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溺れかけた博士は X JAPAN のようなポーズで「もうダメ」と言った

コロナ前は出張が多かった。地方によっては週末をはさむ出張などになると時間をつぶすのに困ることもある。でも逆に週末挟むとラッキーな出張もある。沖縄方面の出張などはその良い例である。

ある時ある仕事で、取引先の技術者のある男性と同行して沖縄に出張したことがある。私が今の業界で仕事をはじめたばかりで右も左もわからない頃に知り合い、業界内情や製品技術など様々なことを教えてくれたいわば先生のような存在である。年はその頃15くらい離れていただろうか(ということは今でもそうだが)。工学博士の肩書きも持っているのだが、ガチガチの技術者ではなく、いつもニコニコとして気のいいオジサンだった。しかし、わからないことがあり尋ねると何でも知ってる超博識の頼れる人だった。

***

ある時、出張で俺と博士(仮名)は他数名と共に那覇のある現場で金曜日まで一緒に仕事をしたのだが、結局その週にはトラブルが解決せず翌週の月曜日にまた現場に入らなければならなくなったのである。

その夜、那覇に残った博士とそのアシスタント的女性、そして我が社からは俺と後輩の合計四人で一緒に食事をしたのだが、「もうジタバタしてもしょうがないので週末はゆっくりしましょう」という話になった。

そこで、私はふと思いついて「週末なんですが、もし良かったらダイビングしませんか」と誘って見たのである。俺は博士に世話になっていたのでかねてから何か恩返しがしたいと思っていたのである。

すると博士より先に、俺のそんな男心を知らない俺の後輩が「え、まじっすか! やった! でも初めてなんで緊張するなあ!」などと言って自分の頬っぺたを両手でペチペチと叩き始めたのである。

おいおい「うひょー」とか言っているが、お前に聞いているのではないのだ。

俺がこいつ危ないなと思い、「お前、間違っても出張報告とかに書くなよ」と言うと、「そりゃそうっすよ、うーん、でもやったー!」などと言いながら、もう空中に幻の魚を見るような目になっているのである。

しかし、それで雰囲気が盛り上がったのが良かったのか、泡盛が入っていたせいなのか、博士も「それは面白そうですね!」と上機嫌で乗ってきたのである。もともと何にでも興味旺盛な人なのだ。アシスタント嬢もダイビング経験者とのことで喜んで参加すると言ってくれた。

俺は、これは面白いことになったなと思いながら、その場でダイビングショップに電話をして4人分の予約をしたのだった。機材レンタルも全部込みでタオルと水着さえあれば大丈夫とのことだった。博士はスノーケルしかしたことがないというので体験ダイビングのコースにした。たぶん昼飯つきで、一人一万円でおつりが来る感じだったと思う。体験ダイビングならば潜る水深はせいぜい3~5メートル、最高に深くても10メートル以内だから安心だった。

食事の帰り道に、皆でブルーシールのアイスクリームを食い、国際通り(店がならんだ目抜き通り)で適当な安い水着とビーサンを買ってホテルに帰ったのである。俺もその頃は三度の飯よりダイビングが好きな時期だったのだが、仕事仲間と潜るのは初めてなので更に楽しみだった。

***

さて、翌朝朝飯を食ってホテルのロビーで待っているとダイビングショップのボッコボコのハイエースワゴンが迎えに来た。途中途中でいくつかホテルに寄り、最終的に10人くらい乗っていただろうか。夫婦連れや友人との旅行者が多かった。ショップについて一通り手続きとガイダンスをすますと、そのままボートに乗り込み早速出発である。博士もいつもの笑顔である。

しかしその日は波が強かった。ボートで沖に出たがその道中もとにかく揺れる揺れる。ポイント(潜る場所)についてアンカーにボートをつなぐと船上でダイビング機材の準備をするわけだが、その最中もボートは海に浮かぶ枯葉のように大きく揺れ続け早くも船尾でゲーッと上げている人もいた。

ただでさえ、機材の準備というのは慣れていないと大変なものだが、こんなに揺れているとたまったもんではない。博士もやや不安そうな顔をしながら機材の準備をしていた。俺が「水に入ってしまえば天国ですよ」と伝えると、博士は少し堅い表情で笑った。

そして皆の準備が整い、揺れるボートの上でよろけながら何とか機材を背負って順番に水に入った。

海に入ると、全員が揃うまでボートから張られたロープに掴まって水面に浮いて待っているわけだが、その間もとにかく激しく上下に揺れる。目の前の水平線が見えたり見えなくなったりするレベルである。「せっかく博士の初ダイビングなのになあ」俺は誘った手前、天気を恨めしく思った。

