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縛りつけるそれを解いて『たてがみを捨てたライオンたち/白岩玄』

昨今、よく話される男性の生きづらさについて書かれた本。
『たてがみを捨てたライオンたち』を読んだ。著者の白岩玄さんはあの『野ブタ。をプロデュース』を書いた作家さんと言えば、あの人かー!と納得してくれる人も多いと思う。


30歳出版社社員、直樹・35歳広告マン、慎一・25歳公務員、幸太郎
いつのまにか「大人の男」になってしまった3人、弱音も吐けない日々に、モヤモヤは大きくなるばかり。幸せに生きるために、はたして男の「たてがみ」は必要か?

集英社文芸ステーション

『そう。オスのライオンって、頭の周りにたてがみが生えてるでしょ?あれって自分の強さを誇示するためにあるらしいの。メスにアピールしたり、別のオスに対して牽制したりするのに使っているわけ。人間のオスも同じなのよ。本人は気づいていないことが多いけど、大抵の男の人には『見えないたてがみ』が生えてるの」

「それは経済力とか、肩書とか、学歴とか、運動神経、あるいは仕事ができるかどうかだったりもするんだけど、その人他人よりも勝ってると思ってるところを見つけ出して肯定してあげると―つまりはそれがたてがみなんだけど―男の人はリラックスするの。口に出して褒めなくても、心の中で受け入れるだけでいいのよ。それだけで男の人って居心地がよくなるものなの」

『たてがみを捨てたライオンたち/白岩玄』p101

作中に出てくる登場人物の一人、慎一の元妻である葵が言った言葉だ。
このセリフを読んで、男性同士の会話を聞いていて感じていたぎこちなさみたいなのはこれだったのかと腑に落ちた。
男性らしさの中身であるあれこれに縛られて、がんじがらめになっている人のつらさ。
それは自分の弱音やつらさを知覚することすらできずに胸のうちに巣食うあれこれを女性たちにぶつけているという哀しいライオンの姿があった。
ただ3人の結末がみんな自分に絡みつく、自分を蝕む男らしさを自ら剥ぎ取っていく様子は希望があって救われた。
直樹は取材で出会った専業主夫さん、実父とは決別し元妻の母の墓参りをした慎一、幸太郎は職場にいる男性アイドルが好きな綿貫さんと。
それぞれ連帯したり、行動を起こしたりしていて自分を縛り付ける男らしさから抜け出そうとしている。

男性は男らしさという尺度でジャッジされつづけている。これは女性もそう。
女性もありとあらゆる女性らしさで社会からジャッジされている。
ただ男性と女性の大きな違いは、それらで受ける傷について女性同士は互いに愚痴ったりしてケアをし合うことに対し、男性はそういったことをしないのではないかということだ。
そもそも男性はそういう傷つきや息苦しさを自分で認知できているのだろうか。
ただなんかもやもやするとか不満が募るとか、自分の感情の細分化やその感情がどこからくるのか分析できる人って少ない気もする。
自分が知らないだけなら申し訳ないけれど。

男性同士で弱い部分をさらけ出してなぐさめ合うこと、連帯することができるようになれば世に蔓延するマッチョな男性観に疲弊している人の力になれるのではないだろうか。
だって女性にそれができているのだから男性ができないわけはないと思う。
もちろん女性がそれでガス抜きができているからいいだろ、という話ではない。
凝り固まった『らしさ』に疲れている人、苦しんでいる人はたくさんいる。
日々そういう感覚に襲われている人ほど本作を読んでほしい。


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