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燃え尽きてから40日間の軌跡

5月5日。
あ、こりゃ風邪引いたなと認識する。
その2日前に勃発した第3次夫婦戦争と、それ以前から蓄積していたストレスも重なって、体がダウンしたのをトリガーに心もダウンした。
いわゆる、軽い燃え尽き状態となった。

そこからおよそ40日経ち、今は小康状態を保っているといえる。
前回2020年に燃え尽きたときは、最悪期から脱するまでに半年以上、回復したといえるようになるまで2年以上はかかったから、40日で小康状態ならだいぶ早い。

もちろん2020年のわたしと先月のわたしとでは燃え尽きた原因も置かれた環境も違うから一概には比較できないけれども、今回はなぜわりと早めに回復できたのか、振り返ってみよう。

∽∽∽

結論から書くと、大きなポイントは4つあると思っている。
①約1ヵ月の帰省
②ちゃんと休んだこと
③信頼できる人に話せたこと
④周囲の理解

①約1ヵ月の帰省

5/5の時点でもう帰省はしていたのだけれど、1, 2週間でUターンする予定だったところを4週間近くに延長滞在した。
PCは持って帰っていたので仕事に穴を開けることもなかった。
仕事をしているとはいえ、自宅から物理的に遠く離れた場所かつ、安心して生活できる場所で過ごせたことはもっとも大きかった。

2020年はコロナ禍が始まったばかりだったから、実家からはやんわりと帰ってこないでほしいとの雰囲気が感じられた。
だから当時は逃げ道が酒になってしまったわけだが、今回は「実家」という安全な逃げ道だったのがよかった。

②ちゃんと休んだこと

細分化すると、仕事に余裕があったこと、がんばりをやめたことの2つに分かれる。

GWはクライアントも休みだし、GWが明けても、悪くいえば「仕事が少ない」状態だった。でも、よくいえば休むべきときに休めるチャンスがやってきたのだ。
携わっていた仕事は時間にも気持ちにも余裕を持って取り組めるボリュームだったから「わたしはまだ最低限の仕事ができる元気はあるんだ」と、安心材料にもなった。

そして「+α」のがんばりをやめた。
たとえば月に合計5~6回ある勉強会をぜんぶ休んだ。
なにも予定がないのに欠席の連絡を入れるのは後ろめたさも感じたが、体調不良は嘘ではない。それに実家にいるあいだは「家族」がわたしの予定なのだと言い聞かせ、風邪が治ってからも全欠席した。

無理して参加しようと思えばできたものもある。
けれど、どうしても参加せねばならないものではなかったし、そもそもがんばれなかったから。だから休んだ。
結果的に本当に家族と充実した時間を過ごせたし、休んでよかったと思っている。

一方2020年はどうだったかといえば、がんばることをスパッと諦められなかったからよくなかった。
もう無理なのにがんばろうとして、結局がんばれなくて自分を責め、酒に逃げる。
もっと早く白旗を揚げて、休むことに専念すれば回復も早かったろうに。
今だからこそいえることだけどね、休まないほうが遠回りって。

③信頼できる人に話せたこと

これもラッキーな話で、海外から親友がちょうど帰国していた。
前々からたまにSkypeで話はしていたけれど、やっぱり対面はわけが違う。
その時その場だったから出てきた言葉もたくさんある。

本人はその性格を気にしているようだが、中学時代からの信頼関係を土台に、なんでもズバッといってくれるからいい。
たいていは遠慮していわない(訊かない)か、訊いてくるなら興味本位のどちらかだから。

それに、どこまで話すかはそれぞれとしても、「今ちょっと燃え尽きていて休み中」ということを先輩やフリーランス仲間に宣言した(知ってもらえた)のも楽だった。
宣言してしまえば堂々と休めるもんね。

一方2020年はというと、安心して話せる人が周囲にいなかった。
ちょこちょこ連絡をくれる友人はいたのだけれど、正直返信するのもしんどかった。
それでもなんとか返事はしていたものの、見事に疎遠になった。

④周囲の理解

1ヵ月帰省している、休んでいるというと、決まってこういう輩がいる。
「いいよね、帰る実家があって」
「いいね、自由で」
「だんなさん一人でかわいそうじゃん」
…じゃああなたも転勤族×フリーランスになってみてはいかがでしょうか?と思う。言わんけど。

でも、今のわたしのまわりには、そんなことを言ってくる人はひとりもいない。
それどころか複数人から「休むって勇気が要るよね」と讃えてもらえた。
ただ糸が切れてがんばれなくなっただけなのに。
「勇気を出して休んだわけではなく、もうがんばれないから休まざるを得なかった」というほうが適切な表現だ。

2020年のわたしのまわりには、「いいよねー」「だんなさんかわいそうだねー」という人たちしかいなかった。
だから自分の状況を話そうとも思わないし、結局ひとりで抱え込むしかなかった。

逃げた先がお酒だったのはよくないが、それでも、そういう人たちを自分の交友関係から一気に排除したことはスーパーグッジョブだったと褒めたい。
よくがんばったぞ。だから今があるんだぞ。


結局のところ、40日でここまで回復できたのは、帰れる実家・タイミング・周囲の人たちのおかげだ。

もし帰れる実家がなかったとしたら、妹は日本のどこかに住んでいるはずだから、妹のところに転がり込んだと思う。
妹もいなかったとしたら、何日か泊めてくれそうな人の家を転々とするか、もしかしたらフランスの友だちのもとへ飛んでいるかもしれない。
過去フィリピンへ1ヵ月エスケープしたことがあるから、海外だって可能性としてじゅうぶんありうる。

今回は、不幸中の幸いというか、2020年にくらべてラッキーもいっぱい重なった。
いろんなものが味方してくれたから40日でここまで戻ってこられたとしか、いえないな。

それでももし2020年の自分にアドバイスをするのなら、「周囲の理解が得られなくても、誰になんといわれようとも、がんばれないなら、がんばろうとするな。とっとと諦めて休んだほうが近道だから」になるだろうか。
あとは「人間関係、整理しておいてくれてありがとう!」である。

今のわたしだってまだ油断はできないけれど。
でも、あの2020を乗り越えられたのだから、今回だってなんとかなるさ。


今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたはがんばれないとき、どうやって過ごしますか?

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