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苦手な人とどう付き合うか自分で決めて行動する。大姑に初めて負けなかった日のこと。




こんにちわかめ。大高です。

最近仕事に使っている部屋の模様替えをしました。なかなか気分がよいのでさらにアップデートしようかなと思っています(来年春引越しだということからは目を背けています)。






今日は
「苦手な人との関係をどう考え行動するか」
って話です。

かなり個人的な話が多い上に
6000字近くになっちゃったから、
お前のプライベート興味ねぇYO!って人は
回れ右でお願いします。

といいたいところだけど、
回れ右までいっちゃうのは寂しいから
ほかの記事読んでね。えへ。








私は今回だけのことじゃないけど「自分と大切にしたい人を幸せにする」ことに時間を使うって決めました。

手放したこと以上のものを結果的に手に入れたと思っています。






自分のことを好きになれたこと、私にとって超大切な息子をちゃんと大切にできそうだって思えてること、他人への過度な期待から解放されて責任を自分に持てたこと、などなど。







人に振り回されずに人生を歩みたいと思ってたり、どうしようもないほど大切にしたい存在がいる人は読んでくれたらきっと得るものがあると思う。








義母の還暦祝いで義実家へ行ってきました




そうなんです、こないだ義母の還暦祝いをしたんです。本当におめでたいことです!!!





義父の時は夫の兄弟家族でちゃんとしたご飯屋さんに連れて行けたのだけど、今回は義父の足が調子よくないのとコロナが心配だってことで夫の実家に集まることに。








ただおうちでやるとどうしても発生してしまう準備や後片付けを、主役のお義母さんに手伝わさせてはいけない!ということで、兄弟の嫁同士で連絡して今回はちょっと豪華なお惣菜を買って持ち寄り集合することに。





それぞれ家の近くで買い物して後から合流したのですが、その途中で兄嫁に電話が来て、そこで大姑(夫のおばあちゃん)も夫の実家に来ていることがわかりました。






そこで(やっべ…)という顔をする夫と目が合いました。夫は大姑が来ることを故意に隠していたようです。







それはなぜか。








私が大姑を苦手だと思ってるから。です。








大姑は、テレビに出てくる「ザ・姑」みたいな言動を余すところなく発揮してくるタイプ。

家族には甘々だけど他人には嫌味で攻撃的で批判的。初対面の挨拶からそうでした。









もちろん何度も会っているんだけど、大姑の居た席で一度たりとも「今日はいい気分で帰れる!」と思ったことはありません。最初は毎回帰りの車で泣いていました。





泣いて夫に辛いと訴える度「俺の家族の悪口を俺に言うな」と怒られる、のループ。だから前は毎回大姑のいる集まりの後はメソメソして最終的にケンカしてたんですよね。不毛すぎるぅ~~~







でも息子が産まれたのと、自分に向き合うようになってからはかなり変わりました。








苦手な相手とどう関わるかは自分で決めていい




でも息子が産まれたのと、
自分に向き合うようになってから
考えかたはかなり変わりました。






と書きましたが、何が変わったかっていうと


①自分のことは自分で決めようと思った
②息子の健全な成長は私が守ると決めた


ということだけ。これだけ。しんぷる。








今回の集まりでは私の「お邪魔します!こんにちは、お久しぶりですね!」を、目が合っていたのに華麗に無視して、かぶせ気味に夫に「夫くん久しぶりじゃないの~元気だったかい?」と。






そのあと私に「あんた挨拶がないよ!」と言ってきました。





前まではアッ…すみません…すみません…って感じだったけど今回は「おうちに入ったときに一回、今さっき一回しましたよ^^」と私も言いました。








そしたら「挨拶なんか何回したっていいんだよ!反応されるまでするもんだ。女は愛嬌とかわいらしさが大事なんだから可愛い嫁でいなさいよ!」と。へいへい。







もう終始こんな感じ。前髪が長いから切れ、夫が太ったのは嫁の責任、女が遊ぶのは年寄りになってからにしろ、息子の顔が夫に似ずブス…。








夫のお兄ちゃんが私の仕事がうまく行ってるか聞いてくれてそれについて話しているときも、横から入ってきて「くだらない仕事」「そんな仕事で稼げるなんて嫌な世の中だね」つって~~~!!





夫のお兄ちゃんはすかさず、「なんで?そんなことないよ。あみちゃんのしてることに価値があるから仕事になってるんでしょ。」と言ってくれましたが。









一番いやなのは息子の容姿について言ってくること。





他の孫やひ孫についてもそうなんですが、容姿や特性についてすごい言ってくるんですよね。かわいくないとか、メガネはかわいそうだとか、年頃の女の子に対して他の孫と比べて太ってるって言ったり、発語が遅い赤ちゃんに対して障害だと決めつけたり。







私は息子に対してできるだけ自己肯定感をもって育っていってほしいと思ってるしそうなるように親として努力してるんだけど、他人の一言でそれを台無しにしないでほしいんですよね。





だからこれから成長して何を言われているかどんどんわかるようになっていく中でそんな発言があれば、遠慮なく距離を取らせていただこうと思っています。リスクマネジメントです。










そうやって、どうしたいという理想を考えたときにどう行動するか、という部分を自分で決めていいんだよな、それって当然だよね、と思えるようになりとっても楽になりました。








