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性差(ジェンダー)の日本史(熱い感想文)

もう終わってしまった企画ですが、行ってきたので感想を記録。

企画は二つの展示室に分かれていて、展示室Aでは古代から近代までの日本のジェンダーの成り立ちと変化を、展示室Bでは性の売買の日本史と展示室Aの続きを現代まで扱っていた。それぞれの展示室を見て、直後の感情高ぶった感想と、少し時間をおいて落ち着いて図録を読みながら考えたことをまとめた。

時の流れに浮かんでは消える無数の事実を指す「歴」と、それを文字で記した「史」。日本列島社会の長い歴史のなかで、「歴」として存在しながら「史」に記録されることの少なかった女性たちの姿を掘り起こす女性史研究を経て、新たに生まれてきたのが、「なぜ、男女で区分するようになったのか?」「男女の区分のなかで人びとはどう生きてきたのか?」という問いでした。本展は、重要文化財やユネスコ「世界の記憶」を含む280点以上の資料を通して、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う、歴史展示です。 (サイトより引用)

図録も買いました。

展示室Aの第一印象

古墳時代、律令国家、中世、近世と時代が流れ制度が整っていくにつれて女性が公の場から徐々に排除されていく様子が悔しく、恐ろしかった。

私は今ある自由を絶対に手放さないぞ、と強く思った。

一方でこれまで知らなかった過去の女性の生き方にもふれることが出来た。

例えば鎌倉時代には女性は独立して財産権を持っていたこと。史料では、ある女性が父親から土地を受け継ぎ、しばらくして女性本人がその土地を売却し、別の女性が購入したことが紹介されていた。(図録94頁)文書上でも女性同士の土地の売買記録が残っていることに感動した。

中世には、母から娘(養女)へと職業上の地位が受け継がれたり、女性を主体とする業界もあったこと。(図録110頁)

あとこれは展示室Bの範囲だけど、遊女が家長として家計を担い、その家業が女系で伝わっていたこと。これも中世のこと。(図録180頁)

そしてやっぱり清少納言の分析はキレッキレだった。彼女がもし現代にいたらどんなエッセイを書くんだろうか、ぜひ読んでみたいと思った。

展示室Bの第一印象

「性の売買と社会」の展示を見ながら内心はキレまくっていて、自分がメデューサになるんじゃないかと思った。

明治時代の芸娼技解放令、セックスワーカーの女性は全然解放されてない。名前が変わっただけで、権利や自由が保障されてないのはそのままだ。というか、理不尽なフリーランス契約を他に選択肢のない人に「自由意志」で結ばせるってなんて詭弁なんだろう。

日本人の女性でさえこんなにひどい扱いを受けていたのだから、日本が侵略や植民地化したアジアの女性はもっと過酷な状況にいたことは容易に想像できる。制度や書類上は彼女たちが自分で選んだことになっているから日本には責任がないなんてどうしたら言えるだろうか。(慰安婦問題を念頭に置いた感想です。)

怒りでめまいがするってこういうことなんだなと思った展示は、「娼妓になる儀式」の部分(図録220頁)。初めて客を取る前の儀式はすごく暴力的で屈辱感のあるものだと思うし、セックスワークに従事することを「畜生界に身を入れる」と意味づけるなんて職業差別、性差別も甚だしい。

信じられない、許せない、と感じながら見た展示が多かった。

紹介されている女性たちをぐっと身近に感じたのは、戦後すぐの時期に女性と子供の労働環境の改善に尽力したミード・スミス・カラスさんと日本の自治体の女性職員たちのやり取りした手紙を見た時だった。

日本語の手紙を見た時は達筆だし硬い文体だったのでなんとなく昔の人、大人の人だなぁという印象で距離を感じた。でも女性職員が英語で書いた手紙もあって、その手書きの文字や簡潔な英文が私の書くものとそう変わらなくて驚いた。

うろ覚えだけど、「スミスさん、クリスマスプレゼントありがとう。実は届いた時に熱が出ていたんだけど、スミスさんから荷物が届いてすごく嬉しかった」みたいな書き出しで、一気に親近感がわいた。

同じ親近感を、日々の食事を詳細に記録した遊女の日記を読んだ時にも感じた。私も記録魔だから。(ご飯の記録を残してたからって食いしん坊とは限らないと思ったけど。自分の個人的な日記が後世でどう解釈・展示されるかわからないのは面白くも怖くもある。)

いつの時代でも、声をあげて行動を起こした女性たちはきっと私とあまりかわらない人達だったんだろうと思った。驚異的に優秀だったり肉体的に強靭だったりしたわけではなくて、お腹は空くし熱も出る。「女性の権利と自由のために尽くした女性たち」を概念として理解するのではなく、実際に生身を持って生きていた女性たちの記録として触れられて良かった。

落ち着いて図録を読んだ後の感想

企画では「男女の区分のなかで人びとはどう生きてきたのか?」については女性に焦点を当てて紹介されていた。一方で「なぜ、男女で区分するようになったのか?」についてははっきりしなかったように感じた。

