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さわって・変わって・励まされて

先日のnoteのある文脈で「3連敗」と書いたとき、ふとスピッツの『さわって・変わって』を思い出した。
なぜなら、歌詞にこんなフレーズがあるからだ。

3連敗のち3連勝して街が光る

さわって・変わって / スピッツ

わたしは熱烈なスピッツファンというわけではなく、とくべつスピッツの曲にくわしいわけでもない。
友だち&妹がスピッツ好きな影響もあって、たくさんの曲がリリースされているなかで一時期ちょっと聴きあさった程度だ。
その「ちょっと」のなかに『さわって・変わって』も含まれている。

YouTubeで検索してひさしぶりに聴いてみるとともに、歌詞も読んでみた。
そういえばカラオケで歌うためにこの歌詞を読んだことはあっても、意味や解釈を深く考えたことはなかった。

∽∽∽

『さわって・変わって』の歌詞は、野球を表しているらしいとのおもしろい考察をみかけた。
草野さんは福岡県出身でホークスファン。(歌詞にも天神駅が出てくる)。
「さわって・変わって」はタッチアウト、チェンジのこと。
わたしがこの曲を思い出すきっかけとなった「3連敗のち3連勝」もペナントレースや日本シリーズで起きる話。
「転がる玉を止めて」は守備のこと。
…たしかに、野球しっくりくる!ホークスの応援歌!

野球のほかには、「君」が出てくることから恋愛の歌ではないかとの考察もみられた。それもうなずける。「愛」や「花」や「春」は、色恋のお話でよくある表現だ。

でもわたしはこの曲に、野球でも恋愛でもない、別の景色をみた。

∽∽∽

街でショーウィンドウの前を通るとき、鏡のように自分が映る。
鏡の前には自分が映ることを意識して立つものだけれど、ショーウィンドウの前を通りすぎるときはとくに映ることを意識していない。

だからこそ、自分をどこか他人目線でみているような、あるいは他人をみているような感覚になるのはわたしだけだろうか。

わたしの場合は夢も自分目線ではない。
自分が登場しているドラマを視聴している形で、夢に自分の姿がある。

夢のみえ方と関連があるかどうか定かでないが、ふとした瞬間に、「今ここにいる自分」がショーウィンドウに映る自分のようにみえるときがある。
幽体離脱はしていないはずだけど。

『さわって・変わって』に話を戻すと、この曲の「君」は自分のことをいっているのではないかと感じたのだ。

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駅の改札口で、おそらくよれた笑顔を浮かべているであろう自分。
うまくいかないやるせなさや悩みがタコの足のようにからまって「苦しい」からこそ、生きていることを実感する。
逆に調子がよいときには「生」を実感しにくいものだと、皮肉っぽくも感じる。

3連敗して「もういいや」って諦めちゃいたいけど諦める勇気もなく、もがいていたら3連勝して、みえる景色が一段パッと明るくなる。
人のやさしさも、ちょっとした幸せもないような暗い冬にも、ちょっとずつ春が忍び寄ってきて、いつかやさしい風が吹く

いいことも悪いことも、心にふれる(さわる)できごとがあるから、変わっていく。
みんな言葉ではなんとでも勝手なことをいうけれども、結局自分の心にふれたこと、内からわいて出る喜びや苦しみこそが自分を生かす力である。


つまりこの曲は、うまくいかない自分を客観的にみつめる自分、うまくいかなかったときを乗り越えた未来の自分からのエールじゃないかなって。

今のわたしは何連敗中かわからないし、この先また連敗を重ねるかもわからないけれど、こらえれば連勝できると信じるのみ。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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