結婚記念日は悔しさを思い出す日
そういえば今日は結婚記念日であった。
夫は「服を買いに行く」といって車で1時間はかかるであろう県外のアウトレットに出かけていった。
わたしは3連休にも関わらず、昨日も今日も仕事をしている。
山場は越えたのだが、来週はプライベートが忙しくなりそうなので今のうちにできるだけ仕事を進めておきたいのだ。
夫が出かけているならなおのこと、仕事をするにはちょうどよい。
「夏は暑いから出かけたくない」
「冬は寒いから出かけたくない」という夫とこの時期出かけることはほとんどない。結婚記念日であろうと。
暑い、腹が減った、「まだ時間かかるの?」などと機嫌が悪くなられてもこちらも気分が悪い。出かけないほうが賢明である。
しかし、まあ飲みには行こうか、というのが我々夫婦の結婚記念日の定番だ。
とはいえお高いフレンチのディナーなどでなく、Tシャツ・デニムにビーサンでも行けるような近所の焼鳥屋だけど。
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誰でも「なんかモヤモヤする忘れられないひと言」ってあるのではなかろうか。
発した相手はまったく悪意なく、日常会話の軽い気持ちで口にしたのかもしれないが、そういうひと言だからこそ言い返すタイミングを失いがちだ。
指に刺さった鉛筆の芯が皮膚に埋まっていくように、心の底に埋もれていく。
そして古傷が疼くごとく、こうした節目のタイミングで思い出すことになる。
今はどう考えているかわからないが、結婚した当初、夫と家事について話し合ったときのことだ。
「俺のほうが稼いでいるのだから、家事はあなたがするものでしょ」
夫は転勤族であり、わたしも帯同する以上、自分のキャリアは確実に制限されると呑んで結婚したのだ。(当時はリモートワークなど普及していなかった)。
したがって、その場で「正社員として働きたくても働けない」との言い訳カードは切れない。
自分の選択を否定することになるから。
悔しかったが言い返したい気持ちをぐっと飲み込んだ。
しかし、そんな古い考え方の持ち主だとは。
…ということは、このとき初めて知った。
まあでも、人の考えは人それぞれだから。
どんな考えだろうがよいのだけれど、夫婦の場合は自分のなかで、あるいはふたりで、折り合いをつけていく必要がある。
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しかし今2024年、時代は変わっている。
昨日のnoteには「共感の時代についていけていない」と書いたが、リモートワークの普及という時代の変化はわたしにとって追い風 of the 追い風だ。
コロナ禍はコロナ禍でしんどい思いもしたけれど、コロナ禍がなかったら今のわたしはいない。
リモートワークなら転勤があろうが働きつづけられる。
フリーランスなら、安定はないが時給の働き方よりも高収入が見込める。
わたしは夫より稼ぎたい。
夫が月いくら稼いでいるかは大まかにしか知らないが、大まかでも知っている。
あのときの悔しさを乗り越えるため。
自分のなかで折り合いをつけるため。
わたしの収入が夫の収入を超えたとき、わたしは別に「わたしのほうが稼いでいるのだから、家事はあなたもやりなさい」とはいわないだろう。
家事の分担はもうどうでもいい。
自分の悔しさを成仏させるために働いている。
それと。
おまけのようで夫には申し訳ないが、夫の将来の夢にも協力したい。
夢の話など夫婦でそうそう日常的にする話題でもないから、今はもう変わっているかもしれない。
しかし、独立したいだとか、世界1周旅行したいだとか、どんな夢であっても、大なり小なりお金は必要だ。
もし収入や生活が心配で踏み出せないのなら、「お金なら心配することない。やっちゃえば?」と言ってあげたいじゃない。
山も谷もある夫婦生活だし、仲良しこよしでありたいとも思わない。
夫婦とはいえ、究極は生活をともにしている他人だ。
あなたの人生はあなたの人生。
そこに互いが深く影響していることはたしかだが、歩みたい人生を歩んでほしいし、わたしも歩みたい。
互いのせいで実現できないのなら、そんな夫婦生活は望まない。
…と、結婚記念日に書くことでないような内容になってしまったが。
わたしにとって結婚記念日は、働く初心を思い出す日なのである。
数年後、10年後の結婚記念日には、悔しさも成仏しているだろうか。
味わうのはビールの苦さだけにしたい。ぼちぼち。
夫婦ふたりで飲みに行くのはひさしぶりだ。
夫にもガス抜きしてもらおう。
楽しい時間になるとよい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの記念日の想い出はなんですか?