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懐かしのシエナへ①

1998年9月から1999年3月まで半年を過ごしたシエナへ

早朝5時に覚めたので思い立ってのことだった

この日はNovellaが自宅でコンサートを開催する日でメンバーたちと昼頃から準備に入るので、手伝えることがあったら言ってねと言ったものの「メンバーが来るし、あなたは自分の好きにしていいのよ」と言われてしまったら、いない方がお互い気持ち的に楽なのかもと思って

滞在先からバスでフィレンツェ駅近くのバスターミナルへ

朝食も取らずに出てきたのでBarで食べようと思ったが、意外と時間がなくて隣接のスーパーで水だけ買う(サンドイッチ的なものを探したがなかった)

バスの表示は「Fuori Servizio(サービス終了)」となているが、このバスが乗車するバスだった

始発・終着なので時間きっかりに出発

フィレンツェから急行のバスでシエナまで1時間15分ほどで到着


☆Basilica Caterina di San Domenico(バシリカ・カテリーナ・ディ・サン・ドメニコ/サン・ドメニコ教会)


バスの執着まで行くと通り過ぎてしまうが、シエナの中心から離れたサン・ドメニコ教会はシエナへ行くと最初に眼にする大きな建物

実は半年も住んでいたのに一度も拝観したことがなかったので、今回は拝観することに

残念ながら内部は「撮影禁止」だったの撮れていない
入り口の扉のレリーフ

サン・ドメニコ会は1206年に聖ドメニコが創始( サン・ドメニコ教会は世界各地にある)今回訪れたシエナのサン・ドメニコ教会は1226年、聖ドメニコがシエナに来た翌年から 建設開始、1265年に完成した

内部は単廊式で、天井が高く広々とした空間になっている(写真が撮れなくて残念) 身廊の左右の壁面に祭壇がある

主祭壇後ろに大きな7枚のステンドグラスがあるのがとても綺麗だった
ポストカードを買ってきたのでそちらを撮ったものだが、絵の輪郭がこれまでみてきたようなステンドグラスとは違って、手描きのように見える

主祭壇両脇の礼拝堂のステンドグラスも青色が涼しげで美しかった

ここはシエナの守護聖人であるとともに、イタリア全土の守護聖人でもある 聖女カテリーナ(1347-1380)が実際に祈ったという聖女カテリーナの礼拝堂があり 聖女カテリーナの頭部と親指が聖遺物として納められている

親指は実際拝観することができたが、頭部は見当たらなかったので別の場所に保管されているようだ ポストカードは購入してきた

保管されているのは頭部だけ、胴体はローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にある 聖女カテリーナはシエナ出身、ローマで亡くなった彼女の頭部だけを奪還してきたのだとか・・・(頭部だけ切り離して奪還って・・)

教会内部は壁のいたるところに絵画があって、美術館のような雰囲気
シエナを訪れる人は中心部へ直行してしまうのかあまり人もおらず、空間も広いのでゆっくりとできる

☆中心部へ中世の街並みを見ながら


サン・ドメニコ教会側から見える風景
写真右手に見える鐘楼のある建物がシエナの大聖堂、左手の塔はマンジャの塔
世界一美しいと言われる「カンポ広場」のある場所

あのあたりを目指して歩いていく

バスを降りたあたりは広場なので広いが、歩き進めると道が狭くなっていく

丘の上の街なので坂道が多い

見覚えのある広場や建物、人や店の様子は変わっても26年前と変わらない

この広場の前も毎日のように通っていた

長く住むと「退屈」に思えてフィレンツェへ引っ越してしまったが、こうして再び訪れるとなんと「フォトジェニック」な街並み

☆Piazza del Campo(ピアッツァ・デル・カンポ/カンポ広場


バンキ・ディ・ソット通りはカンポ広場を囲むようにあって、通りからかんぽ広場へ降りていく細道がいくつもある 

細道から降りようと見るとなんか柵のようなものがされていたので、開けた通りから降りていくとカンポ広場の周囲に土が敷き詰められており、観客席が設置されていた

そういえば、7月はシエナのお祭り「パリオ祭」があったなと思ったら、前日に予定していた祭りが雨で延期されたのだとか(毎年7月2日と8月16日にあり、私が訪れたのは7月3日)

競馬を模した祭りでカンポ広場の周りを馬が走る
競争は「コントラーダ」と言われるうシエナの街の集落ごとのチームに分かれて行われ、街中、コントラーダのそれぞれのシンボルが描かれた旗が飾られていた

◆Piazza del Campo(ピアッツァ・デル・カンポ/カンポ広場)

扇形のカンポ広場、放射状に敷かれた石が集まる場所は排水溝になっている
その場所から見たのが次の写真

「世界一美しい広場」と称されるカンポ広場

私が住んでいた頃は夏の終わりから春先で、秋から冬は天気がいいと皆が広場に腰を下ろして日光浴しながらおしゃべりしていた

◆Fontana Gaia(フォンターナ・ガイア/ガイアの泉)

カンポ広場の弧の中心にあるのが「ガイアの泉」

長方形の水盤を囲むように美しいレリーフが配されている
このレリーフはシエナ派の巨匠ヤコポ・デッラ・クエルチャによる彫刻

シエナは丘の上にある街で高い場所に上水道を作ることは困難を極まった
市民が成功に歓喜して作られたのがこの「ガイアの泉(ガイア=喜び)」 

現在のレリーフはレプリカで本物はサンタ・マリア・スカラ救済院の博物館で展示されている

☆Palazzo Pubblico(パラッツォ・プッブリコ/プッブリコ宮:市庁舎)とTorre del Mangia(トッレ・デル・マンジャ/マンジャの塔)



◆Palazzo Pubblico(パラッツォ・プッブリコ/プッブリコ宮:市庁舎)

シエナの市庁舎で1297年に建設開始、シエナ共和国政府の本拠地として機能した

プッブリコ宮殿はゴシック様式の建物で半分が市庁舎、半分は市立美術館となっている

美術館にはイタリア中世を代表するシエナ派の巨匠シモーネ・マルティーニの代表作「マエスタ」やロレンツェッティの「善政と悪政」のフレスコ画がある 26年前、学校の授業で拝観した記憶があるが、今回は入り口を入ったとこまで

◆Torre del Mangia(トッレ・デル・マンジャ/マネジャの塔)

宮殿横のマンジャの塔はシエナのシンボル的存在
1300年代半ばごろに建てられ、全長88m(避雷針を含むと102mの高さ)
チケットを購入すれば塔の上まで上がれるが、約400段の階段を上がるだけの気力がもうない・・・(エレベーターはない)

マンジャの塔の「マンジャ」はイタリア語の「mangiare(マンジャーレ)=食べる」からきており、この塔の最初の鐘付き人ジョバンニという男性が「道楽者」で知られていたことから「食い扶持をパクパク食べてしまう」という意味の「マンジャ・グアダーニ」というニックネームで呼ばれていたため「マンジャ・グアダーニが鐘をついていた塔」を略して「マネジャの塔」となったのだとか

この後はシエナの大聖堂へ

⇨⇨次回へ続く

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