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自分軸でいること

3〜4年ほど前、今は遠くて行けなくなってしまいましたが、わたしが勝手にゴッドハンドと呼んでいる方のところへ、首の痛みが出ていた時にたまに通っていました。おしゃべりも楽しくて行っていたというのが半分くらい理由にありましたが♬
ある時ゴッドハンドが、
『もうこれからはね、自分軸がないと非常に困難になってくる時代だからね』
と、いつもの如く突然話題を切り替えてきたのですが、その後もずっとこの言葉が心の片隅に残り続けていました。

潜在意識や真我、真理の法則を学び始めてから、自分の恐れパターン、煩い癖のようなものは段々とわかってくるようになります。
『わかってる、これは“わたし劇場”で演じている悲劇のワンシーンよ!幻想よ!』
と思っていても、ふとした隙に炙り出され、翻弄され…いつのまにか客席ではなく舞台に上がってしまっていた…ということは何度もあります。
そんな自分の力では及ばないとき、いつもいつも『ハイ、そこまで!客席に戻って!!』と引き戻してくれる、師という大きな存在。
その師から“自分軸”というキーワードを以前より伝えられていました。

先日久しぶりに会った姉に、(わたしの)息子の予防接種を必ずしてほしい!と強く言われ、自分の意見を言わずにただ同調してその場をしのいだ。という出来事がありました。
その後やたらと大きくざわつき、揺れ、不安でしかなかった時、
恐れの源には、迷いがある。そしてその迷いが発生するのは、自分軸じゃなくて他人軸になっているとき
とアドバイスを頂きました。
以前からのテーマ、自分軸というキーワードがより深みを帯びて目の前にやってきたと感じました。
『ワクチンを打つことを選択しないのは、私が安心するから』
『息子のことを考えたら、ワクチンを打たせる選択はしない』
前者は “情” であり、後者は “愛” からくる理由。
わたしの中には両方の想いがありました。
正確には、両方あったということに気づいたのは姉から強く言われ、揺さぶられた時。
愛の選択にしきれない、ヌルッと決めきれない、腰が引けてるわたしがいた事に、気づきました。
愛を選択していたら(迷っていない状態)、そもそも揺さぶられない。
言い換えれば、
姉に言われて揺さぶられるのは、自分軸ではなく、姉軸(他人軸)になっているから。
『相手の顔色をいちいち伺わないとならないから、そりゃあ怖いよね?』
と、師匠は自分の体験も踏まえて話してくださいました。

自分軸に戻すにはまず。
自分が本当に好きなことをすること。食べたいものを食べたり、好きな服を着ておしゃれをしたり、好きな場所へ出向いたり、楽しいと心から感じる事をやること。
とってもシンプルですね。
わたしの場合は、新人ママ業で自分のことを後回しに流してしまいがちなのもあり、いつのまにかそんなトキメキを封印していたのかもしれませんし、トキメキを感じても感じ切っていなかったなぁ。頭のどこかでTO DO LISTがちらついていたなぁと振り返りました。
つまり、“今ここ”にいない状態、未来への不安に意識を向けていました。

自分軸で今ここを楽しんで生きていたら望む未来が創られてゆくので、そもそも姉に言われるという現実すら起こっていなかったかもしれません。
全ては日常の中の小さなことから。
夫にいつもより話しかける回数を増やし、たまにはサッポロ一番を食べ、お花屋さんで好きなお花を買ったりしていたら、
夫婦喧嘩が夫婦漫才に。そして今本当に必要な物、情報、状況が、ここ1週間の内にやってきました。✨

神様の意志は今日なされます!今日は成就の日です。私はこの完璧な日に感謝を捧げ、奇跡には奇跡がつづき、素晴らしい不思議はやむことがありません。

『人生を開く 心の法則』より

内なる神を信じて委ね、行動していくこと。
今回のプロセスを通してまた一層、何より大切なことと刻まれました。
師や仲間、友人、気づきを与えてくれた姉、もちろん夫や家族にも、感謝に次ぐ、感謝です。

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