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【日記小説】鴨川の憂愁


2022/12/19

15:40、バイトを終え、河原町駅で降りた。
すぐに家に帰る気分にはならず、本来降りるはずの祇園四条駅につながる階段の前を通り過ぎ、祇園の方へ足を進める。
祇園へ行っても何もないと思いつつも、なぜか祇園へ行きたくなる衝動にいつも負けてしまう。
どうせぶらぶらするなら、とカメラを取り出し、冷たい手でグリップを握りしめながら歩く。
案の定、特に何もなく、祇園花月の角を曲がり、河原町方面へと戻り始める。

さっきから耳がおかしい。トンネルに入ったときのような耳がつまった感じが一定時間続く症状が小さい頃からよく起こる。正式には耳管開放症というらしいが、自分の声が耳の中でずっと反響して、そのせいで会話をするのにも自分の声が気になって仕方がない。

また祇園四条駅の階段前まで来て、やっぱりまだ物足りなさを感じ、鴨川沿いの道へつながる階段を降りていく。
階段を降りていると、川の前に外国人らしい女性が何もせずに川をただぼんやりと眺め、いかにも黄昏れているといった感じで座っている。
絵に描いたような美しい構図で、映画のワンシーンのよう。
黄昏れている人を見ると、滅多に仲間意識というものをもたない自分でもなにか共通のものを感じ、嬉しくなる。
その女性の後ろを通り、もし自分が過ぎていく様子を見られていたら、と自意識過剰ではあるが、自分も川の景色を見ながら黄昏れている感じを醸し出した。
女性が点ぐらいしか見えなくなった橋の下まで来て自分も川辺に座る。
川に烏やユリカモメがたくさん居て、座りながら写真を撮っていた。ふと気配を感じると、鳩が僕の真横に座った。何かを察したかのように鳩は頭を前後に揺らしながら、僕のそばへ寄り添った。

ある程度のんびりしたところで、祇園四条駅に向かってまた歩き始める。
あの女性はまだ座っていた。さっきと反対側から見る鴨川越しの女性もまた絵画のようだ。
女性のそばを通るとき、女性の顔を一瞬だけ見ると、こちらに向かって微笑んでいた。
それは自分自身の微笑みというものをしっかりと熟知した感じであった。
僕はすぐに目を逸らしたが、その微笑みは異性を意識したものというよりは仲間意識を含んだ微笑みであるような気がした。
僕はそのまま通り過ぎ、祇園四条駅の階段を降りていく。
改札の前まで来たあと、自分はなぜあの女性に頼んで写真を撮らせてもらわなかったのかと思い、悔やみ始めた。
せっかくカメラを手に持っていながら目の前の美しい情景を撮れないなんて、今からでも戻って撮らせてもらおうか、いやさすがに唐突すぎる…と頭を悩ませた。
改札前のコンビニに入って考える猶予を与える。
人見知りはしなかった、だけど今日は耳が不調なのに上手く喋れるだろうかというつまらない不安に歯止めをかけられている自分がいた。
恥をかけばいい、そう思い切って自分は自分をまた駅の外へ押し出した。
鴨川の階段を降りていくと、女の人はさっきとは違って近くの手すりに腰をかけている。階段を半分程降りたとき、ある別の女性がその女性に近づき、話しかけるのを目の当たりにした。
僕は一旦停止したが、降りてきた階段を引き返し、上から姿が見える場所に移動して少し観察していると、二人の話は盛り上がり始めている様子だ。もしかすると待ち合わせをしていたのかもしれない。僕は肩の力を落とし、祇園四条駅に向かい歩き出した。
駅につながる階段を降りていく。
「負けた、すべてに負けた。」そうつぶやきながら、僕は階段を降りるたびに喪失感に似たものが胸の中で増幅していく心地に襲われる。
冷たい地下のホームで寒さでジンとする手と手を時折こすり合わせながら、帰りの電車を待った。

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