【小説】私は赤子が苦手なんだ。
小説を書いてみた。
今まで何度もいくつも書いては消していたけれど、少しずつ自分だけでない目に触れてもいいと思った。
書きなれていないので、おかしなところがあるかもしれないが、許してほしい。
それでは、どうぞ。
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私は赤子が苦手だ。
こんなことを口に出して世の中で言おうものなら、大バッシングを受けてしまう気がする。
超個人的で偏った考え方かもしれないが、赤ちゃんや可愛い動物を苦手だ言うと、その場の空気が微妙な感じになる気がする。
ちょっと引かれるような、距離を置かれるような、あの感じ。
ちなみに私は犬は好きだ。
いらない情報な気がするけれど。
よし、話を戻そう、
赤子について話そうと思ったんだ。
私が気になるのは泣き声だ。
彼らの泣き声は、大人のそれとはまったく異なるのだ。
感情がどストレートに体の真ん中に突き刺さってくる。
嬉しさも悲しさも、痛みも。
オブラートに包むことなく、生まれてきた感情をそのまま表現している気がする。
昨年、親戚に赤子が生まれた。
父も母も妹も、すぐに会いに行った。
特に妹は彼のことを溺愛していて、LINEに送られてくる動画を何度も飽きることなく見つめ、悶えている。
私だけが、彼に会うことなく一年が過ぎた。
そして、私が彼に会いに行かないことに対して、親戚から母に「(私が)〇〇くんに興味ないみたいだね。」と話していたことが発覚した。
気遣いだったのか、親戚は私自身には直接なにも言ってきたことがない。
そのことが、私自身がなにか悪いことをしているような気持ちにさせた。
実際私は、こんな自分を、何度も悪い人間のように思った。
私はただ、怖いのだ。
彼に触れることに、彼の心に触れることに、恐れを感じているのだ。
簡単に「会いたーい!」なんて言って、その手を握ってしまってはいけないような気がするのだ。
あまりにも考え過ぎだろうか。
これは私の想像だが、人間は誰しも、心の核となる部分に柔らかいピンクの小さな玉のようなものがあると思う。
その小さな玉は、親指と人差し指でつまんでしまえば、簡単にぷちっと弾け潰れてしまうような柔いもの。
大人は生きる中で玉の周りに何重にも囲うものを作っていくが、赤子はその小さな玉を守るものを、まだ持ち合わせていない。
小さな玉が震えるとき、その振動は空気を通じて、周りに浸透していく。
その振動は疑いようのない真実なのだ。
そのなんの穢れもない振動に、私の鼓膜が触れるとき、何故か私は泣きたくなってしまうのだ。
私の心の奥にしまってあったはずの柔いピンクの部分が、少し、揺れてしまうのだ。
彼を思い私の目から流れる涙は、なんの涙なのだろうか。
新しく生まれてきた命に触れる喜びの涙か、はたまた、嫌だ嫌だと訴える悲しい訴えに感情がリンクしてしまうのだろうか。
私は赤子が苦手だと言いながら、あのまっすぐな声に、自分の心が照らされてしまうのが怖いのかもしれない。
本当は、美しいものと対峙したときの自分を見つめるのが怖いのかもしれない。
隠しておきたい自分の心の柔い部分を、彼はきっとくもりのない声で、眼差しで、眩しすぎる光で照らしてくるのだろう。
私が、赤子を好きだと言う時。
それは、自分のことを好きになった時なのかもしれない。
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