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子育て・・・その煩わしく、腹立たしく、ストレスフルな行為、でも今頃限りなく愛おしく思う

はじめに

ママチャリの前と後ろに子供を乗せて、すれ違うお母さんに出会うと「偉いなあ」と思って、いつまでも目で追ってしまう。日本のお母さん❣️本当に頑張っていると思う。「ワンオペ」などと言う言葉通り、孤軍奮闘しているお母さんも多いことだろう。

かたや幼児の虐待死の多いこと。それも生まれてすぐとか3ヶ月とか。胸が痛む話ばかり。子育ては、やってる最中は楽しむ余裕がなく、後になって懐かしく思い出す。だから今、子育てを楽しめている人は人間ができている人だと思う。

長女が「子育てをしてpatience忍耐を学んだ」と言っていた。4人を育てている彼女の言葉には、重みを感じる。そして「一番上の子にもっと優しくしてあげればよかった」とも。この感情すごく理解できる。第一子の時には、心の余裕がなくて、待ってあげられなかったり、じっくり向き合ってあげなかったりと、思い出せば後悔ばかりだ。


子育ての思い出

拙文「若き日の思い出」にも書いたけど、私はマレーシア・サラワク州(ボルネオ島)で3人の娘を出産し、子育てをした。東京にいた頃は、子供など全く興味がなかった。子育てママに優しくないこんな都会で、子供を育てることに疑問を持っていたからだ。

だから第一子を妊娠した時は、正直言ってショックだった。仕事もしていたし、これからと言う矢先の事件だった。その事実が受け入れられず、涙がこぼれて仕方なかった。医療体制もままならないこの島で、不承不承、出産を決意し、どんな子が生まれても、私の身に何かあっても受け入れようと夫と話し合った。

シンガポールのデパートで夫がマタニティードレスを買ってきた。徐々に子供を産むと言う実感が湧いてきた。ここには、小さな日本人コミュニティがあって、駐在員の妻たちが集っていたようだが、昼間は仕事で時間が取れなかったので、私には「ママ友」と呼べる人はいなかった。

これが幸いしたと思う。出産・子育てに関する情報が全くなかったことが、かえってよかった。今の時代、情報があふれていて、情報過多で選択に迷ったり、他人と比べて不安になったりするくらいなら、何も無い方がむしろ精神の安定にはよかったと思っている。

私が頼ったのは 

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               (Wikipedia から転載)

「ドクター・スポックの育児書」(The Common Sense Book of Baby and Child Care)当時現地の本屋で唯一手に入れられた本だ。今ではいろいろ問題点や誤りが指摘されたりしているようだが、我が子はこれで十分に育った、と思っている。

当時、日本では松田道雄の「育児百科」が主流だったようだが、この本は赤ちゃんまずありきで、母親に多くのことが求められているようで、私には負担に思えた。だから義姉にお古をもらったけど、スポック博士の本と比較する時に使ったくらいだった。

スポック博士の本が私に一番アピールしたのは、「子育ては、まず自分自身を第一に考えなさい」(と言っていたと思う。そう記憶している。私の勝手な思い込みかもしれないけど)と言うことだった。正確な文章は忘れたけど、子育ては母親の上に乗っているものだから、まず自分のことを考えなさいと言うようなことが書かれていたと思う。

これは子供を中心に考える他の育児書との大きな違いだった。子供にとって、どんなに良いことでも母親がそれを負担に思ったり苦痛だったら、やらない方がいいと勝手に解釈していた(そもそもそんな考え方は許容されないだろうが、私はそう考えることで、心のバランスを保った)

今の育児では否定されている「うつぶせ」に寝かせていた。小さく生まれた我が子は、内臓が疲弊し易くうまく消化できないせいか、夜になるとお腹がガスでパンパンになる、いわゆる「colicコリック」に苦しんだ。そのためうつ伏せに寝かせた方がよく眠ってくれたからだ。

最初の子には、哺乳瓶を煮沸したり、神経をとがらせたけど2人目3人目ともなるとかなり手を抜いた。日本のお母さんには申し訳ないのだけれど、うちには住み込みのお手伝いさんがいた。当時は紙おむつなどなかったから、彼女の助けがなかったら十数枚の布おむつを洗ってアイロンをかけるなんてことはできなかった。

洗濯物に寄生虫などが付着している可能性があったので、アイロンかけは必須だったのだ。(私は、タンザニアで寄生バエに、体に卵を産みつけられた経験がある。皮膚の下で成長し、やがて皮膚を食い破って頭を出す。それを見た時は鳥肌が立った。4〜5ヶ所から頭を出しているのを針で1匹ずつ取り出した)

母乳だって、それが一番いいことは分かっていたけど、どのくらい飲んだのか目で確認できないことが不安だった。せめて3ヶ月は飲ませようと思ったけど、仕事との兼ね合いもあって、我慢のできない私は粉ミルクとの混合に切り替えた。

easyな方にすぐ流れる私です。こんな私なので「子育てをした」と大きな声ではとても言えない(娘達は私と違い完全母乳で育てたようだ。長女は4人、二女は3人とも9ヶ月間。フルタイムで働いている間は、搾乳した母乳を冷凍して保育園に届けていたようだ)

おんぶ紐でおんぶしたこともほとんどない。熱帯地帯では体温上昇につながる危険な行為だったから、いつも夫が背負子で背負っていた。子供には背中合わせで、周りが見えて快適だったようだ。

日本に一時帰国した時に、ある店の男性店主に「男に子供を背負わせるもんじゃない」と言われた。そう言えば、成田エクスプレス車内の出張帰りのサラリーマン達の子連れ親子に対する冷たい視線が、忘れられない。

外国旅行した時の記憶が蘇る。飛行機が着陸態勢に入った時、気圧の不快感からか娘が大声で泣き出した。何をしても泣き止まぬ娘を抱え、シートベルト装着で動くこともできず、消えてしまいたい思いだった。飛行機がタッチダウンした時、機内から一斉に拍手が起こった。「ああ、みんな理解していてくれたんだ」😭😭みんな笑顔で送り出してくれた。

離乳食は自宅ではバナナとヨーグルトと瓶詰めの離乳食、保育園のporridgeお粥(たくさんの野菜とお米をコトコト煮たもの)にずいぶんお世話になった。離乳食作りに時間をかけるなら、子供と遊ぶ時間に当てなさいと誰かが言っていたからそうしていた。


今思うこと

私の子育て経験は、日本のお母さんには全く参考にならない。むしろ無謀すぎてひんしゅくを買いそうだ。でも「こんな育て方でも子供は育つんだ」と安心してもらおうと。育て方に王道はない。自分の常識と心の状態に相談しながらやればいいと思う。

大概のことは、本を読んだり、勉強したりして習得できる。でも子育てから得るsensation 感覚・気持ち・感情は、勉強では体得することができない。私は、この煩わしく、時には腹立たしくもある子育てを通して、形にならない、一言で表現できない感覚を植え付けられた。子供に多くのことを教えられた。今思うことは、子育てをもっと楽しめばよかったということだ。



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