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ドラマ「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」ー 美しいラブストーリーだけではないEmpowerment とEmpathyの話でもある🤔(ネタバレだけ)

(タイトル写真は、www.Disneyplus.comから転載)

2人のラブストーリー部分を見ているだけなら、本当に美しく楽しい。ジナを演じるソン・イェジンが題名の通り綺麗で可愛いくて、「愛の不時着」のユン・セリよりずっと魅力的だと思う。

そして相手のジュニという男性がまた素敵だ。真っ直ぐで、ひたむきで。2人で戯れるシーンは絵のようです。2人の仲が徐々に近づいていく様子が丁寧に描かれていて、飲み屋のテーブルの下でジナがジュニの手を握りジュニがジナの手を握り返すシーンは2人の想いが通じ合った瞬間でした。

でも、その甘いストーリーの合間に入る会社の問題シーンとジナの家族取り分け母親の醜い言動シーンは、うんざりするほど暗く重かった😢

我々が今いるのと同時代の話なの、と疑ってしまう。韓国社会では、未だに結婚適齢期に親がこだわって、娘にプレッシャーかけるのでしょうか?それと歳の差恋愛も未だにこだわることなのかしら?ジナとジュニのいる状況が特殊なだけなのかしら?

欧米の映画なら争点にもならないことで、2人が苦しんだり、傷ついたり、挙句の果てに別れてしまう。だから主人公の2人が仲を認めてもらうために、悩んだり傷ついたりすることに、いまいち感情移入ができなかった。

韓国社会には日本人の我々が分からない慣習や習慣、文化があるのだろうか。主人公のジナは、もろもろ引きずって、全ての辛いことを一身に受け止めて満身創痍になりながら生きている。それはもう見ているだけでつらい。

優柔不断とも受け取れる態度、そして会社の誰にでも優しい応対。そこまで気を使うのと思うくらい。その上セクハラ・パワハラされても声を上げず、じっと耐える。

セクハラsexual harassment ー日本でもこの手の話沢山見聞きします。建前はセクハラは犯罪だとの認識は浸透していても、陰では陰湿に残っていて永遠に消えない問題なのかも知れない。

#Me Too運動が欧米で起きた時、日本ではそれほど盛り上がらなかった(ま、いつでも日本では社会運動は盛り上がらないけど。パリとかのデモを見ると彼我の違いを感じてしまう)

盛り上がらなかった理由は、このドラマで女子社員達がセクハラ証言を拒む理由と同じなんじゃないかなと感じる(ひょっとしてアジア文化圏の特徴なのかしら、なんて)いざとなると自己主張しない、できない。

多くの人が言っているように「声を上げないこと。それは認めたことになる」と。でも「変わらないのはしょうがない」と諦めて生きている、我ら日本人‼️女性部長のようなメンターがいても声を上げない。そして一方では、上手く、ずるく立ち回る人種が必ず存在する。

ここまで書いてきて思った。この美しいラブストーリーが語りたかったことは、この不可解なジナの言動の意味なのではないかと。我々は、このラブストーリーを通してジナという女性の生き方を見ているのだと。

会社では上司のセクハラ・パワハラにノーと言えず、理不尽なことに反論できず、家では母親から言葉の暴力を受けても切り捨てたりせず、すべて抱え込んで生きている。すごいストレスフルな日々。

この時のジナは恐らく反論しようとの意思もなく、自尊心も持てず、屈辱感と諦めで、惨めな日々を送っていたと思う。見ている我々にも彼女の痛々しさが伝わってくる。

そんな時、恋人の浮気を知ったジナが散々飲んで酔っ払い、ジュニの運転する車の中でひっそり涙を流すシーンがある。それを優しく見守るジュニ。(このシーンは彼女の哀しみが伝わってきて泣ける)

それからの彼はいつもジナに寄り添い、励まし、いたわる。ジナが徐々に変わっていく。明るくなったといわれる。愛されていることが、彼女に自信を与え、輝かせる。

自己決定できる人間に変わっていく。自分の意思をはっきり表明するようになり、セクハラにもノーと言えるようになった。ジナの以下の言葉が、彼女の変化について全てを語っている。

「今まで私は自分を大切にしていませんでした。でも私よりも私を大切に思ってくれて、守ろうとしてくれる、ある人のために、私も強くなろうと思いました。その人を心配させないように、安心させられるように、私自身を自分で守ろうと決めました」(その後、セクハラ問題をうやむやにせず、最後まで戦い抜いた)

彼女は、ジュニに愛されたことが自分を強くしたと言っているように、彼の愛の力によって彼女の中に眠っていた力が覚醒されたー 人に希望や勇気を与え、本来持っている素晴らしい生きる力を開花させた。

