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Black music matters

雨が降る前に、チョキンチョキン、スペルト小麦を収穫してたら、小さい茶色のカマキリを見つけた!

ふと思い出した。エクアドルの海の近くに住む、マリンバのチームのからだつき。彼らは、昔アフリカから奴隷船で連れてこられるときに難破して、自力で岸に泳ぎ着いた黒人たちの末裔。今も、大陸からのリズムを、マリンバという手作りの木琴と打楽器の音に合わせて唄う。お葬式のときの芸能として、続いてきたそれは、はっとするような音楽に、小さな漁村特有の船を漕ぐ仕草や、マングローブの柄のスカートを揺らして踊るダンスの組み合わせ。

9.11直後の報復の星条旗のはためく米国空港経由で、彼ら12人のバンド&ダンスチームとわたしでエクアドルを出国した。エスメラルダスという漁村の街の地元チーム「ベレフ」(うち一人おばあちゃん)と、パパロンコンというちょっと有名なおじいさんの歌い手(彼はみんなよりワントーンさらに黒い)。いつも音楽が鳴っている路地で、窓枠のない家をのぞくとマリンバが一台、部屋いっぱいにおいてある。そんな若者たちのバンド。全てが手作りの楽器に使うのと同じ、新月に切る竹でたてた小屋の中、暗い部屋に松明をたいて、裸足で踊る。木琴マリンバの、どこか水の響きに似た、時空を超えるみたいな音に、一人ひとりの身体を感じる歌声と、踊りがだんだんと重なって、際立つ。

エクアドルは13の言語が話されているくらい多民族な国家なのだけれど、出国のために、黒人と先住民だけ揃えなければいけない書類があると直前でわかった。12人分買うお金がなくて、先住民の知事さんに借金に行った。
「よく来たね。ちょうど今朝取れた、カッツオ(甲虫)のフライがあるよ。年に一度だけ飛んでくるご馳走だよ。あみはタイミングがいいね。」なんていう、お茶菓子で肝試し(笑)…も、意外と美味しくクリアー。問題は、世界中がテロに緊張してる中での出国だということだった。何事もないように、日本からの招待状を持って、事前に、何度も航空会社と大使館に通った。ベレフが結ってくれた黒人の人たちの特有の小さい三つ編みのせいか、しまいには大使館の人が「日本語上手いですね」て言ってきた。笑

辺境の海岸部から山を超えてバスを乗り継いで、首都キトの郊外に一泊。小さいホテルから空港に向かう玄関で、フランス人のゲイのオーナーが、緊張ぎみのメンバー全員にワインをいっぱいずつついで、乾杯してくれた。「Otras nerviosos ? 他に不安な人は?!」って、まるで自分のことのように嬉しそうに。祝福と祈りをこめて。
高地に慣れていないみんなはあっという間に酔っ払ってタクシーの中で上機嫌、わたしはあんまり酔えず、出国できるのかさらにドキドキしていた。

乗り換えのヒューストンでは、わたしたちだけが、テレビのある部屋に鍵をかけて待たされた。こっちだってできればこんな国通りたくない。9.11の犯人を探すニュースの、チャンネルを変えるリモコンは置いてなかった。
飛行機では一番後ろの座席に固まって座らされた。なるべく偉そうにしようって、メニューには書いてないレッドアイを注文して、ごきげんに過ごした。
成田に着く頃、少しずつ私たちの旅について聞いてきたまわりの乗客は、みんな彼らのファンになって着陸と同時に、飛行機の中は拍手と口笛でいっぱいになった。

日本での公演を終えて、韓国の大きなフェスティバルへ。全州という街のお寺でパフォーマンスしたときのこと。開演を待つ観客の韓国人のおばちゃんたちが、ペタペタペタペタ、ベレフの女の子たちの褐色の肌を触ってきた。
羨ましそうに「綺麗ねえ。。」って、言葉がわからなくても分かる。「いいわねえ」って、うっとりした表情で、いつまでもやめない。一人のおじさんは、彼らが裸足で踊ると知って、踊り出す直前まで、境内の小石を拾ってくれてた。イントロが鳴ってほかの観客みんなに笑われても。始まる前から、涙が溢れてたまらなくなった。

その踊りと音と伝説みたいな声は、海を2つも越えて響いた。
自分にないものを持ってる何かに出会うとき、それを脅威に感じて遠ざけてしまうことがある。私は、よくある。
だけど、あのおじさんやおばさんたちは、初めて出会う美しさを、ギュギュッと抱きしめてくれた。それが私のはじめての、お隣の国の印象。

そんなことをチョキチョキ思い出していたら、カマキリは、小麦の間に飛んでった。小麦の種は世界を旅する恩師から、分けてもらったもの。

エクアドル、エスメラルダスのマリンバのドキュメンタリーhttps://www.youtube.com/watch?v=MIS71R5rOsk
(本当にかっこいいよ。パパロンコンも出てくるよ。)

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