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Be the Forest! 市木の森と海の話

Be the Forest ミーティング第2回のレポート:
コミュニティと森、暮らしと森、子どもと森!-宮崎市木の現場から

zoomのオンラインイベントで、述べ100人くらいの人に聞いてもらいました。身内な話なので、本番はドキドキ聞き役してましたが、あとから聞いてみたら、やっぱり面白かったので、長いですが写真付きでレポートします。

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ナマケモノ倶楽部は、エクアドルやメキシコといった、南米やアジアの森と繋がってきましたが、「もっと日本の足元にも森を育みたい」という思いから、Be the Forestムーヴメントがスタートしています。

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せっかく全国からの参加者のみなさんと面白いゲストともつながっているので、これから進めてゆくにつれて、地方によってそれぞれに違うナマケモノの森を足元に育みながら、状況をシェアし応援しあうネットワークにしたいです!

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今回は、私たちの足元、宮崎県の最南端、串間市の事例から。

森とのつながりを取り戻す、森林農業のモデルづくり。荒れて遊休耕地になっていた森へと続く谷を開墾し、奥の杉メインの森を光が入り生物多様性が確保できるよう間伐、雑木を植えながら、鹿児島大学のゼミと現場製材、施工をしたり、地元うみのこどもかいの子どもたちとくりぶねを制作するなど、「森から作る」実験中。

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手前の里山には、パーマカルチャーのデザインを取り入れ、様々な果樹をはじめとする樹木や作物を植えたり、与那国馬を放牧したり、日本の在来種であるニホンミツバチの養蜂を手がけ、コミュニティ規模での自給を目指す、食べられる森のモデルづくり(Food Forest)に取り組んでいます。

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「どんどん木を植えて、森を増やしてゆく」ことだけでなく、わたしは「どんなふうに、日常に森とのつながりを取り戻すか」その態度に、興味があります。

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それは、今はコロナで行けないけど、10代の頃からフェアトレードの仕事で通っているエクアドルで、同世代の仲間たちがコーヒーを植えたり、鉈で山道を作ってエコツアーの準備をしようと、鳥や花を見つけ直したり、色を見つけて紡いだり、と希望を一つひとつ見つけて、鉱山開発から森を守るのを見てきていたから。

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日本でも、子どもたちの世代と、森をお金にかえるのではなく、そこに寄り添い、どんなものを生み出すか、どんなふうに森と遊ぶか、森と生きてゆく道筋を考えるきっかけにしたい。

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冒険家の高橋素晴さん(右上)は、3歳くらいからカヌーに乗り、9歳の時には佐渡へ渡りました。お父さんと丸木舟を作っていた中学生のときには、ヨットで太平洋を単独横断した最年少記録を持つ、基本は海のひと。

ナマケモノ倶楽部のプロジェクトで、20代のときには、セヴァン・スズキと日本各地の環境運動のキーパーソンをたずねるアースキャラバンをしてました。

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今回、テーマが森なので(海の中もサンゴの森だけれど)、「森とのつながり」について振り返ってもらいましたが、

13年前から、何か生み出すことをしたいと、海と人の暮らしがつながる接点として取り組む、「黒潮農場」の塩づくり(塩を炊くには薪が必要)を開始。

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子どもたちと一緒にキャンプなどの環境教育にも取り組んでいる中で、楠学園では、隣の山から杉を切り倒し製材、加工して校舎づくりをしてたことも。それから、イベントでツリーハウスを毎年作ったり、木工のワークショップも手がけます。

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ツリーハウスが好きなのは、「木を切らずに活かしたり、木登りのワクワク感を取り戻せる」ところだそう。(そういえば素晴くんが作るツリーハウスは手すりがない!)ツリークライミングを活かして、特殊な樹上伐採にも取り組んでいるそうです。狩猟免許を持っていて、罠をかけて、獲った肉は、友だちに分ける、という規模感。#友産友消 切った木を乾燥させて製材して小物を作れるようになったというのが、嬉しい森との関わり。と、振り返りながら、

