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ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は、ちっとも逃げてはいないんじゃないか、と⁈

(タイトル写真はwww.myjcom.Jo から転載)

「逃げるは恥だが役に立つ」

「これは、元々はハンガリーのことわざです。
ハンガリー文化センターにうかがったところ、『問題と向き合わず逃げることは普通に考えると恥ずかしいことだが、逆にそれが最善の解決策になることがある』という意味で使われるそうです。・・・」
(以上、yomitai.jpから引用)

だがしかし、ドラマのタイトルに反し、「逃げるどころか主人公の2人平匡とみくりは、問題にじっくり向き合い一つ一つ解決していく物語だったんじゃないか」というのが私の感想だ。

「プロの独身」男・平匡と「小賢しい」女・みくりが、生活の中で生起する問題を論理的に議論し、結論を出し、解決して、より居心地の良い関係・状況を築いていく、そんなドラマだったと思う。

夫婦の問題もこんな風に言葉に出して、論理的に議論したら、誤解や気づかなかったことに気づかされ、日々のムカムカ、イライラが解決されるのではと思った。

このドラマの前提は「就職としての結婚」。両者、雇用主と従業員という立場で契約結婚をする。そんな視点で専業主婦の家事労働を検証したことで、「専業主婦」という身分を再認識させた。

みくりの議論展開が面白い。
主婦の労働の対価を「主婦の生活費=最低賃金+雇用主の評価(愛情)」と解釈する。夫の評価がなければ妻は誰からも評価されない。だが愛情は数値化できない。評価がゼロ(つまり愛情がなければ)なら、最低賃金のみとなる。しかも労働時間の上限もない。結果、ブラック企業にもなりうる(これは世の夫に対する痛烈な警告だと思う)

そこでたどり着いたのが「共同経営責任者」つまりは両者CEO❣️対等の関係。

上記の説明をみくりがしたのは、平匡のプロポーズが経済的メリット=損得をベースにしていたことで「それは好きの搾取です」と反論したことによる。「好きならば、愛があれば何だってできるだろうって。もっと言ってしまえば、主婦の無償の愛=善意につけ込んで無給労働を押し付けようとしてやしないか、と感じたからだろう。「そんなことでいいんでしょうか。愛情の搾取に断固反対します」と。多くの主婦はここに共感したことだろう。

この「搾取」という言葉、地域起こしの場でも出てくる。「やりがい搾取」あなたのためだからと人の善意につけ込んで正当な賃金を支払わない行為。こう叫んでみくりは最低賃金をゲットしている(不承不承)。

そして、このドラマ、今争点になっている事柄、課題、問題満載だ。どれもまさに私たちが実際に直面していることばかりである。

ー就活問題、賃金、労働時間と働き方改革、セクハラ、パワハラ、家事、育児、女性差別・男女格差、同性愛、恋愛、セックス、夫婦別姓、妊娠・出産、子宮がん、育児休暇、1人暮らしの孤独、地域コミュニティーとの関係、離婚、シングルマザー、生物学的年齢の高齢女性の心理等々。

これらをさらっと物語の中で自然に取り上げているところがいい。

平匡とみくりが向き合って、自分たちの問題を真面目に議論するシーンはちょっとおかしくもあり、とても説得的でもあった。そのあと、それぞれが発した自分の言葉について、内心を独白するのだが、そこまで深読みして自省するものかと、そのこだわりというか面倒くさい性格には同情すら感じた。

また、みくりの叔母、百合さんが若い女に「歳」のことで、不快なことを言われた時の一言は痛快であった👍

「あなたが価値がないと言って切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分がバカにしていたものに自分がなる。自分に呪いをかけないで」

なかでも私が強く共感したのは、平匡が「(育児を)全力でサポートします」と言ったことに対するみくりの反応。彼女はその言葉は、「私1人が育児を担うという意味だ」と抗議する。これは2人で関わることだろうと。

そうなのだ。この言葉には当事者意識がないのだ。「何か手伝おうか」という言葉にも、私は同じように感じる。私の娘たちも夫から「何か手伝うことある」と聞かれれると「ムカつく」と言っていた。家事や育児は「あなた自身の問題でもあるのよ」と。

selfesteem(自尊感情)が低かった平匡に変化が起き、だんだん明るくなって生き生きとした人になる。みくりの忍耐強い努力とエンパシーの高さが彼を変えたのだろう。また彼女も彼の中に見つけた優しさで癒されていたのだろう。

このドラマは明らかに女性が書いたものだ、と思う。


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