3年は、なんとなく続けるには長すぎる

3年というのは、何かと区切りにされがちだ。
学校教育から始まり、仕事にしてもひとつの会社に3年勤めてから転職を考えろなんて言われていた時期もあった。石の上にも三年。『3年目の浮気』なんて歌もある。

おそらく多くのものは3年程度の時間がなければ習得するには難しいと考えられており、別の言い方をすれば、ひとつの分野に打ち込めば3年もすると良くも悪くも一つの区切りが見えてくるということかもしれない。
その区切りはもちろん、習得だけでなく飽きやマンネリ、慣れによる親しみだけでなく怠慢、向き不向きの露呈といったものである可能性もある。

以前も書いたが、私は2年間ジムに通い筋トレを続けていて、3年目トレーニーになったばかりだ。
YouTubeでは「あるある」として面白い動画外靴もでるくらい3年目というのは一時的に強気で血気盛んになるらしい。
そう聞かされると、私は大丈夫かなといつもの行動も不安になり、最近は特にジムマナーに怯えている。

以前、近所にある24時間営業のジムで、マシンの使い方がわからないのであろう若い女性が、説明書を読んだあとガシャンガシャンと立ててはいけない大きな音を立ててトレーニングしていた。
一瞬、合っているのか疑問そうなそぶりをしたように私には見えた。
それとなく使い方を教えようかと悩んで悩んで……悩んだ末にやめてしまった。
親切心のつもりでも、相手にとって不快な可能性はある。
もちろん内容にもよるのだが、同性とはいえ、基本的にジムで知らない人に話しかけられたくないと思う気持ちは私にもある。
イヤホンをして動画を見ながらトレーニングをしていた彼女に声をかけるのは勇気がいるし、携帯をいじりながらのトレーニングはそもそも店内に流れる放送でも注意喚起されている通りマナー違反なので、マナーや周囲の目にあまり関心がない方の場合はトラブルにもなりかねない。
できればスタッフの方に対応してもらいたい場面だが、スタッフ常駐でない24時間営業のジムでは、それも望めないことが多い。
筋トレを教えるには不足する素人だが、マシンの基本的な使い方くらいなら……と考えるのは3年目の傲慢さだろうか。ついこの間まで同じようにマシンの使い方が分からずに困っていた自分とつい重なってしまう。

「3年目あるある」を無意識のうちにしないように改めて気をつけたいと思いながらも、気にしすぎた結果、もしかすると本当は取るべきだった行動を取れずに終わることも増えないかと心配になる。

3年というのはどんな取り組みかたにせよ、習慣化の成功か、モチベーションを維持しなければ、なんとなくでは続かないと思う。
嫌いなことはなかなか3年続かないし、好きでも工夫しないと飽きがくる。
3年で全てを知り尽くせるほど各分野は浅くないが、ある程度知った気になれてしまうのがこうした時期なのかもしれない。
そうしてこの後に来る世界はもっとマニアックで、技巧が必要になる職人の世界になりがちで、そこに足を踏み入れるかどうかを含め、その分野との向き合い方を考える必要が出てくるだろう。

どの分野であっても、どんな向き合い方・楽しみ方をするにしても、自分の知ることがその世界のほんの一部であることを肝に銘じたい。
自分の知る世界が狭いほど全てを知った気になり、それゆえに自分の世界をそれ以上広げなくなると個人的には考えている。
何かの深遠さや価値といったものを理解できない時、まず疑うべきはその対象ではなく自分自身の偏見や勉強不足ではないだろうか。
何かに打ち込み成長を実感するのは素晴らしい。筋トレも、脂肪が減り姿勢が正され、セルフイメージが向上すれば自己肯定感が高まる。そして自己肯定感を高めることは大切だが、できる限り謙虚な姿勢でいられるよう、心の脂肪が増えないように注意していきたい。


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