生存書簡 七通目

2020年1月2日
松原礼時さん、Takuさんへ

 まず、あけましておめでとうございます。去年は色々とお世話になりました。今年もよろしくお願いします。今年は批評誌や前衛誌、そしてこの書簡と楽しいことがたくさんです。
 ここ数日色々と立て込んでいたのと、熱を出してしまっていたために、書くのが遅くなってしまって申し訳ありません。
 僕は今アテネフランセや大学セミナー・ハウスの設計で有名な建築家、吉坂隆正の設計した山小屋でこの文章を書いています。モンゴルのゲルを元にしたこの建物は独特な雰囲気を放っておりとても好きな建築物です。最近、特に深い意味はないのですが建物と意識について考えているので建築物に対しての興味が湧いています。
 松原さんはゴドーの映画祭に行っていらしたのですね。『ゴドーを待ちながら』の映画は見たことがないのですが、去年の6月頃に神奈川芸術劇場で上演されていた『ゴドーを待ちながら』の令和バージョンを見に行った覚えがあります。令和バージョンとのことでかなりアレンジしてありましたがとても楽しく見ることができました。また機会があれば、アレンジなしの『ゴドーを待ちながら』も見てみたいものです。
 少し話は変わりますが、前から何故か映画を見ることが苦手でした。単純に慣れていないということなのでしょうが、難解な小説は読めても、比較的平易な映画を見ることは苦手でした。というか、苦手意識を感じていました。しかし、ゴダールの『女は女である』を見て以来、映画の面白さが少しわかったような気がして、少しばかり映画を見るようになりました。ここ最近は意識的に何本か映画を見ました。
ここ1,2ヶ月の間に見た映画のリストを載せておきます。

・松本俊夫『薔薇の葬列』
・アラン・レネ『去年マリエンバートで』
・ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』
・ジャン・ルノワール『ゲームの規則』
・ワン・ナンフー『一人っ子の国』
・ホン・サンス『次の朝は他人』
・ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』
・ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』
・ホン・サンス『教授とわたし、そして映画』
・ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』
・ジャン・コクトー『美女と野獣』
・ウディ・アレン『教授のおかしな妄想殺人』

というような感じです。少し前に、パゾリーニの『アラビアンナイト』や『ソドムの市』も見ましたがかなり衝撃的でした。小説同様、映画も複雑な構造や溢れるほどの記号が詰まっていて難しいです。個人的には、ゴダールとホン・サンスが気に入っていますので、もっと作品を見ようと思います。松原さんは映画に造詣が深いように思われますが、何かおすすめの映画はありませんでしょうか?
 最近、映画について僕なりに色々考えました。そこで主に考えていたのは映画と小説の違いについてです。両者の大きな違いは、映画が一度に複数の記号を移すことができるのに対して小説は文字を線上に配置するしかないということ、映画が見えるものしか写せないのに対して小説は記述できることしか記述できないということの2つに収束するのではないでしょうか。
 話を演劇に戻すと、アルトーは『演劇とその分身』の中で西洋の演劇が脚本(言葉で記されたもの、どちらかといえば文学)に立脚しなければならなくなっていることを批判し、脚本に対して演出の優位を解きましたが、演劇において台詞よりも演出を重視する考えは小説との分離を明確にするために当然の考えとも言えます。演劇は小説と異なり、明確な空間を必要とします。演出によってこの空間を支配できるというのは演劇が他の諸芸術とは違う点だと考えられるでしょう。
 このように演劇や映画が明確に小説との相違点に意識的になり、以前のようなミメーシス的な脚本や小説への立脚志向を捨てる時、小説はどのように振る舞うべきなのでしょうか。
 やはりまたソレルスの話になってしまいますが、彼の小説は小説の根源的な能力を使い、あるいは欠点を逆手に取っているように思います。彼の小説は空間を変え、主体を変え、常に生み出され消えていく水面のような小説です。これは我々が前衛アンソロジーの中で前衛性を考える上でもヒントになると思います。
 前衛アンソロジー第二弾「解体する文学」は他の諸芸術ではできない事を小説の力によって実現するようなものにしたいですね。今からアンソロジーが楽しみです。松原さんはアンソロジーに、演劇を書く予定だそうですが、他の小説が小説そのものへ降りていけば降りていくほど、演劇も演劇そのものへ降りていくことが明確になるように思います。小説の小説性、演劇の演劇性、その根源に降りていくようなアンソロジーが出来たら楽しいですね。
 
 最近、書簡に力が入ったものが多いので逆に今回はゆるく、このへんで終わりたいと思います。松原さん、Takuさん今年も一年よろしくお願いします。
 次の書簡はTakuさんですね。では最後に一つ質問を残して終わりたいと思います。
「演劇や映画、絵画などの諸芸術と哲学の関係やその可能性についてTakuさんはどのように考えていますか?」
 軽くでいいので、答えていただければ幸いです。僕は芸術は哲学とは違った仕方である種の真理を垣間見る道であるように考えています。時に芸術が哲学に先行し、また別のときには哲学が芸術に先行する。相互不可侵でありながら相互干渉的な関係にあるものだと思っています。

 では、また次のお手紙で。

幸村 燕より

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?