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今日ときめいた言葉76ー「誤解を与えた」「重く受け止める」‥‥それ、謝罪ですか?うわべだけの「フェイク謝罪?」

(2023年9月14日付朝日新聞 オピニオン&フォーラム「それ、謝罪ですか」から)

ちょっと前の記事に、謝罪することを忌避する日本の政治家について書いた。

朝日新聞のこの記事でも、日本人及び日本の政治家の謝罪のあり方について、三氏が語っている。

劇作家 古川健氏は、日本人は戦争責任について「事態を引き起こしたのが自分だという自覚がない」と言う。そのことが現在にまでつながっている。自らの責任に向き合うことでしか責任は取りようがないのに、「しかたがなかった」と言って責任逃れをしていると。

古川氏は、森友学園の公文書改ざん問題で安倍晋三元首相が言った「最終的な責任は私にある」という発言を引いて、この言葉を強調すればするほど部下がやったことで自分には直接の責任はないと弁明しているのと同じだと言う。

「原因を究明し、問題の所在を検証し、再発防止策を明らかにする」のがトップの責任のはずなのに、儀礼的な釈明や更迭で済ませてしまっている。だから同じ過ちが繰り返されるのだと。

言語学者のアン・クレーシニ氏は、アメリカでは訴訟リスクが高いので謝ることには慎重であると言う。だがアメリカの政治家やリーダーは「誤解を与えたとすれば申し訳ない」という言い方はしないし、本当に自分の行動が悪かったと納得した場合は、きちんと謝るのが普通だ、と。

リーダーは自分の責任を国民に示して説明し、好き勝手ややりたい放題を防ぐことが大切だと言っている。

ジャーナリストのデイビッド・マクニール氏は、「政治家や企業トップが、あいまいな釈明の言葉で済ませてしまえる背景には、日本メディアが抱える問題がある」と指摘する。

首相官邸での会見など質疑のキャッチボールがほとんどないそうだ。日本の記者の質問は形式的で鋭い追求もない。厳しい質問を重ねた記者に対してマクニール氏なら国民の付託に応えていると思うのだが、日本の記者クラブではルールや和を乱した人として扱われてしまうらしい。

日本の記者クラブは閉鎖的で、外国プレスやフリーランスは部外者で、役人の方が「同僚」のように近しい関係のようだとか。日本の記者は、権力におもね過ぎているとも。「アクセスジャーナリズム」=オフレコでリークしてもらう手法。これに頼り過ぎているから表では批判や追求をしない。

このような対応は政治家に対してばかりでない。今回のジャニーズ問題についても厳しい質問をしたのはフリーの記者や外国メディアがほとんどで主要メディアは「重く受け止めます」というありきたりのコメントだったそうだ。

会見での甘さは日本の記者独特の体質(仲間意識・内向き)によることばかりでなく、前述の構造的な問題にも起因していると指摘する。旧統一協会と自民党の問題も同様でメディアは不作為の責任を問われていると言う。「なぜ見て見ぬふり」が続いたのか?問題点を検証して再発防止策を練るべきだと。


「再発防止策」という言葉、どれほど繰り返し言われてきただろう。日本という国は、自ら変われない国のようだ。変化が起きる時は、いつだって外圧だった。今回のジャニーズ問題だってBBCが報じたことで大きな問題になった。国連人権問題委員会までやってきて。

日本の記者団、テレビで見ていても首相や大臣に対する態度は卑屈なくらい萎縮して見える。戦時下に戦争協力したメディアの体質と変わっていないのでは。

今回の政府の放送への政治介入についても、憲法違反であると放送局側はなぜ語らないのかと元BPO委員の是枝裕和監督が苦言を呈している(2023年5月18日付朝日新聞「放送人 政治介入をなぜ語らないのか」)放送局側は萎縮して自己規制しているが、それはひいては、市民の知る権利を奪うことであると。表現の自由度も世界のランキングの下位に属している。

また「しかたがない」で済ませるのだろうか!


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