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二度と会わないであろう人たちとの再会

またの話題で申し訳ないのだが、友人の結婚式が近づいている。
わたしは新婦の友人だ。
転勤でここに引っ越してくる前に住んでいた街で出会った飲み友だちである。

入口は飲み友だちだが、一緒に旅行も行ったしボディビルの大会も観に行ったし、つらいときは互いにグチをこぼしてときには涙したし、「単なる飲み友だち」の域を超えた仲だとわたしは認識している。

わたしがこっちに越してきて1年半弱になるから、もうそれぐらい会っていない。連絡はちょこちょこ取っているけれど。

それでも彼女がいちばんの仲良しなのだから、それ以外の飲み友だちだった人たちとはもっと疎遠になっている。
年に1度、連絡するかしないか…。

一度転勤でその地を離れてしまうと、当時どんなに仲良くしていたとしても、会うこともなくなってしまえば連絡も取らなくなるのがセオリーだ。

わたしはSNSもほとんどしていないから、というかSNSでリアルな友人とは意図的につながらないようにしているから、SNSで互いの近況を知ることもない。

彼女の結婚式を機に、ほんのひと握りだが顔なじみだった人たちと顔を合わせることになる。

同じテーブルに座る面々を思い浮かべて、すこし心がざわついた。

∽∽∽

転勤が決まり、お世話になった人たちには区切りとして最後、ごあいさつをするのだが、そのときの反応はざっくり2パターンに分かれる。

「こっちに来るときは連絡してくださいね」
「そっちに行くときは連絡しますね」

社交辞令というか、本音なのかもしれないけれど、本音だとしたら前者はちょっと引っかかりを感じざるをえない。

「ああ、あなたがこちらに来てまで会おうという意思はないのだね」と。

ひねくれた解釈をしてしまう自分にほとほと哀しみさえおぼえるのだが、別れを多く重ねているうちに身についてしまった。
地元ならまだわかる。
しかし地元でもない土地に、用があって行くことなど滅多になかろう。
「こっちに来ることなんてないだろうけれど、一応ね」って、そこまでわかっての発言なら、いっそ言わないでくれたほうがスッキリする。

後者にしても、次の赴任先はよほど観光地が近いとか、交通の便がよい地なら「そっちに行くとき」は訪れるのかもしれないが、ごくふつうの田舎町に誰がわざわざ会いに来るのだ。

本当に来てくれた人は、ただひとりしかいない。
…今度の結婚式に呼んでくれた彼女だ。

「え、そんな田舎なら行くのだるいし、こっち来ることもほとんどないだろうから、今度旅行行こう、現地集合で」とかバッサリ言ってくれる人もなかにはいて、そのほうが清々しい。

実際、現地集合でディズニーランドに行ったことならある。

∽∽∽

こういう小さなところが引っかかるものだから、自分も嘘になってしまうような発言はしたくないと妙にこだわってしまう。

だから「こちらに来るときは連絡しますね」とも「こちらに来るときは連絡してくださいね」とも言わない。

今までありがとうございました。
またどこかで会えたら嬉しいです。

それだけ。
それさえ本当にまた会いたい人にしか言わない。

今度結婚式で同じテーブルに座る6名のうち、本当に会いたいし、自分から誕生日などに連絡をとっている人は2人。

まったくしなくてよい心配だが、それ以外の4人は、おそらくそれが人生で顔を合わせる最後になるだろう。
わたしはどんな顔をしてどんな話をして過ごせばよいのだ。

…同窓会気分?
同窓会など参加したことがないし、なんならたぶん呼ばれてもいない。
呼ばれてもたぶん、行かない。

会いたい人がいれば直接連絡を取って会いに行っている。

ああ考えすぎて面倒くさい自分だ。

∽∽∽

わたしは心の小さな人間なので、大切にできる人の数が限られている。
そしてわたしは考え方こそひねくれているが、人に対してはまっすぐでありたいと思っている。

突然やってきた「もう二度と会うことがないであろう人たちと会う機会」に、ちょっとばかり心を乱されている。
上辺だけで中身のない会話も昔話も苦手だ。

そうね、おいしいお食事に集中しよう。
新郎新婦のお祝いに集中しよう。
いつも聞き流していた(失礼)スピーチも、仕事目線でなにか得るものがあるかもしれない。

そうか、同卓の人たちとの会話も取材の練習と思えばいいか。
会いたかった2人とは、しっかりお話ししてこよう。

滅多にないこんなチャンスを自分の糧にしよう。
そう思って過ごそう。
どうか楽しめますように。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたがまた会いたい人は誰ですか?

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