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【創作小説】つぼみのままの白百合06

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「まぁ、マサコさんが来はったの?」
その日、夕食の席で母は驚いた顔をした。
「最近は東京と行き来されてるって聞いてたけど……そういうご事情があったなんてねぇ」

 マサコは近々東京に戻るのだ、と麻里亜に説明した。熟年離婚したマサコの元夫が亡くなり、遺産を整理する中でマサコ名義の不動産が見つかったのだという。弁護士を間に挟んでいるものの面倒な手続きが多いらしく、当面は東京にいなくてはいけない、と淡々とマサコは言った。

「それでね、麻里亜ちゃんがもしよければなんだけど……こっちの家のことを頼めないかしら」
「家のこと、というと……?」
「いま、しずかと二人で暮らしているんだけど、あの子ったら何にも家事はできないの。夕食と簡単なお掃除でいいんだけど、お任せできないかしら」
すなわちマサコの不在中、家政婦として来ないか、ということだった。

「もちろん、お給料は支払います」
きっぱりとマサコは言った。
「ええ、その、お話は分かりましたけど、そういう会社には頼まれなくてもいいのでしょうか」
麻里亜は慎重に言葉を選びながら尋ねた。過疎化の進むこの地域では、家のこまごまを任せることができる家事代行サービスの事業所がいくつかある。

「そうなんだけど」
マサコはふと目を伏せた。
「やっぱり、昔から知っているお嬢さんの方がいいような気がするの」
結局は自分の都合だ、と麻里亜はほんの少しマサコを疎ましく思った。都会も田舎も人間の本質は大差がない。他人の事情などおかまいなしで、自分のことしか考えていないのだ。
「少し考えさせていただけますか」
「ええ、そうしてちょうだい」
麻里亜の心の内をよそに、マサコはパッと顔を輝かせた。

「で、いくらで雇ってくれるって?」
父の声で麻里亜は我にかえった。夕飯の食卓にはバラ寿司とアジフライ、それにひじきの煮物が並んでいる。
 京都府といえども最北端のこの町の食文化は、ほとんど北陸地方と同じだ。新鮮な魚が近くの商店でもスーパーでも簡単に手に入る。必然的に魚が食卓に出ることは多い。

「一日5000円だって」
「そんなに?」
父は目を丸くした。
「だって、一人分の夕食と簡単な掃除だったら3時間かかるかどうかじゃないか」
たしかにそうやけど、と母が言葉を挟む。
「マサコさんの家ってほんまに大きいからね、簡単な掃除って言ってもそれなりに大変やと思うけどな」
「お母さんはマサコさんの家に行ったことがあるの?」
「もちろんよ、あなたを連れて遊びに行ったんやないの」

「麻里亜ちゃんが6歳ぐらいのときかしら。わたしの家に遊びに来てもらったことがあるのよ。静と一緒に庭で遊んでくれたわね」
マサコの昼間の言葉がよみがえった。

「なんで行ったんだっけ?」
父が不思議そうに母に尋ねた。
「あのころは大変やったんよ」
母は一つ溜息をつく。
「美代おばちゃんが急に亡くなって、静ちゃんが一人になって。それをマサコさん夫婦が引き取って。静ちゃんはたしかその時10歳ぐらいやったけど、ずいぶん暗くなってしもて、マサコさんも心配で仕方なかったんやと思う」
それで、歳が近い麻里亜が呼ばれたのだ。そんな混み入った事情を聞いたのは初めてだった。

「じゃあ、静って人はマサコさんの実の子供ではないってこと?」
麻里亜の問いかけに母は頷いた。
「そう。静ちゃんは美代おばちゃん――おじいちゃんの末の妹――の子供でね。マサコさんは実際には静ちゃんの伯母さんなんよ」
「そう……」
マサコが言った、東京から帰ってきた「わけ」とは、このことだと思った。

「わたし、何も覚えてない」
「そりゃあ、たった1日だけやしねぇ」
母は軽く答えて、食事がすんだ食器を流し台に運んだ。そして麻里亜を振り返った。
「お話、受けるん?」

(つづく)

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