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「森と関わる意識が全然なかったけど、森とのつながり写真が色々あって
田舎で色々やってると周りは森に囲まれてるし、結構つながりだらけなんだなと思った」と語っていました。「山の仕事は山になってるけど、分業は近代で、元々は切れていなかった。いろんな角度から遊ぶことでそれが見えて行ったり、実感として残ってゆくといいなと思う。」

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そんな素晴さんに、市木の地域の仲間&子どもたちとやっている「うみのこどもかい?」の講師としていらしていただき、「大きい木もあるし、子どもたちと丸木船を作って海に繰り出そう!」と、山の木でのふねづくりをはじめました!

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「森に入って木を選ぶところからスタート。切り出しやすくて、太くて、まっすぐな木を選び、まずは切らせてもらう儀式をしました。7mのところで65cmというなかなかない巨木。倒れる音も大きくて、迫力がありました。

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年輪を数えたら、60~70歳のあいだ。子どもたちみんなで皮を向いて、加工をはじめました。

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チェンソーでノコメを入れたところを、叩き割って平面を出してゆく。手作りの手斧も活躍しました。最初は丸太のままだとヒビが入るので、急いで芯抜きをします。

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山なので暑さや虫など、険しい現場でしたが、毎回結構な人数(幼児から中学生、大人)が集まって、切り倒した時はトン単位だった木が、子どもたちが持てるサイズになるまでくり抜き作業をしました。昔から、山の中の木を加工する時はこうするそう。

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大人も子どもも村人総出で山から出して、運搬機で運んで、馬場の隣で後半の削りを進めます。カンナやサンダーでちょっとずつ削る。

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海で拾った木の板で蔵置場の看板も作成。だんだん削る量が少なくなってきたら、削り過ぎないように気をつけて。

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塗装が終わると、待ちきれなくなって、川に運び、一度浮かべて漕いでみました。子どもが丸木船に満載しているだけでイイ光景。

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その後、高校生と大人でまずくりぶねを海に出し、ライフセービングの先生、藤田和人さんにハワイ仕込みの漕ぎ方を習いました。

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太古の人と魂がつながった気分だと、みんなが言っていた。
そして、子どもたちと海に初めて出た幸島一周。

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帰りに海の上で細長い大きな魚「ダツ」を拾ってフライに。海の神様からの贈り物だね、と言いながら、子どもも大人も喜んで食べました。

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その後、2回かけて帆を製作。サイズを話し合い、もらった布を柿渋で色付け。猿の顔をパッチワーク。

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次は(コロナで保育園が他県と接触禁止なので今は保留。ロープワークを覚えるのが宿題になってる。)アウトリガーをつけて、ちょっと遠くに行きたいね、と話しています。

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「こんな時間をかけるはずじゃなかった。」1年で作ろうとしていたが、いつの間にか2、3年目に。でもその間ずっと、子どもたちのモチベーションもあるし、その間に船ができていくに従って、子どもたちが成長してできることも増えていっている実感があります。」

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それを聞いて、辻信一さんが言ってました。「くりぶねも、校舎づくりも、「思ったより時間がかかった」というのが素敵」だと。

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「なぜなら、「大都会のシステム」の中では、そんなこと許されてないから。子どもが何かを作るとき、いつも、決められた時間の中でやらないといけない。でも森と海には多様なものがいて、時間がかかる、その中で、素晴くんや、大人たちも学んでゆく。」

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ほんとにそう。そうして時間をかけて、太古の人たちが森と関わっていたようなことを、地域ぐるみでやらせてもらって、子どもたちやみんなの、それぞれの面白いところもわかってきました。宮崎は林業が盛んでも、普通の人たちが山に入ったり杉をきるなんてしない中、子どもたちと一緒に森に入って「どの木がいいかな」と選ぶだけでもワクワクしました。

