らず丁寧にリサーチしていけたらと思う。長い歴史のなかでこの地を行き来した人々の息づかいを感じながら、年内はそれらを言葉や映像にしていく作業が待っている。


コロナより前から違和感を感じていたことはどんどん変えていきながらも、わたし達の身のまわりにある日常の尊さを再認識しながら、それを伝えていく術を磨きたい。苦手かどうかの判断ではなく、さまざまな方法を試していきたいし、そうやって枠の外にチャレンジし続けることで出会える風景があると思っている。


ライフワークとしては、引き続き「かめじん」のストップモーションアニメをつくりたい。すごく繊細な作業なので、ガサツなわたしはどこまでピンセットに耐えられるか・・という部分はありますが、精神統一も兼ねて気長にやっていこうと思います。

ここからまた走り抜けるために、今日は少し長めの日記でした。来年はもう少し働き方も変わってくると思うから、まずは今年をちゃんとやりきること。


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