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小さな小さな赤ちゃんのこと④ 「自分中心の生き方」と「自分を大切にすること」

自分が生きているだけで精一杯=「自分中心の生き方」?

 私達夫婦は、今は一緒に住んでいるが、これまで、東京、インドネシア、ブラジル、ボリビア、フィリピン、タイ、京都などなどで、すれ違いながら暮らしてきた。「絶対に海外志向」であったわけでもなく、「海外で自分探し、何かを見つけるまで帰れない」というような強い思いがあったわけでもないが、とにかく目の前にあるものに必死で取り組み、流れに乗ってやってくる縁に身を任せているうちに、あっという間に30代も半ばを越えていた。

 ただただ、自分達自身のことで精一杯だったのだ。同じところにずっと住み、同じところにずっと勤め、程よい年齢になったら結婚し家庭を持ち家を建てる…という多くの人が選んでいる(ように見える)道は、いつも遠くにあるようだった。遊んでいたわけではない。ずっと、真面目に勉強や仕事をしていた。

 どちらが良いとかどちらが悪いとか、私自身は何とも思わなかったが、結婚をして子どもを産んだ友達から「自由でいいよね。」と言われることが何度もあった。「私も生まれ変わったらあなたみたいな生き方をしたい」とか。言われなくても、日本にいるとそのような無言の一般論を感じることが多い。内心「でも、それは自分で選んだことだから…」と思っていたけれど、反論はできなかった。「そうかなー」と笑いつつも、あまり良い気持ちはしなかった。

 今、そのような言葉を思い出してみると、彼女たちの言葉にも一理あるように思える。確かに、自由で、自分のことだけを考えていれば良かったのだ。だけどそれは、逆説的でもある。

 自分の自由になる時間もお金もある(と思われがち)からと、他の人の仕事をいつの間にか引き受けてしまったり、友人や兄弟の子育てが大変だと聞けば子守をしたりプレゼントを買ったり…そうやって結局自分の気持ちと向き合う時間が取れないほど忙しく疲れている状態がずっと続いていた。もともとの性格もあったと思うが、世間で言われるような「一般的」な生き方とズレが生じるようになってからは、よりその傾向は顕著になった。

「自分のことだけを考えていれば良い」=「守るべきものは特にないから、自分自身が疲れても傷ついても、困るのは自分だけ」だから、好きなように生きているように見えて、実際には全く自分を大切にしていなかったように思う。疲れても不便でも「こんなものかなー」と大丈夫なふりをして。夫とこの件について深く話し合ったことはないが、同じような感覚ではないだろうか。

「自分を大切に」?=代わりのいない自分

 小学校の教員時代、人権教育の担当をしていたことがある。「子どもたちの自尊感情を高めるには…」「あなたはかけがえのない人なんだよ」という言葉を、何度発したことだろう。そういう自分が、その言葉の意味を、どこまで理解していたのだろう。人には「自分を大切にして」と言えるけれども自分はどうだったのか。

 今回、自分の中に別の命が芽生えて初めて、「私が守らなければ」→「私が守るためには、私自身を守らなければ」という思考が初めて芽生え、そして、「ああ、私はかけがえのない私なのだ」ということが、わかったのです。

夫に、「こうなったからには私達2人で育てるしかないんだよ。」と言ったら、「こうなったって?」と夫。「赤ちゃんが来たってこと。」「そうだね。」これは、心拍が停止しているとわかる検診の前の夜の会話。

 私達は、予想外の授かりものの赤ちゃんから、自分達の生きる意味について、すでに気づかせてもらっていたのです。




 

 




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