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その木を切り出すベースになる、谷とその先の森を数年かけて開墾したのが、森と海のあいだのトージバ(NPOトージバ宮崎拠点)の渡邉尚さん。
元々、『場を時代や暮らしに合わせて活用し直す』ことをライフワークにし、NPO法人トージバを作り、休業している銭湯をカフェにして都市農村交流の場にしたり、東京近郊の遊休耕地で種まきして大豆を育て味噌を仕込むなど、都会の若者の間に新しい文化(農との関わり方)を広めてきました。まずなぜ、この地を選んだのかは、

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「311のとき熱海のみかん山の物件見にいっていて、東京に帰れなかったのをきっかけに家族で、宮崎まで移住。森と海のあいだにある市木に来たのは、無農薬で密柑山をやっている「森の哲学者」の吉田よしおさんに出会ったこと。震災前までは、この地域では、原発の誘致に向けた、住民投票が予定されていましたが、それが撤回され移住者が増えました。小学校の全校生徒が35人。中途半端な田舎はやめようと思っていたから、ちょうどいいど田舎。

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果樹園を引き継いで、剪定を習い(木の下でいつも哲学的なおしゃべりをし)ながら、無農薬のキュウイやみかんを収穫。谷の開墾もはじめて、大豆や米を作りはじめてみると、小動物、イノシシ、猿など動物が集まってきました。人口が減少して、森(動物)と里(人)の境目が、だんだんと下がってくる実感も。」

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人が手を入れなくなって荒れている場所、もう一度息を吹き込み再生することに興味がある渡邉さんは、0.7haの山、5反歩の田畑という「気が行き届く範囲」で、(林業以外の人が)山に入る習慣があまりないなか、山に入る機会を一つ一つ取り戻してゆきたい。利用価値のあるニュースタンダードがあれば、「鎮守の森」みたいな一つの文化が作れるのではないかと言います。

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「まず、食べ物が植わっていれば(果樹や茶や木の実も)そこに入る。
それから、素晴くんと作ったような、くりぶね。また、家のリフォーム材も、森から現場製材で調達したように、木や竹を取りに行ったり、遊びにつながることをしたり、動物を放牧するなど、人が山に入る要素を見つける。」

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渡邉さんは、海外でも様々な森を使うモデルを見てきました。
例えば、台湾では、檳榔に代わるオルタナティブとしてのカカオ栽培や、筍を収穫するために手を入れる森だからこそ育つ森林農法のスパイス「マーガオ」の栽培。

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(馬告(マーガオ)は渡邉さんが日本で初めて食品検疫に申請して輸入を開始。森を守るタロコ族の生産者コミュニティで収穫、加工と輸出の段取りをしてワインのペアリングで有名なレストランやチェーンのホテルなどにも卸売しています)

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エクアドルの仕事の生産地では、上流には原生林を残し、中腹では放牧とサトウキビ、下でカカオやコーヒーなどの換金作物を森を残しながら人の手を入れる工夫。

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一方、宮崎は、雨の降りかたが集中豪雨で亜熱帯みたいになってきていたり、気温が上がるたびに、厄介な外来の雑草が繁茂したり、小動物、変な虫、など、気候変動で生態系が崩れてきています。逆に面白いのは、温暖化によって、路地でバナナ、アボカドも育つようになってきていること。(いま、ジオデシックドームのまん中でマンゴーも育ててます)

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マメ科のネムノキも森にわさわさある。先週のBe The Forestで大村淳さんが「マメ科が生態系の基盤になる」のを話しているの聞いてすごいんだ!と再認識したそう。今取り組んでいるのは、同じマメ科でタマリンドという、大好きな食べもの(うちではカレーやドリンクに使う)の苗づくり。大豆は3、4年くらいまでは上手く行っていたが、小動物が食べに来る餌付けみたいにになってしまい断念、市木は早稲米の産地ですが、それ以外は、オクラ、ゴボウ、ケッタクリなど、獣が食べないものばかりが植わっています。

