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今日ときめいた言葉15ー「自然の時間」と「レンタルさん」、孤独感から人々を救うのはどちらだろうか?

(2023年1月6日付 朝日新聞「ほっと幸せ『自然な時間』」霊長類学者 山極寿一氏の言葉)
(2023年1月7日付 朝日新聞「ともしび わたしのよりどころ」ーなんもしない 頼り頼られーから)

社会が不安だらけになっているのは、「時間の使い方」に問題があるからであると山極氏は言う。

人類は、本来「自然の時間」の中で過ごしてきた。
「自由に動き、集まり、自分と違うものと対話することで、違う視点を得て、自分や社会の未来を作ってきた」

だが産業革命以後、時間を管理して効率的に使う思想が生まれると、「工業的な時間」に追い立てられるようになり、人と付き合うことを忘れてしまったと言う。

1980年代になると、「自己実現」「自己責任」と言う言葉の流行により、人びとは人に頼ることをやめてしまい、孤立感が深まった。

山極氏は、「人類の進化の過程をみると、時間とは本来、他者と共有するものであった」と言う。アフリカの狩猟採集民は、家や道具や食糧を互いに共有しあって生き、幸福感を得ていると。

現代社会は、多くの人が職場と家の往復で生産的な時間を離れて自然な時間を持つ機会が少ない。もっと交流する機会が必要だ。手を差し伸べて、一緒に何かをする。「頼る」「迷惑をかける」「弱みを見せる」、生産的でない時間を共有できる契機を作ることが大切なのだと。

今、情報にばかり頼って自分の時間を生きているので、情緒的な社会性が鈍っているという。特に都市では交流が少ない。地縁、血縁、社縁などの関係性が閉じてしまえば当然行き詰まって苦しくなる。

山極氏は「スマホやSNSを使って、しがらみのない、入りやすく出やすい新しい縁で共助を復活させること」を提唱している。

農耕牧畜が定住と所有、貯蓄を作り出し、弱者強者を生み出した。これからは、シェア(共有)とコモン(共有財)を拡大させ、共助の時代になる。低成長期の社会は、多拠点居住、多業、兼業がポイントになると言う。


人類の進化の過程では、確かに人々は時間を共有し、共同生活を営んできた。そうしないと生き残れなかったからだ。でもその過程で人々は幸福な時間だけを過ごしたわけではない。共同体を優先し、個が押し潰されたり、共同体から排除されたりしてきた悲しい歴史もある。

そこに光を当て、その苦しみや悲しさを題材にした文学も多い。近代的自我の萌芽というものだろうか。「地縁、血縁、社縁」の関係性が強い社会を望む人とそれを望まない人がいると思う。私は前者のような社会には居心地の悪さを感じてしまう人間である。

だが、どちらの社会にいても心地よく暮らせるのが理想だ。自己責任などと言う言葉で人が疎外されてしまい、一人孤独感を抱えて生きるのはあまりに悲しい。

山極氏は「もっと『頼る』『迷惑をかける』『弱みを見せる』ことで生産的でない時間を共有できる契機を相手に作ってあげる」ことが大切だと言う。

この言葉にはどうも違和感を感じてしまう。それができる人とできない人、それを望まない人、またそんな人に寄り添えない人あるいは寄り添って欲しくない人が現実にはいると思うからだ。そのような濃厚な関係こそが息苦しいと感じる人もいると思うからだ。

2023年1月7日付朝日新聞「ともしび よりどころ」の記事は、「なんのしがらみもない人が問題を抱える人の要望に応じて対応することをなりわいにしている」=「レンタルさん」の記事があった。例えば、「時給何がしかで愚痴を聞いてあげる」とか「一緒に居酒屋に行ってあげる」とか。レンタルさんは基本何もしない。黙って話を聞くだけだ。

悩みを抱えている方は、知人などに相談するよりも見ず知らずの人に話した方がその後、気が楽だと言う。嫌だと思えばもう会わなければいいのだから。知人ではそうはいかない。関係性が変わってしまうことがあると。弱いつながりだからこそできることがある。

「案外、SNS世代は孤立してしまっているというのが正しい実態。お金を出してまで外部サービスに頼ろうとするのは必然の流れです」と語る学者もいる(芝浦工大 原田曜平氏)

さて現代を生きる人々の抱える孤立感、孤独感はどう対処すればいいのか?山極氏の言うように時間を共有し、濃密な関係を築くことだろうか?それとも「レンタルさん」をいろいろ活用しながら「弱いつながり」の人間関係を保っていくことだろうか?「私たちには人間関係をカスタマイズする能力が求められている」そうだ(上記記事 早大 石田光規氏)




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