「雑談」の下ごしらえ。
雑談の中に本質があるのだと思います。
コミュニケーションの基本。雑談。
はじめに / 星野源 音楽の話をしよう(AERA)
「いい雑談」が自然発生的に生まれるまちはきっと、いいところなんだと思う。
おそらくこれは、まちに限らずだとは思いますが、いいものは「いい雑談」から生まれているような気がします。
「こんなのあったらおもしろそう!」「今度あれやってみようと思ってて」「こんなのどうかな?」「これについてどう思う?」みたいな風に、思わずだれかに話したくなる考えと、それを「いいね」と言うだれかがいること。
まだまだうっすらとした実体験しか伴ってないですが、おもしろいまちの条件のひとつに「いい雑談」はあると思います。
そしてわたしは、どちらかというといいね! ってする側のひとになりたくて。もしなにかつくるとすれば、そのためのハコなんだろうな。
ただ、もう少し「雑談」をするまでの下ごしらえが必要なんだと思います。
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ただ単に「喋る」という行為は、ここでいう「雑談」とは少し意味が異なります。
ここでいう「雑談」とは、話していることで、お互いのなかになにかが生まれる、もしくはヒントの種を撒きあえているような会話のこと。これはきっと、常日頃なにかを考えながら独立している「個」のあいだに存在するものだと思います。
地元でいろんな人たちの元を訪れながら、以前よりもいくばくか「雑談」ができるようになったのかもしれないけれど、わたしはまだ「個」として存在していないんですよね。なんて言ったらいいんでしょうか、フリーランスみたいな独立ではなくて、存在意義みたいなものでもなくて。
店主やアーティスト、パティシエ、作家など、このまちのいろんな人たちが「個」として存在しているなかで、わたしが「個」として存在できた時にはじめて、一緒になにかできるようになるんだろうな。それにはもう少しだけ時間がかかると思うんです。
もしかしたら「かめじん」がそうかもしれないけれど、まだ少し遠い。
ただひとつ言えるのは、「かめじん」もきっと、雑談をするための下ごしらえ。
「話す」ことに準備は必要ないけれど、「いい雑談」をするために、もう少しあたまと手足を動かしてみよう。動いた先にしか、あたらしいものは生まれない。なにが言いたいかというと、いい雑談をするために、いい仕事をしたいんです。
いい仕事、していこう。
用意された「名言」などいらない。
面白い仕事をする人はたいてい、普段のそのままも面白いのですから。
はじめに / 星野源 音楽の話をしよう(AERA)
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