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また、ニホンミツバチの養蜂も手がけています。蜂は果物や野菜の受粉に欠かせないパートナーなのですが、特にニホンミツバチは、生態系に欠かせない日本在来の野生の蜂で、生態系を豊かにする大事な存在、半径2キロのあらゆる花の蜜を集めます。農薬に弱いのでオーガニックの花にしか近づかないのと、そうしてできる百花蜜は効能が高く薬であると言われています。 

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飼い始めたきっかけは、偵察隊の蜂がチェックしに来たので「いい人のふり」をしたら、群れが箱に入ってくれたこと。以来毎年分蜂群を捕獲してきました。スズメバチなどに襲われてピンチのときは、働き蜂がふらりと呼びにも来ます。(嘘っぽいけど、これは日常にある本当の話ですby 妻)ミツロウでは、保湿クリーム、エコラップ、ワックスなどを作り、都会でWSなども実践してます。

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谷を開墾した農地の、その上が、船を切り出した山。仲間と少しずつ間伐して、手を入れていました。鹿児島大学の建築学部のゼミの生徒が来て、チェンソーを使ったアラスカンで現場製材、森の木を使う建築物のコンペも行いました。森の杉、宮崎の南の特産である「飫肥杉」は、油分が多くて中がくり抜きやすいのが特徴で、船を作るのに良いと、昔から聞いていた。サバニが作れたらなあといっていたら、素晴くんがきてくれることに!

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家の机やリフォーム材などにも自伐材を使っています。薪ストーブのための薪割り(風呂は太陽熱温水器)は、子どもたちも手伝います。

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与那国馬は、ホースセラピーの寄田勝彦さんに学んで、地域のみんなと馬とのコミュニケーションを習い、たまにみんなで乗ったり、友だちや、お客さんを乗せたりしています。

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子どもも大人も、言葉の通じない大きな動物を相手にすると、ちょっと違う身体感覚や第6感、世話をする中での段取り力も自然と身についてゆきます。

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馬は1日に10キロから20キロの草を食べてくれるので、除草にもなるし、開墾にもなる。毎日一輪車一杯とれる馬糞は、堆肥にして菜園に使います。

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「医療防災産業」というが、山の活用が、全てを網羅しているのではないか、と渡邉さんは言います。山で働けば身体機能が向上し、医食同源の薬草や食べ物も手に入り、台風や津波からの避難にもなる。フードフォレスト、食べものの森づくりを目差して木を植えていますが、自給プラスアルファの食べものを、森から調達してゆきたい。猟師さんとコラボして、暮らしの中でも欠かせない、猪肉のソーセージを台湾の里山マーガオ入りで企画販売したりまた、これまでに日向夏やグァヴァと、チョコのアイスなどを企画し「合わせ技」で商品開発もしています。

ディスカッションの中で面白かったこと:

素晴さんは、「森林関係の仕事してる友達もいて、日本の森林の現実問題も大きいけれど、ツリーハウスや丸木舟はそういうことに対する解決策やアプローチではない。実用からは程遠い、遊びだ」と言います。
一方で、「フィールドの力」というのが大きいのではないか。”その場"で何かをすることが大事、とも。

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これまで他の教育プログラムの中で、「決まったプログラムを教えるつまらなさ」も感じてきて、場が潜在的に持つ魅力や力から、偶発的に大人も子どもも同時に学んでいけること、今すぐ何かにつながる訳ではないけど、大人も子どもも共にいだけるロマンなんでかわからないけど楽しい、海に繰り出したい、木に登ってみたい、という気持ちを共に遊ぶと、教育になっていく、将来的な可能性がある。だから、狙って何かを伝えたいということは逆に意識しない方がいい。その場の魅力やフィールドの力に委ねることがあっても良い。

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「フィールドの持つ力」と素晴くんが言っていましたが、
自然や土地、そしてワイルドな子どもたちの持つ見えない力の他にも、、、
船になる材を切り出した森は、渡邉氏が開墾し谷に風が抜けるようになったと言ってもらえた土地の奥の森、素晴くんが作る力の真ん中にいる中で、、いろんな大人が少しずつ加勢してきました。

