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アジアでこそ顕著に Footballがライフワーク Vol.38

フットボールにおいて守備を担うポジションは、なかなかに辛い役回りだ。完璧にタスクをこなし相手を封じ込めても脚光を浴びることは稀なのに対して、ひとたびミスを犯しチームが敗北すれば高い確率で戦犯扱いされてしまう。この組織的なボールゲームでは、一つの失点や敗戦が特定個人に起因することなど、まず無いというのに。このたびのアジアカップにて、戦犯扱いの憂き目を見たのはゴールキーパーの鈴木彩艶であり、センターバックの板倉滉だった。

高校の頃に読み始めた「Number」でその名を知って以来、絶えず意見を注視してきた金子達仁には、共感できる名言が数多ある。なかでも印象的なのは、フットボールには「各国の国民性が現れやすい」というものだ。持ち場により、目立つ人と目立たない人の差がある。いざ都合の悪いことが起これば犯人探しに躍起になって、目立たない人のほうに矛先を向ける。なるほど、それも私たちの国民性の一面だろう。

確かに、鈴木にはキャッチできそうなボールでもパンチングする場面が散見された。3日前のバーレーン戦の負傷も影響してか、イラン戦の板倉は不振を極めた。しかしながら、いくら両者に非があるとしても、余計な失点があったとしても、それ以上に得点を重ねていればもっと勝ち進むことはできた。さらに言えば、彼らを起用した首脳陣の判断や、バックアッパーの質も問題視しなければ、とても公平ではないだろう。

昨年は1年間を1敗で乗り切ったチームが、早くも2敗を喫してしまった。カタールワールドカップでドイツとスペインを相次いで撃破したように、格上の相手が前がかりで臨んでくれた場合、逆手に取る力はつけたかもしれない。しかし、いま思い出さなければならないのは、2つの金星の間でコスタリカに敗れていたことだ。同格以下の相手に手堅く構えられたとき、打開する力の不足は継続した課題であり、それはアジアの舞台でこそ顕著になるのだ。地上波で放送された2試合が、どちらも「悪いときの日本」になったことが残念でならない。現在の日本代表は、決して万全でもなければ、断じて史上最強などではなかった。いまは、その現実を早めに思い知ったことが、後々に幸いだったと振り返られる日が来るのを期待するしかない。


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