どのような変化があったのかはわかったけれど「なぜそうなったか」の部分について、私ははわからないままだった。複合的な要因があるのだろうし、それが知りたければ論文を沢山読んで研究者になろう、ってことなのだろうが。疑問は二点。

一つ目は、なぜ時代が進んで制度が洗練されるにつれて女性が社会で周縁化されていったのかということ。

古墳時代に朝鮮半島を巡る緊張が高まりを受け、戦闘において肉体的に有利な男性のリーダーが増えたり、古代中国の官爵体系で将軍に任命される男性が対外的な序列で優位になったりするのはまだわかる。その後も、同じく大陸から取り入れられた律令体制が男性中心だったために、朝廷でも制度上は男性だけが官職に就くというのも同じような流れだったのだろう。

私がひっかかったのは、体格差が重要でなくなってからも男性優位な傾向が続いた理由だ。リーダーに肉体的な強靭さが求められそうな戦国時代より、情勢が落ち着いて武士でさえ戦闘に従事しなくなった江戸時代の方が女性の地位が低くなるのはなぜなのだろう。一体どういう理屈で女性を劣ったものだと解釈したのだろう。

私の想像はこうだ。制度が洗練されるにつれどんどん女性が公的な立場や政治の場から排除されていく、その過程にはパターンがあるように思った。まずはそれまでの肩書が奪われる。この段階では実際には肩書がなくなっただけで実態は変わらない。実質的には同じ立場だかそれを保障する肩書が消える。それからしばらくすると公式な立場に合わせるように、これまで可能だった業務や権利が奪われる。

肩書を奪う時は「実際にはこれまでと変わらない。公式の呼称がわかるだけ」のような言い方で丸め込み、次の段階では「公式の立場に実態があっていないのはおかしい」という理屈で抑え込む。

たちが悪いと思ったのは、この排除の過程が必ずしも一世代の間で完結していないこと。何世代か、場合によっては数百年かけてじわじわと進む。最初は本当に「肩書がなくなるだけ」だったとしても何代にも渡って女性の公式の立場が男性よりも低い状態が続けば、「女性が男性より一段下にいるのが自然、道理である」という意識が刷り込まれ、いつの間にか「立場の違う女性が同じだけの裁量を持つのはおかしい」に変わる。その変化が緩やかだと排除される側もその流れのおかしさに気づくことが出来ない。こうして女性は周縁化される。

二つ目の疑問は男性の生活の様子と行動の理由についてだ。

常設展も見ればわかったのかもしれないけれど、例えば生活に困窮して遊女になる女性と同じ階層の男性の暮らしぶりはどんなものだったのだろう。あるいは、江戸の大店で働く独身男性はどんな暮らしだったのか?

もう一つずっと気になっているのが、なぜ買春に寛容だったのか。なぜ人気があったのかということ。江戸は独身男性が過多だったから?ホモソーシャルプレッシャー?なんで?性的なサービスを売買すること自体が悪いことだと考えているのではなくて、特定の時代・地域で売買春が盛んな理由はなんだろう、という疑問。

男性の言動の中で一番衝撃だったのは、明治政府の介入で宮中の女官が全員免職されたという展示での史料。これを主導した吉井友実の日記の「『女権』がこの日に一挙に解消され、愉快極まりない」という記述。(図録172頁)あまりに露骨なミソジニー発言だと驚いたんだけど、何があってこういう思考回路になるのか気になった。当時だと当たり前の感覚なのだろうか。

「男女の区分」で見えてくるもの、なかったことにされるもの

男女を二分した構造の中で、不利な立場にいた女性に焦点を当てることで見えてくることがあるのは否定できない。これまでの「主流」「当たり前」が男性中心だったために記録では「いなかったことにされていた」女性の存在と役割を語る展示、それがこの企画のコンセプトだろう。

とはいえいつの時代にも「男か女か」の二項対立の構図に当てはまらない人達がいたのも確かだ。そして男女の区分の外に出た/出された人達だって女性と同様に「いなかったことにされていた」のだ。

男女を二分して考える性差(ジェンダー)の展示を企画する時に、そもそもこの区分に当てはまらない人達をハイライトすると「コンセプトがぶれる」「論点が複数あると混乱する」という懸念が出てくるのも理解できる。でも実際に当てはまらない人はいたんだし、今もいる。

この展示を作り上げた専門家の方々もこの点をきっとわかっていて、それでも諸事情を考慮して取り上げないという選択をしたんだと想像する。わかりやすさとジェンダーの複雑さのバランスはとても難しいものだっただろう。
それでも私は展示のどこかで「男女を二分して考えること、それさえも決して自明のものではないこと」をほんの少しでも紹介することができていたらと思った。

こうして注文をつけたりしているけれど、歴史民俗博物館の企画展示でジェンダーを取り上げるのは初めてということなので、きっとこれからの展示で発展があるんだろうと思う。今回の展示は古代から現代まで、さらに複数のテーマを扱った欲張っていて意欲的な展示だったと思う。図録も大充実の内容だった。この企画展示に関わったみなさま、とてもおもしろい展示をありがとうございました。

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