夏が苦手な理由 運動神経が悪いということ Vol.20
苦手なことは数知れず、夏という季節もその一つだ。小学生のころは夏風邪をこじらせて入院した経験もあって、昔から身体的にも相性が良くないらしい。地元の須磨では、3年ぶりの海開き。とはいえ、目と鼻の距離で20年あまり暮らしたというのに一度として地の利を活かさなかった身には、何の感慨も無い。須磨海岸が海水浴場と呼び名を変えるこの季節は、わが海が賑々しい社交場と化したような印象を受ける。妻子も無ければ恋愛の一つも知らない中年男など、「立入禁止」の見えざる規制線が張り巡らされているようにすら感じてしまう。
夏には風物詩が事欠かない。今年は、各地から祭りや花火大会の再開が伝えられている。恒例だった神戸港の海上花火大会は、旧居の踊り場で眺めるのが常だった。長田区と兵庫区に隔てられた場所では、音は遅れて聴こえ、輪の大半はビル群に埋もれたが、断片だけでも家に居ながらにして味わえたのだから、現地の雑踏のなかに飛び込む気は起こらなかった。遠巻きにも愉しませてくれる花火は良いとして、祭りの魅力はおよそ理解できない。神輿が練り歩き、ときに死傷者も出るほど人びとが勇ましく振る舞う様子の、いったい何が見どころなのか。
今年も、まもなく盆休みだ。第7波の感染拡大状況をよそに、世間では行楽を促進するような空気も色濃い。もうじきニュースでは、空港や高速道路の映像が繰り返し報じられるだろう。休暇は大好きだが、仕事から離れられるというだけで満たされてしまい、繁忙期の高額料金や混雑を受け入れてまで行きたい旅先となると、なかなか見つけられない。お金も無ければ、それ以上に気力が乏しかった大学時代を無為に過ごしたせいもあって、四十路を前に、私にはいまだ海外旅行の経験が無い。職場の宴席で口を滑らせるまで、それが現代では極めてまれなことだという自覚さえ無かったのだが、たとえ笑い者になっても、休暇を丸ごと強行軍の旅に充てるなど、とても真似できない。
各地のテーマパークも、夏休み真っ只中の子どもたちで賑わっていることだろう。まだ若かりし頃、奇特な同期たちがUSJに誘ってくれたことは良い思い出だが、1度きりでもう十分だと思った。その感想を別の同僚に明かしたら、「あんた、いったい何が好きなんよ」と、哀れみとも蔑みともつかない反応が返ってきた。海水浴に祭りにテーマパーク。私には、世間では幅広く愛されていても苦手なものが多々あり、夏はそれらが集中する季節なのだ。世には、休暇でも予定が埋まらないと不安になる性分の人もいるらしいが、まるで止まることができない回遊魚のようで、人間にも生息域があるのかと考えさせられる。そういえば、マグロなどの回遊魚より、めったに動かないヒラメのような白身魚を好んで食べるのも、シンパシーのせいかもしれない。
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