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一見無駄と思えることの中に成長の鍵がある

私は6、7年前、クラリネットを一人で吹いていることをつまらなく感じていて常に「誰かと合わせたい」という気持ちをもつようになっていた。そのときはなかなか適当なアンサンブル団体が見つからず、なぜだか経緯は忘れたが、吹奏楽団という高いハードル、それも見学に行ってみたら、そこは「所沢ウインドーオーケストラ」という名称の通り、指揮者の先生がオーケストラの曲を吹奏楽にアレンジして、音楽を作り届けようという団体だった。しかもクラリネットはオーケストラでいうバイオリンパートを吹かされる最も難易度の高いパートだった。私は団の雰囲気や、たまたまその時案内したり教えてくれた人が優しかったこともあり、なぜか入団を希望してしまった。その後毎週末、土日、土日と練習が繰り返され、重たいクラリネットや譜面立てまで持っていくのが困難だった私は、夫に毎回送り迎えまでしてもらっていた。彼には本当に感謝しなければいけないが、その後まもなく私は団の人達と自分のレベルの差に挫折した。
当時は吹奏楽部で一緒だった友人に「こんなに頑張っているのについていけなかった。この経験は無駄だった」としきりにメールで嘆いていた。その時友人が私に言ったのは「この経験が私にとって0になることはあってもマイナスになることはないと思う」という言葉だった。その時は半信半疑だったが、その後吹奏楽よりも、もっとラフなアンサンブル団体を見つけて自分で通うようになり、人と合奏したり、合わせるという経験が、アンサンブルの演奏や譜読みに生かされていることをメキメキと感じた。友人の言った言葉は本当だった。今無駄と思ってやっていることの中には、自分を成長されてくれる経験や糧がある。と身を持って知ったのであった。
#創作大賞2024
#エッセイ部門


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