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【エッセイ】過去のトラウマについて

 今回は、幼少期の苦しかった経験が作り出した、私のトラウマについて記述しようと思う。読者の方には先に謝ります。もしかしたら、嫌な思いをさせたり、不快にさせてしまったりするかもしれないです。ごめんなさい(T T) この記事を書くことによって、少し、思考の整理をしたり「私は何を本当に恐れているのか」を客観視したりしたいと思っている。

 誰だって、叱責を受けることは喜ばしいとは思わない。愛のある叱責なら、まだ許容範囲だ!と思う人もいるだろう。だが、その叱責が愛の欠片なんかこれっぽちもなくて、ただ怒りを爆発させるだけの感情的なモノ、的外れなことばかりを並べ立てるだけのモノとしたら? そんなのは、叱責とは言わない。

 私は学校生活の中で、ある教師からトラウマレベルの叱責をされたことがある。一番、心を痛めた事件は小学校1年の秋の行事前準備。ちょうどその日は、劇の役割分担をする時間だった。私は、どちらかというと引っ込み思案な性格だったため、自ら挙手をして積極性をアピールできるような子どもではなかった。だから、先生の「〇〇の役割をやりたい人は?」との問いかけに対し、手をピーンと挙げて役割に挑戦するクラスメートが凄かった。『私の前に座っていた子も、あんな風にチャレンジしてる。凄いな~。よし、私もあの役割をやってみようかな』。そう思って私も手を挙げた。そしたら、ある教師がツカツカと歩み寄ってきて、「どうしてあの子の真似をするの?!」と鬼の形相でこちらを睨みつけてきた。「あなた、なんでもかんでも、〇〇さんの真似をするの?!〇〇さんが死ぬって言ったらあなたも死ぬの?!!違うでしょ!!」『死ぬ』などという衝撃的な単語をまさかこんな場所で聞かされるなんて思わなかった。ただただ怖かった。グッと顔を近づけて叱責してくるその教師が。心臓を揺さぶられ、目の前が真っ暗になっていく心地だった。何故、自分が叱責されているのかも分からず、混乱していた。今思えば、『つくづく支離滅裂な叱責だな。いや、これ、パワハラレベルの発言やろ』ときちんと冷静かつ、見識あるリアクションができるのだが、当時はまだ小学1年だった。周囲に友人や複数の教師がいて、自分1人だけが激しく叱責されている、という現実が私をことごとく打ちのめした。もちろん、私は何も悪いことをしていない。ただ、クラスメートが挙手する姿に感銘を受けて、私も…と勇気を出して手を挙げただけ。それが、こんな許容しがたいパワハラ叱責を受ける羽目になるとは夢にも思わなかった。

 その後は掃除の時間で、雑巾をトイレの手洗い場で絞ってまた教室に戻るのだが、まだ衝撃が残っていた。掃除の前か後かは覚えていないが、トイレの個室に駆け込んだ私は大粒の涙を零していた。『あぁ、私は悪いことをしたのか』『なんであんなに叱られなければならなかったの?』『あんな「死ぬ」なんて言葉、聞きたくなかったよ…』悔しさや恐怖や悲しみなどあらゆる負の感情が交錯した。

 当時はまだ幼かったため、自分が教師に何を言われ、どんな感情になったかを上手く母親に説明できなかった。でも、大きくなってから聞かされた話だが、あのあと、クラス担任から親に謝罪の連絡が入ったそうだ。『Amityさんは何も悪くありません。こちらの方こそ、本当に申し訳ありませんでした』。親は、(恐らく)詳細を聞かされなかった or 事の重大さをいまいち理解しきれなかったかどちらかの理由で特に学校に物申すことはしなかった。昔話でこの話題をずっと前にした際、『今考えると、教育委員会に訴えても良いレベルだよね』と親は言っていた。そりゃそうだろう。

 この悲劇は私の心の奥深くに透明な傷をつけた。絶対に消せない、見えない傷を。

 もう1つだけ、今でも許すことのできない最悪なエピソードを綴らせてもらう。(気分を害してしまうエピソードばかりでごめんなさい(´;ω;`)ウゥゥ)

 あれは、小学2年生の国語の時間だった。担当教員が欠席だったため、例のモンスター教員が補欠担当をした。『モンスター教師の時間、早く終われ…』と私は心の中でずっと願っていた。その時間、皆で図書室に行くことになった。モンスター教師は言った。『2時10分になったら本を借りますよ。良いですか。それまで読書をしましょう』私は、『借りますよ』を『帰りますよ』と聞き間違えてしまった。それで、興味のある本をカウンターに持って行き、背表紙のバーコードを読み取った。時間は14時10分より前だった。その瞬間、モンスター教師はガタッと席を立ち、ツカツカと私の方に近づいてきて、『2時10分に借りる、って言ったよね?!私の話を聞いてなかったの?!!どうして勝手に借りてるの!!』と烈火の如く怒り出した。またもやパワハラを受けてしまった私は、今度は周りの反応が気になった。『ああ、周りの子たちはどんな風に思っているんだろう』『怒られているの、見られてる。恥ずかしい』またもや負の感情が心の中に渦巻いた。そのときももちろん、弁明なんかできるはずもなく、悔しさと悲しさだけが全身を満たしていた。

 今、思い出しても虫唾が走る。絶対にあのモンスター教師のことは許せない。

 こんなパワハラレベルの叱責(というか嫌がらせ)は数えてもキリがない程だから、ここまでにしておく。
 
 数々の(理不尽極まりない)叱責経験のせいで、私は「叱責恐怖症」になってしまった。叱られたり、厳しい注意を受けると『ああ、私はダメな人間なんだな』とどうしても思ってしまう。自信をもてなくなってしまう。最悪のケース、『私の存在価値って何だろう』と本当に良くない思考に陥ってしまうこともある(←最近はそういう感情にはあまりならないが。)一時期は、両親に叱られるのも怖かった。もっと、強い心をもちたいと願っている。でも、叱られるのが怖い。学校生活ではとにかく、『どうすれば先生に叱られないで済むか』ばかりを考えて行動していた。教師の顔色や一挙手一投足を敏感に窺っていた。叱責にこんなにも恐怖心を抱くようになってしまったのは言うまでもなく、あの最低最悪なモンスター教師のせい。トラウマって10年以上経っても傷が消えないのね。

 うーん。『何を本当に恐れているのか』。やっぱり、目上の人の顔色だな。今は大学生だから教授から叱られることは流石にない。だが、アルバイトをするときも『失敗しないようにしなくちゃ』、『叱られたらどうしよう』みたいな考えが脳裏をかすめることがたまにある。職場環境は最高で、同期も上司の方も親切な方ばかりだから心配する必要がないとは分かってはいるが(;'∀')

 とにかく、私はもっと打たれ強くなる必要がある。今後も理不尽なことには少なからずぶつかるだろうし、それに対して鉄の心をもてるようになりたい。

 だが、そうであったとしても、だ。小学生の最悪なトラウマ記憶の叱責は、いつ思い出してもあり得ないほど的外れすぎる……。

 


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