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木工が得意なかずみん(カトラリーや家具などtreeoflife)、トレーラーハウスなどを作る恵一くん(inowaという市木のcafeにあります)、杉の皮で猿の顔になる布を染めたりなちゃん(アカネヤ)、古布を縫って服や人形を作る&海の遊びのリーダーの結ちゃん、他にも料理が得意な大人たちのランチやおやつ、気配り、段取り力や、海を見守る、コミュニティのみんなそれぞれの役割がある。

日本舞踊やパンづくりやサーフィンの天才がいたり、みんながアーティストで先生。みんなとウォーターセイフティや、わたしはライフセーバーの資格もとって、川で漕ぐのを見守ったり、この最高の場で子どもたちが思いっきり楽しむために、好きなことで貢献。操船が仕事の「センチョウ」が、並走船で寄り添って、くりぶねの航海を見守ってくれたり、海上保安庁への申請を手伝ってくれたり。開墾途中に、粘土が見つかったのを、陶芸家yohakuの友達がお皿にしたりなど偶発的なことも。


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ナマケモノ倶楽部つながりでうちに遊びに来た、プロサーファーのパチャライト(アンニャライトの娘)や同じくサーファーでアーティストのヤニ、プロスノーボーダーのタモやミドリ(セヴァンの甥と姪)も、うみのこどもかい?の子供達と過ごしていろんなことを教えてくれるけれど、子どもたちや、若いゲストから、大人の私が学んでいることが一番多いなって、わたしは実感しています。

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そもそも、「うみのこどもかい?」は、大人にも「海の子どもだったんだよね!?」と聞く表記にしています。子どものままの感性で、地球とつながれる、大人たくさんがいることも、幸島の「フィールドの力」。遠くの人たちにも来てもらって一緒に何かできるようになるといいなあと思っています。

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渡邉さんも言ってました、「子どもから「すげーな」と学ぶこともあり、大人から学ぶこともありお互いに、そのひとによって違うけれど、答えはない。そいいう場、シュチュエーションがある。」ということ。

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大人が楽しくすると子どもが楽しい。サラリーマンを辞めたときを振り返ると、毎年入ってくるサラリーが入ってこないで不安になるけれど(え、そんな感覚あったんだby妻...)、とても大事な子育ての時間で、ここに来てよかったと思う。そして、とにかくタネをまく、木を植えることで、何かがおこる、どんな形であれ、普段の暮らしの中に森との関わりを作ってゆくそのネットワークをナマケモノからぜひ育てて欲しい、とも。

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辻信一さんが言っていたもう一つの「フィールドの魅力」は、
市木には人間以外のたくさんの生きもの(わたしもその一員という噂ですが...)が出てくるけれど、大都会の暮らしの中にはいない。馬と一緒に子どもたちが生きてゆくということの持つ可能性。

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一方で、「わからないこと」(把握できない存在)に耐えられないから、まるで神様みたいに「ワクチン、ワクチン」と頼ってしまう。でも、そのウイルス、実は、人間の進化にも生存基盤にもウイルスが役割を果たしているということがわかってきたそう。魑魅魍魎 海(海辺、マングローブ、藻場、は森)も森、という雑多な世界の中に暮らし、子どもたちが育っていく中に、これからが見えてくる。多様な命の世界に子どもたちを先頭にして戻ってゆく。」

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あと、特筆すべきは、子どもたちがワイルドで面白い子たちばっかりだということ。焚き火を自分たちで起こして、海で魚を取って、波で遊んで、この地域での遊び方は子どもが先生。

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いろんな大人といろんな子どもが集まって遊びを重ねてゆくこと、また、人間だけではなくて、様々な生きものの力を借りていくこと、を、最高のチームな近所のみんなと、これからも試したあとに森が育つとよいなと思います。

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