しかし大変なのは本当に水面だけなのである。一旦海に入ってしまえば水面下はパラダイスであることを俺は知っていた。海はいつも水面の方が怖いのだ。

そしてしばらくして皆が揃うと、ガイドが水面のみんなに潜行(水面から水中に潜ること)の合図を出し、皆三々五々に潜行を始めたのである。体験ダイビングでは海底へと続くロープを握りながら潜って行くパターンが多い。皆、なんとかロープを辿りながら水中へと消えていった。博士も何度かトライしていたのだが、頭が潜ったあたりでまた水面に戻ってきてしまうのである。これ、良くないパターンである。

とり残されると心理的に誰でも焦り始めちゃうものである。たぶん息が上がって肺が大きくなったままなので沈めないのだ。俺は傍に行き「ゆっくり行きましょう」と声をかけたが、博士はもう何を話しかけても固い表情でうなずくだけになっていた。そしてその後も大きく揺れる波の中で何度も潜ろうとしてくれたが、最終的に苦しそうな顔でこちらを向いて「これ以上無理」というような表情を浮かべるとエックスジャパンのようなポーズで「ダメ」サインを出して「クリストファーさん(実際は本名)、今日は止めときます」と言ったのだった。

俺はどうしようか迷った。「無理しちゃいけないけど、これで終わったら絶対ダイビング嫌いになっちゃうよなあ。悪い日選んじゃったなあ」と思ったのである。俺は迷いながらも博士の横で「いやいやダイジョブっすよ、ダイジョブ。急ぐ必要ないんでゆーっくり深呼吸しましょう」と言って見た。

そしてしばらくすると、それまで遠い目をしていたのが、しっかりした目に戻ったので、「じゃ一回息を全部最後まで吐きながらバンザイして見ましょう」と言ってみたのである。すると、偉い!博士は素直に言うとおりにしてくれたのだ。このあたりがこの博士の偉いところなのである。

実は腕を宙に挙げると腕の重さで水の中に潜って行き易くなるのである。人間の腕って結構重いものなのだ。

そのまま博士はスルスルっと水の中に潜っていった。おおお、よかった。俺もそれに続いた。水の中は水面からは想像もつかないくらい穏やかだった。水面で聞こえていた「ザッパーン、ザッパーン」という東映映画のオープニングのようなおっかない音ももう聞こえず、あたりは静寂に包まれていた。

博士を見ると、ロープを伝わりながら順調に水深を下げていった。俺は博士の目の前に回りオーケーサインを出して見た。水中ハンドシグナルで「大丈夫?」の意味である。するとオーケーサイン「大丈夫!」が返ってきた。マスクの中の目も心なしか嬉しそうだった。よかった、よかった。

その後は水深5メートル程の深さではあったが、色とりどりの魚にソーセージで餌付けしたり海底のナマコを拾ったりして楽しく過ごしたのである。博士はもう落ち着いた様子だった。逆に、その横で俺の後輩が逆さになって漂い海底に頭をぶつけているのが見えた。

あっという間に時間が経ちガイドが出した「浮上」のハンドシグナル(親指を立てるやつ、いわゆるサムアップ)を合図に、皆またロープを辿ってボートに戻った。

水面に出るとまた激揺れだったが、もう上がるだけなので皆余裕の様子だった。ボートの船尾のハシゴからよじ登って機材を下ろすと、博士の海水で濡れた天然パーマの頭に向かって「どうでした?」と声をかけて見た。すると博士はクルッと振り返ると子供のような笑顔で「いやあ、ほんとに海の中は天国でしたね」と言ったのだった。帰りの船の上でも風に吹かれて気持ちの良さそうな顔をしてアシスタント嬢と話をしていた。

後輩はと言えば、ボートに積んであるダイビング機材を指差し「こういうの一式全部揃えるといくらくらいするんすかねえ」と言って鼻の穴を膨らませていた。わかり易いやつである。クラゲのようにあちこちに漂ってぶつかっていたが、やはり楽しかったと言うことなんだろう。(その後ホントにダイビングを始めた)

そしてダイビングショップに帰ると皆で着がえて、飯を食ってからログブックを書いた。ログブックと言うのは、どこのポイントで水深何メートルで何分潜ったというようなざっとした記録と、見た魚の絵や感想などを書く小さなノートなのだが、さすが工学博士、潮の流れや地形など非常に詳細なことがビッシリと書き込まれており、博士のログブックだけ学術論文のようだった。

***

しかし、今考えればあの時点で博士もいい年だったのである。事故でもあったら大変だった。今考えると冷や汗ものであるが良い思い出である。

博士は今では既に引退して山の方に引越し、悠々自適の生活をおくっているのだが毎年年賀状でその様子を知らせてくれている。

俺はそれを見る度にあの船に上がった時の博士の嬉しそうな笑顔を思い出すのである。


(了)

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