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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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#ログブック

暮らしのエトセトラ。

いろんなものを乗り越えて「衣・食・住」がそれなりに満たされている、いまの時代。 戦後の日本を知る方々はから「モノがなかった時代」のお話をたくさん聞くのだけれど、わたしが祖母の年齢になる頃には「モノがあふれた時代」を昔話のように語るのだろうか。 生まれた頃から大体のものは揃っていて、小学校の授業でPCの使い方を勉強して、習い事に打ち込むことができて。大人になったらこうやって、コタツに入りながら自分のPCを広げて文章を書いている。 わたし達の暮らしぶりは、ずいぶん変化したん

そして、9月。

あれだけ暑かったはずの夏が、嘘のように過ぎていく。 燃え上がるトキメキも、日々のなかに消える 夜はミカタ / 青谷明日香 夏のおわりはいつも、少しだけせつない気分になる。なにかが起こっても、起こらなくてもせつない。ほかに比べて「おわり」がわかりやすい季節だからかもしれない。 秋から冬は心算ができたうえでやってくるし、冬から春はあたらしいものを迎えるわくわく感がある。春から夏は「夏だぜー!いくぜー!」って予定がなくても無性にこころが踊る。 ただ、夏から秋に関してはす

いつだって、逃げる場所をもっている。

旅が好きな理由を挙げるとするならば、その地ならではの食や暮らしている人々との交流、まち並みをたのしむことだと思う。これは旅に限らず、生きることの「よろこび」に近いのかもしれない。 もうひとつ挙げるとするならば、「逃げられる場所」を世界中につくること。いつだって、どんなわたしでも迎え入れてくれるだれかがいる。 たとえ、いま目の前にそんな場所が見つからなかったとしても。 ::::::::::: 今年のはじめに、イギリスで出会ったタイの友人のもとを訪ねた。2人は前の年に日本

たかが4年、されど4年。

Facebookのタイムラインには、4年前の9月5日の投稿があがってきた。この日は日本に帰ってきた日。5ヶ月弱という本当にわずかな時間だったけれど、自分の進路を大きく変えてくれた。 「もう4年経ったのか」という気持ちと、「まだ4年しか経っていないのか」という気持ちが交差する。これまでのことを棚卸ししたうえで、明日を迎えたい。でも、眠たいので少しだけ。 ::::::::::: 2014.9 もともと休学していたので、帰ってきたその学期から1年間がわたしの学生生活ラストイ

ちいさなまちで暮らすわたし達のアイデンティティ。

自分たちの「アイデンティティ」をみえるかたちにしてみたら、おもしろいのではないか。 そんなことを考えているとついつい手が滑ってしまい、奇妙なキャラクター「かめじん」が生まれました。 かめ-じん 【亀人】 (名)亀岡で暮らす人たちが、自分たちのことを呼ぶときに使うことば。 この度、「かめじん」にあたらしいなかまができました。微力かもしれないけれど、かめじんを通して「亀岡」のお出かけがたのしくなったらいいなぁ。(ありがたいことに次のなかまを描きはじめているところです。)

私有物のパブリック化。

パブリックな空間の活用方法を考えることもたのしいけれど、私有物のパブリック化をお手伝いするのもたのしいと思う。 古民家や空き家、空き地、耕作放棄地なんかをパブリックスペース的に使えたら、いろいろ広がるんじゃないかな。おもしろい地域はそんなことをどんどん進めていると思う。 わたしが地元に、なにかあたらしい場所をつくるとしたらきっと「公園」に近い場なんだろうな。各々が各々の時間を過ごしつつ、時々クロスするような。大西さんのnoteを拝読しながらそんなことを考えていました。

今度は、どんなテーマで旅に出よう。

そんなことを、時々考えてみる。 建築の方はおそらく建築物を見るだろうし、シェフはおいしいレストランを巡るだろう。職人はものづくりの現場を訪ねるだろうし、開発経済学を学んでいる学生は、発展途上国を訪れるだろう。 「食」「写真」「文章」「小説」「フリーペーパー」「海」「山」「公園」 思いついたことばを雑に並べているだけなのだけど、こういった明確なテーマがあるといいなと思う。 わたしにはいまのところ、はっきりしたテーマがない。 写真を撮るのは好きだし、おいしいものを食べる

