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いま、出会うべきだった『西の魔女が死んだ/梨木香歩』

本当に今さらなのですが『西の魔女が死んだ』を読みました。
もう大多数の本好きにとっては小学生、中学生で読んでいるであろう名作中の名作です。偉大な児童文学作品。
むしろ本が好きな人で知らない人のほうがめずらしいのでは…というぐらい。

読むきっかけは本当に些細で、この前図書館に行ったときにたまたま見つけたんですよ。
図書館によく行く人はわかると思うのだけど、必ず返却されたばかりの本を集めたコーナーや棚が用意されているじゃないですか。
たまたまそこをちらっと見たらあったんですよ。そういえば読んでいなかったなと。
そして、そろそろ読んでもいいんじゃないかなと。
Twitterで読書好きな人たちがやっている「名刺代わりの10冊」タグとかあるじゃないですか。
それによく出てくるぐらい有名できっと大きな影響を与える作品。
そういう名作であることはわかっていたんです。昔から知っていた。それこそ小学生ぐらいから。
毎年夏休み前になると読書感想文でおすすめの本とかが一覧で図書室に貼り出されたりするじゃないですか。
ああいうので存在は知っていたんです。
ただ、これは本当に。本当に良くないところだと思うんですけど、いわゆるあまのじゃく気質というか逆張り気質なところがあり、なんか知らんけど色んな人がおすすめしてくるから読みたくないみたいなマジでつまらない意地を張ってたんですよね。
あー、思春期は黒歴史オンパレードだな!
妙な意地を張っていて読んでなかった。

でも私はその人にはその人のなかで本はそれぞれ出会うべき時期というものがあると思ってる。
この『西の魔女が死んだ』も主人公のまいと同じぐらいの年齢で読んでいたら、こうも心に響いたかどうかはわからない。
たしかに魔女ことおばあちゃんの暮らしぶりはノスタルジーや自然の様子がとても素敵で、その部分には感動はしただろうけど、まいの葛藤やおばあちゃんの言葉の意味を咀嚼して理解はできなかったんじゃないかなと思う。
クラスのグループ行動になじめなかったまいが、グループ行動をすることで得られる一種の安心感と一匹狼として過ごせなかったこと強さを天秤にかけて嘆く場面があるのだけど、ここのおばあちゃんのセリフなんかは、たぶん思春期だとわからなかった。

その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか

p162『西の魔女は死んだ』

こういう白黒はっきりつけない、一度決めたことを守り続ける必要はなくてその時その時で自分にとって過ごしやすい環境を選んでいいというセリフは、思春期特有の妙な潔癖さの前では響かなかったように思う。
だから児童文学の名著であり、色んな少女や少年を優しく撫で、包んできた『西の魔女が死んだ』が私にとって必要なタイミングは今ここだったんだなと思う。
だから大人が児童文学を読むなんて子どもっぽいとか恥ずかしいとか、そういう見方自体がナンセンスだと思う。
いくつになっても「かいけつゾロリ」シリーズや「チョコレート戦争」や「ふたりのロッテ」や「モモ」を読んだっていい。だっておもしろいんだもの。


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