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[読書感想+α]赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア

この本はトラウマとその治療について、とてもとてもわかりやすく書かれている。

どうしてこんな本を読んだのか?実はわたしはしばらく前に仕事中に体調不良で倒れ、医師から適応障害、うつ状態と診断され今は休養期間を過ごしている。幸い薬も効いたのか身体的な症状は改善してきたので、どうにか社会復帰に向けたアクションを少しずつ模索せねばと考えていた。

そんな中、臨床心理士のカウンセリングを受ける機会があった。認知行動療法について話していたのだが、心理士は「認知行動療法はトラウマを抱えた人には有効でない場合もある」とも語っていた。そのひと言がカウンセリング後もなんだか心に残っていたので「トラウマ 治療」でAmazonで検索しおすすめに出てきたこの本を買ったみたのだ。

結果として自分にはたいへんな良書だった。正直なところ、読む前は自分にはトラウマと呼ばれるものは無縁だと考えていた。その理由はトラウマ=想像を絶するようなショッキングな体験を指すイメージがあったからで、たとえば戦争や、災害や、性被害や、誰かに殺されそうになった体験などが該当するものだろうと思いこんでいた。しかし読み進めていく中で、上記のような一度きりの壮絶な体験がもたらすトラウマ(単回生トラウマ)だけでなく、それほど大きくない出来事が積み重なり時間をかけてトラウマを形成するケース(複雑性トラウマ)もあるとわかった。さらに、その複雑性トラウマがもたらす症状はわたしの長年の人格傾向にかなり合致していた。たとえば以下のようなものだ。

  • 他者に頼るのが非常に苦手(自分ひとりで何でもやろうとする)

  • 他者に心を許し腹を割ってコミュニケーションができるまでのハードルが非常に高い

  • 自分が何を欲しているのかがわからない

  • 失敗しそう、トラブルが起きる可能性がある環境・状況を避けがち

  • 常に漠然とした劣等感を抱えている

読みながら俄然興味が湧いてきた。

こうした複雑性のトラウマは、属する環境が限られている子ども時代に形成されるケースも多いという。ひとつひとつの出来事は命を脅かすほどではなくても、そのときに誰にも頼れずにひとりぼっちだったならば、その後の世界の認知までが変わってしまうのだ。

ではどうやってトラウマからの回復ができるのか。本ではトラウマの克服には、安全な環境においてトラウマ記憶を再体験することが重要と説かれている。安全な環境で語ったり、なにかしら表現することで、トラウマが今を支配するものでなく「過去の出来事」として再編集され、記憶され直す。またその再体験はなるべく何度も行われるべきだという。

わたしは本を読み終えたあと散歩をし、だいぶ迷ったが本には載っていないあることを試してみたくなった。帰宅してメモアプリを立ち上げると、誕生から少年期(中学卒業くらいまで)で起こった「つらい体験」を時系列順に書き出す作業を始めた。それぞれのエピソードは簡単な5W1Hと、そのとき自分が何を感じ、考えたかを書くことにした。

注:このワークはわたしの場合は結果的にそれほど大きな心理的ストレスを伴わずにやることができましたが、人によっては非常に強い負荷がかかるおそれがあります。もしこの記事に興味を持って実践される方がいらっしゃる場合、少しでも怖い・苦しいと感じたならばただちに中断してください。(私も書いている最中は大丈夫だったのですが、やはりどこかに負荷があったのかその日の夜は強い眠気と疲れに襲われました)

約90分かけて、思い出せるすべてを書き出すことができた。ポジティブ/ネガティブのどちらの効果をもたらすかわからないまま始めたワークだったが、絶大な効果があった。まず、「文章に起こす」というプロセスを経ることで、つらい記憶に冷静に向き合えた。正直それらの記憶はこれまで思い出すのも無意識的に避けていたのだが、以下の点が有効だったようだ。

  • なんとなく思い出すのではなく「今わたしは絶対安全な場所にいる!そして自ら思い出しにいくのだ!」という儀式を設定した

  • それをモヤモヤっとしたイメージではなくなるべく簡潔な文章として定着させた


これらによって、つらい記憶群の姿を2023年現在の私の部屋のテーブルに乗るサイズで明らかにすることができた。

また、どんなにつらい記憶の集合体といっても90分もあればすべて書き出せる量であり、メモアプリ上を数回スクロールすれば全部読めてしまう量なのだと判明してしまった。ワーク前には超巨大な不定形の怪物が私の意識を支配しているように感じられていたが、そのスケールは思っていたよりずっとこじんまりとしたものだった。

出てきたエピソードは学校と家庭(それが子どもにとっては世界のすべてだ)が半々だった。個別のエピソードは壊滅的な人格損傷を引き起こすものではなさそうに見えるが、それらが複合すると少年の世界に対する認知の歪みを引き起こしてもしょうがない、と思えるものだった。そして子ども時代の自分が誰にも苦悩を相談できず、途方もなく孤独だったことに初めて気がついた。おそらく今までそれを認めるのが心底しんどいから、自分自身で記憶を煙に巻いていたのだろう。

本に書かれていたように、安全な環境でトラウマを表出できた経験は大きな力を与えてくれた。もちろん何かが解決したわけではないのだが、今後はつらい記憶の群れを「怖がらずに」思い出せるという恩恵はかなり大きい。そして自分を無価値な人間ではなく、苦難に必死で立ち向かってきたサバイバーとして慈しみをもって取り扱えるようになった。

書いたあとは、その内容を身体を使っても確認したほうがいいような気がして、丁寧に音読してみた。今後はごく近しい人と話すときにも相手に迷惑にならない範囲で自己開示の一環として少しずつ話してみようかと思う。

話を最初に戻すと、まだわたしは回復の途上だ。現在の自分の人格状態が何に由来しているのかが少しずつわかってきたので、ここからは自分の歪んだ眼鏡を外し世界を捉え直すトレーニングをやっていくことになる。今はこの本を読みながらワークに取り組んでいる。これも機会があればレビューを書いてみたい。

本では他に災害時のトラウマについてや、トラウマを抱える人を支援するときの注意事項などもわかりやすい文章と愛らしいイラストで説明されている。

noteを始めたときはここまでセンシティブな内容を書くつもりはなかったが、本の紹介と自分の体験の記録が同じような悩みを抱える誰かの力になる可能性がわずかでもあるのだったらこんな幸せはないと考え、書いてみることにしたのだった。

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