「手間」の数だけ生まれる会話。

どんな時代であっても「会う」というコミュニケーションには、きっと勝てない。 ここ数日、ひさしぶりにいろんな人に会っています。打ち合わせ、お仕事の依頼、偶然の出会いなどなど、なんて言ったらいいのでしょうか、この3、4日の間に次につながりそうな「会う」がたくさんありました。 実際に会った人たちとも、SNSの「いいね!」のやり取りや、オンラインで連絡は取り合っていたので、なんとなくコミュニケーションを交わしていた感覚だったけれど、やっぱり「会って話す」の熱量には勝てないなって。

未だに、友達の誘い方がわからない。

お恥ずかしながら、ひとを誘うことが年々むずかしくなっている。それがたとえ、友達であったとしても。 小学生の頃みたいに「今日遊ぼ〜!」のひと声がなかなかかけられない。(なんて思ったけれど、よくよく考えたら小学校のときから友達に声をかけた記憶があまりないかもしれない。) 高校生になってからは部活三昧だったので、バスケ部のメンバーと朝から晩まで一緒だったし、オフの日に遊ぶメンバーもルートもだいたい決まっていた。 大学生になってからは、サークルまでの時間を一緒にすごしたり、学校

まずは「はじめやすい」から。

「はじめるなら、地元で」がゆるやかに増えたらいいなと思う。 いろんな国を歩いて、いろんな場所で修行を積んで、なにかをはじめる人が増えたらきっと、このまちはもっとおもしろくなる。 いま、すでになにかをはじめられていている人たちは、ここでお商売を通して、お金以外の「見えない」ものを交換していて。それがずっと羨ましくて、わたしも気がついたら小さく小さくはじめてた。 「見えない」ものには、「おいしさ」「たのしさ」「うれしさ」「あたたかさ」、「笑顔」「会話」いろんな要素がある。

いま、わたしができる小さなおばあちゃん孝行。

今年の祖母は、いつもより穏やか。 毎年お盆の時期になると、暑さで感情のコントロールがむずかしくなるのですが、今年はなんだか落ち着いているようです。 何度かわたしのnoteに登場している祖母は、認知症を患っています。はじめに気が付いたのは、確か2015年の夏だったかな。真横にあるにも関わらず、ずっと訪れていなかった祖母の家。 毎日顔を合わせていたはずなのに、ひさしぶりに訪れた祖母の家は埃だらけになっていて、こんなに近くにいても気づけなかったことに悔しくなったのをいまでも覚

「伴走」について考える。

わたしの仕事には、おそらく「伴走」という共通点があります。 地元の商店街活性化のお仕事も、移住のサポートをするお仕事も、記事を書くお仕事も、紐解いてみれば、わたしの業務内容は「伴走」することなのではないかと思うんです。 ばん‐そう【伴走】 [名](スル)マラソンや自転車のロードレースなどで、競技者のそばについて走ること。「自動車でランナーに伴走する」「伴走車」 goo国語辞書より つまり、「商店街を活性したい」とか「いなか暮らしをしたい」という思いをもっている人のサポー

高校生の「夢」の続きを。

高校野球って、やっぱりいいですね。その世代だからこそ生み出せる「感動」があって、それに惹き込まれるわたし達がいて。 本日行われた「星稜 対 済美」はまさしく、This is the 高校野球 という試合だったように思います。 ::::::::::: 星稜 7-1 済美 で迎えた8回ウラ、済美は8点を返して逆転。9回表に星稜も負けじと2点追加して同点に並びます。そのまま延長にもつれ込み、タイブレーク。13回表で星稜が2点を追加するも、ウラで済美のキャプテン・矢野選手が満塁

地域の、年に1度の大きな行事。

「やりたくてやってる」ことの凄みと歓びを、こういう祭はつくづく教えてくれます。やりたいからやる、やらずにいられないから必死になる。「生きるって、そういうことだろう?」と、地域全体が問いかけているようでもありました。 「今日のダーリン」8月8日より一部抜粋 先日の「今日のダーリン」を読みながら、10月末に3日間、地元で開催される「亀岡祭」のことを思い出していました。小さい祇園祭のようなお祭りで、城下町には山鉾が11基立ち並び、最終日は山鉾巡行もあります。 城下町の商店街に関