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よくいる変人σ(・ω・)が思う「普通の恋愛」とは

普通というものは、本当に曖昧だ。

誰かの「普通」は誰かにとっての「普通じゃない」し、時代やお国柄や様々な要素で簡単に揺らいで変動する。

そんなものに縛られるのは本当にくだらないと思うのに、どこかでそれを望んでしまう自分を消せない。

普通じゃないと、この世界はとても生きにくいから。

普通なんて、所詮はある一定の範囲における多数派、その価値観というだけなのに。

 

私が1番他者から「普通じゃない」、「変わってる」と言われて来たのは恋愛面だった。

確かに恋愛における私はマイノリティかもしれないが……

それについては、また別の機会に。

 

恋愛における「普通」とは何だろう。

何歳でとか、誰と付き合う付き合わないとか、告白からか身体の関係からなのかとか――

そういった事象における多数派が「普通」だとして。

そこからハズれるのは、恥ずべき事だろうか。

恥じる必要がないのなら、何故ある一定の年齢になると恋愛や結婚を焦る人が続出するのだろう。

何故漫画やアニメのキャラが好きだったり、手の届かない相手へ恋に落ちると冷たい目で見られがちなのだろう。

 

それに関わって来るのが、人間の種族維持本能や多数派の傾向だとして。

それなら身近な異性と恋愛して結婚して子どもを授かるだけが「普通」で、人としてあるべき姿なのだろうか。

 

私はそうは思えない。

思えないけれど、若い頃には婚活をした事がある。

マッチングアプリをしてみた事もある。

そこではそれなりの収穫(?)があって、それなりに学びを得たりもしたけれど。

これについても、別の機会に触れる予定だ。

要は私自身が「普通」という概念に振り回されがちというだけ。

 

今は人それぞれの多様性が認められつつある時代。

その時代における「普通の恋愛」ならば、どうあろうと嗤われたり肩身の狭い思いをする必要などないはず。

ないはずなのだが……実際はどうだろう。

多くの人が「前時代の普通」に振り回されてはいないだろうか。

 

20代後半になると結婚に焦りがちな女性。

女性経験がないとイジられがちな男性。

トランスジェンダーについて告白するか悩む人。

アセクシャルなのに合コンに誘われる人。

未だ同性婚すら法的に認められないこの国――

 

私の周りには同性カップルが何組かいるし、アセクシャルを自認している人もいる。

だが現状を見る限り、この国における「普通の恋愛」は前時代に振り回されたままだ。

そんな中で、私が思う「普通の恋愛」とはどんなものか。

 

誰が誰を好きになろうと、自由に想いを伝えられる。

どんな年齢だろうと恋愛経験のなさを揶揄されず、異端視されない。

恋愛しない事で肩身の狭い思いなどしない。

皆が自由に誰かを好きになり誰かを愛し、そういった感情がない人も自分の心情を堂々と公言出来る。

他者へ故意に迷惑をかけない限り、皆が己の「普通」を想いとして言葉にしていい。

それが私の「普通の恋愛」だ。

 

ただし、既に愛を誓った人がいるのに己の欲のままに好きだの愛してるだのとばら撒いている人達については「普通ではない」と思っている。

それは恋愛感情などではなく、単なる欲でしかないからだ。

それがしたいのなら1人に対して愛など誓わず、延々とフリーな人同士で恋愛でも性行為でもすればいい。

もしくは別れてけじめをつけてから、自由に恋愛を楽しんで欲しい。

 

以上。

長くなってしまったが、私の思う普通の恋愛についてはこの通りだ。

ごく当たり前の事しか書いていないつもりだが、それすら「当たり前に出来ない」のが現状でもある。

少しでも多くの人が、自分の「普通」を生きられる世界。

それを願って止まない。

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