( これをエンパワーメントempowermentと言うそうだ)   

ジュニに残したジナのメッセージ:

「ありがとう。私を大切にしてくれて。愛してくれて。誰かにこんなに愛されるなんて、思わなかった。気づいてないよね。今の私が毎日感謝しながら幸せにすごしていることを。」

「あなたに教えられた。愛とは限りなく惜しみなく、たった一人のために心の限りを尽くすこと。だから、人を愛する時はソ・ジュニのように。ジュニ、愛してる。ものすごく。ずっとずっと愛し続けるわ。」

彼の一途な愛が彼女を自立した女性に変えた。

一方2人の行き詰まった現状にいたたまれなさを感じていたジュニは、アメリカに行くことを決意し、ジナに一緒に行こうと誘う。しかし、ジナは、ジュニについて行かないという決断をする(ジナは、以前の自分ならついて行っただろうと言っていた)

それはジナなりの考えがあってのことである。ついて行くことが一番手っ取り早い方法であることを十分承知の上だ。

さて、「煮え切らない」と我々が感じるジナの行為はどこから来るのか。彼女は、困難に直面した時、投げ出さず、居直らず、じっと向き合い続ける。

だから、コーヒー店のオーナーに寄り添い、焼酎を飲みながら彼と話し、彼を説得してしまった。元彼にだって、お互い理解し合って別れたかったから、嫌な奴でも拒まなかった。

ジュニの父親の心情が理解できるから、ジュニを引き合わせたかった(後で父親は1人涙していたー恐らく息子に会えたことへの感謝の涙だろう) 

そりの合わない母親でも彼女の感情は十分理解していたから切り捨てなかった。最後は母親が折れた。ジナは母親を抱きしめることさえしている。彼女の他者への呆れるほどの優しさを感じる。

同僚達が証言拒否しても彼女達の心情は理解できたから、それ以上求めず1人で立ち向かった。あのセクハラおやじ達のことだって。犯した罪は憎んだから、うやむやにせず断罪されることを望んだ。

が、彼らが子供を持つ父親の立場にあることも理解していた。このような一見煮え切らない彼女の振舞いは、彼女が高いエンパシー(Empathy 他者の感情や経験を理解する能力)の持ち主であるからだと思う。

エンパシーの日本語訳はないらしい。日本語にあるのは「共感」という言葉だけだが、それはSympathy シンパシーの訳語に相当する。シンパシーは考えや意見に同意できる人に抱く感情や行動であるが、エンパシーは自分とは全く異なる考えの人また例え嫌いな人をも理解する能力なんだとか。

これは、ブレイディみかこの「他者の靴を履くーアナーキック・エンパシーのすすめ」からの受け売りだ。まずは他人の靴を履いてみて、他人のことを理解する。どんな嫌な奴でも。奇しくも、「キム秘書はいったい、なぜ?」で、ミソがヨンジュンに同じことを言っている。”You never put yourself in others shoes “”furthermore, you’re not considerate at all”


だから、ジナは他者をまず理解しようとするのだろう。例え嫌な奴でも。時間がかかっても向き合い、すべてをスパッと切り捨てたりしない。誰の目にも優柔不断に見えるのは、そのエムパシーと自分自身の意思が葛藤するからではないだろうか?

彼女の他者に対する限りない優しさがこのような行動となって現れるのだと思う。だが、ジナは時間がかかっても、彼女の持てるその能力で、すべてをちゃんと着地させた。そして仕事を辞めた。

ここに、ジュニについて行かなかった理由があるのではないかと思う。自分の中で納得していない事すべてを置き去りにして、別の世界で自分だけぬくぬくと生きることはできなかったのだろう。

傷つけてしまった人への自責の念も深かった。だから歯を食いしばって耐え抜いた。(分からないのは、何故仕事中毒のあんな男とつきあったのか、だ。母の期待を満たすため?寂しさのため?ジナの心の弱さのため?)

このドラマを主人公2人の美しいラブストーリーとして見ることができる。他方、その愛の力でジナという女性が、自分の中に潜んでいた生きる力や勇気を覚醒させ、精神的に自立していくと言うストーリーとしても見ることができると思う。

それにしても、ジュニみたいな男性って存在します⁉️いつも寄り添い、いたわり、必要な時にそっと手を差し伸べる、まるで「愛の不時着」のリ・ジョンヒョクみたいではないですか❣️今女性が求めている男性像なのでしょうか?

そして、このドラマのソン・イェジン。美しくて、可愛いくて、キラキラ輝いていた。実に素敵な女優だ。このドラマ、「愛の不時着」の一年前に作られたものだけど、この中のイェジンの方がずっと魅力的だったと思う。

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