22歳になるにあたり。
年齢が変わる日に、日記のようなものを書きました。
以下が、その日に書いた文章です。
今日は私が21歳である、最後の日だ。
特に変わったこともなく、時間が過ぎていく。
当たり前だが、時間の流れは一定だ。
人生の課題がたくさんあることを感じているけれど、今はただ眠い。
今は夜中だ。
あと一時間もしないうちに、私の生まれた日というのがくる。
ノストラダムスの予言が当たっていたら、私は存在していなかった。
そんな時代に生まれた自分。
そんなのつまらない噂話だと思っていた人も、当時はきっと沢山いただろう。
でも滅亡するかも、なんてそうそう言われることのない年に誕生したことを、時々自分でも誇らしいような気持ちになる。
私が選んだわけではなく、偶然だけど。
結局、世界は無くならないままで、今に至り、人々は滅亡説なんて疾うに忘れて過ごしている。
ぐるぐる終わることなく回り続ける地球を想像する。
道端に咲く花や、そのすぐそばに無機質に立ち尽くす電柱や信号機。
そんなものたちと並んで私もこの地球という星に存在している。
時々自分がこの世に存在していなくても、問題など何も無いのではないかと考える時がある。
ちっぽけな存在。
そんな存在なら、自分が今抱えている問題も同じようにちっぽけなのではないかな、と思う。
そう思えば、少しは気が楽になる。
生きるのが少し大変じゃなくなる。
年齢の数字が大きくなるごとに、自分自身の責任も大きくなっていく。
ルールに従っているだけでは生きていられなくなる。
だから自分を確立しないといけない。
未来を見据えることの大切さを感じながら年を取ろうとしている、ギリギリ21歳の私。
周りには歳をとりたくないと何度も言っている友達がいる。
確かにその気持ちも分からなくはない。
でも歳をとることを楽しめる人間になりたいと思う。
シワが増えていく自分を愛おしいと思える、そんな人間になりたい。
ひとまず、来年の第一関門として“新社会人”というのがあるので、それを突破していきたい。
不安しかない未来だけど、そこに希望も付け加えたい。
誕生日というものは、生きているだけで何度も迎えます。
迎えたくなくても、迎えてしまうものです。
私たちが平等に抗うことのできない時間を、味方につけることさえできれば、人生はもう少し輝くのかなと思います。
誕生日を迎える時、あなたはどんな気持ちになりますか。
嬉しいですか。はたまた、もどかしいでしょうか。
この世に人間が存在する分だけ、同じように気持ちも存在すると思います。
誰一人として、全く同じということは無いでしょう。
様々な気持ちがあるとは思いますが、出来るだけ多くの人が自分の誕生日を喜びの日に感じられる世界であればいいな、と思います。
勿論、誕生日はおろか明日さえ来てほしくないと思う人がいることもまた事実です。
綺麗ごとだけ言って生きていける世界じゃないからこそ、心からの本当の幸せや喜びを感じられる日を過ごしたい。過ごしてほしい。
今日が誕生日のひとも、そうでない人も。
今日を生きて、おめでとう。
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