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丸の内の丸善で泣きそうになった

東京に行ったら大抵、丸善・丸の内本店に行く。特に本を買う予定がなくても行く。自然に足が向いて、吸い込まれるように入ってしまう。たぶん引力が働いている。

先日東京に行った時もそうだった。本来の目的は想像以上に早く終わって、すぐに帰路についても良かったのだが、東京なんてめったに来れないぞと思うと帰りたくなくて、なんとなく東京駅周辺をぶらぶらと歩いていた。そして唐突に思う。そうだ、丸善に行こう。

自分の住んでいる地域にも同じように大きな丸善があるのに、なぜか丸の内の丸善に惹かれてしまう。同じ名前の本屋さんでも、場所が違えば全然違う、と思う。この世にひとつとして同じ本屋さんはない。自分の肌に合う書店というのが確実にあって、私の場合、いくつかあるうちのひとつが丸の内の丸善なのだ。林立する本棚の横を通り抜ける一瞬の間に、目が合う本がそこかしこにある。宝の山でしかない。一生ここにいたい。住みたい。

反対に、欲しいと思う本がかなりの高確率でない書店もある。それは単純に私との相性の問題で、書店の規模は関係ない。大型書店であっても出会えないものは出会えない。こんなにたくさん本が並んでいるのになぜ、と思うこともしばしば。しばらくうろうろしても目が合わないし、欲しい本を検索機で調べても「申し訳ございませんが、現在お取り扱いしておりません」と言われてしまう。あなたとはちょっとわかりあえないみたい。

今回、丸の内の丸善で出会ってしまった。私は本に対してかなり惚れっぽいので、頻繁に「出会ってしまった」と思うのだけれど、今回のそれはこれまでの人生で最高レベルの出会いだった。

永井玲衣さんの「水中の哲学者たち」。私たちは運命の出会いを果たした。

手触りも、装丁も、帯も、ぱらぱらめくって目に留まった言葉のひとつひとつも、全てに心揺さぶられた。本当に、比喩でも誇張でもなんでもなく、今この時にこの本に出合えたことへの喜びで泣きそうだった。重いリュックを背負って一日中歩き回って疲れていたのに、気分は昇天しそうに軽かった。

こんな気分はきっと、本屋さんに足を運ばなければ感じられない。時間がなかったり、どうしてもその時に行ける範囲の本屋さんに在庫がなかったりしたときは、ネットで本を買うこともあるけれど、私はできる限り書店に行って買うことにしている。そんなことができるのは、たまたま私が本をこよなく愛していて、たまたま電子書籍よりも紙派で、幸いなことに身近に大小いくつかの書店があるからだ。時代の流れには逆らえないし、私ひとりの力でどうこうできるような話ではない。でも、私は本屋さんがなくなってほしくない。書店の数がどんどん減少しています、と聞くたびに悲しくなる。私の大事な何かが奪われたような気分に、勝手になる。

東京から帰る新幹線の中で、運命の相手を開く。一気に読みたい気持ちとじっくり味わいたい気持ちの間で板挟みになって、本を閉じたり開いたり、情緒と行動が不安定になる。私、ただのやばいやつかも。ひとつひとつの言葉、文章を目で追うたびに、それらの意味を咀嚼するたびに、次のページをめくるたびに、ああやっぱり私たちは出会うべくして出会ったんだわと思ってしまう。やっぱりやばいやつだ。

いつからか、世界をよく見れるひとになりたいと思うようになった。

永井玲衣「水中の哲学者たち」p.003 

「まえがき」の一文目。私の手のひらの上で整然と並んだその文章に、心が震えた。

いつも私に珠玉の出会いを与えてくれるすべての本屋さんに、最大級の敬意と感謝を。

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