他人に自分のための変化を求めるうちはうまくいかない




前までは夫に対して、大姑のひどい言動から私と息子を守ってほしい!傷ついてるのわかってほしい!と思ってたのですがそれって他人にゆだねてるよなって気が付きました。



結局、与えてほしいばっかりだったんです。








でも夫は「ばぁばは下町育ちだからちょっと口が悪いだけ^^」「ばぁばなりにあみに立派になってほしいと思ってるんだよ^^」と。







夫からはそう見えている以上、私に彼を変える権利などないんだなとここ2年くらいでようやく思えるようになりました。

だけど嫌なもんは嫌だし、私は私を幸せにしたいので、どうするかは私が決めることにしました。








今回は夫が隠していたので不意打ちでしたが、そもそも大姑に会うのは約1年ぶり。





その間に私は自分を幸せにする挑戦をたくさんしてきました。



仕事を辞め、月収を会社員の時の3倍以上にし、楽しいことを選択して、どんどんパワーアップしてきたんです。








だから、今までは黙ってたことも反論しました。それが私にとって大姑との関係のステップワンでした。






自分の気持ちを他人に代弁させたいだとか、そのために変わってほしいだとか、それって自分にとっての敵認定が増えることにもつながりかねません。




夫が好きだから夫に大姑と戦って守ってほしかったんだけど、そう思ってると守ってくれない夫も敵になっちゃうの。でもそうじゃない。







夫は敵ではなく、味方じゃなかったってだけ。ちょっとこれ書いてて悲しいな…www







仕事とかライフスタイルとか、いろんな面では味方になってくれる部分もたくさんある人だからこそ、やっぱりここに関してはただ受け取り方が違うってだけだと理解しています。








夫を変えることはできないか、できてもとっても時間がかかります。夫にとって必要だと思えることじゃないからね。



でも、自分だったら決めさえすれば今から実践していけるんです。








自分が幸せになりたいのなら、誰かに変化してもらって…と考えていると遅いし変わらないです。




自分で自分を幸せにしよう。









全部にいい顔をするのは無理だから






こんなん書いてきてなんですが、私は大姑の言動は苦手だけど夫の家族だから大切にしたい想いもあります。



これから関係がよくなるんであれば、もちろんそれに越したことはない。








でも今まで黙っていても大人しく傷ついても我慢しても、なにも変わりませんでした。ということは、これからも同じことをしていても変わる可能性はゼロだと思ったんです。








だったら、前章で書いたようにアプローチ変えるのは私です。




大姑も夫も変える必要を感じてなくて、私が嫌だと思ってるんだから私から変える。









だから今回は、初めて冷静に反論しました。


やられてるばっかりじゃないぞという姿勢をチラリと見せました。姿勢をパンツに例えるなら、かなりいい塩梅にパンチラできたと思います。








大姑も絶対に見えないと思っていたパンツが見えて驚いたのか、結果的にいつもよりは攻撃性が弱まったように感じます。









本当は自分も息子も守れて夫が満足して大姑も満足して…な方法があれば一番いいのはわかってるんですがの私には思いつきませんし、そもそもやっぱり人がたくさん集まれば馬の合うあわないは出てくると思います。







そんな中みんなにいい顔するのは無理。


やろうとしたけど、いつもうまくいかなかった。



会社や学校などなんでもそうですが、人が集まるなかで八方美人でいることは、せいぜい嫌われないけど特別に好かれもしないというのが関の山でしょう。







どんなに美人な芸能人でもアンチはいるし、どんなに素晴らしい活動家にもアンチはいるんです。生きて人と関わるということは、そういうものなのかもしれません。







今回は大姑に言い返すということをしましたが、それによって大姑が少し引いてくれた感じ?がしましたし、


自分もやられっぱなしじゃないという自信がわいて、なんだか兄嫁といつもより盛り上がり、楽しい時間をすごすことができました。








それでも夫に言ったこと






夫には期待せず自分で自分のことを決めると言いましたが、それでも夫に言ったことがあります。




まず夫には、隠して会わせるようなことはしないでほしいと伝えました。




夫は「接点がないからばぁばを嫌いなんだと思った。強制的に会う機会を作れば仲良くなれるんじゃないかって…」とのことでした。うーん。








また、大姑に言われたことも報告し、私が嫌な思いをしたことも伝えました。これが続くなら、私は大姑のいる集まりは遠慮することも考えていると。






夫は、「ばぁばが死んじゃったとき、あみが俺と同じ気持ちで悲しんでくれたらうれしいと思ってるから仲良くしてほしい…」と言いました。







私はあなたの家族を好きでいたいし好かれたい気持ちもある。でも、そもそも結婚したのはあなたが好きであなたと家族になりたかったから。




私は自分と自分の選んだこの夫と息子の家族が何よりも大切で、それ以外のことに必要以上の責任をもつつもりはない。




仲良くしてほしいと思うんだったら、そうなるようにあなたも努力するべきだと思うが、それはあなたが選ぶことだと思う、と言いました。










夫にとって努力してでも仲良くしてほしいならそうするだろうし、そこまでの価値を感じないならこれまでと変わらないと思います。

それで全然いいです。








これからの選択肢





ステップワンとして嫌なことは嫌だと言う、という選択をしました。



今後も変わらないようであればステップ2として『やべえこと言われた瞬間に息子を連れて車で帰宅する』、ステップ3で『二度と会わない』という選択肢を持っています。つよつよ。







これが、私が自分と息子を守るためにできるなって決めたこと。





夫の家族だから仲良くしないといけない。好かれないと、好きでいないと。前はずっとそう思ってたからしんどかったんです。






でもそんなのはおかしい。

~だから~であるべき、なんていうのはこの世にない!!!







会社や学校でもそうです。ここにいないといけない、こうでないといけないと思っているのは、案外自分のなかの思い込みだったりします。


他にはいい子で見られたいとか、優秀に思われたいとかの理由もありました。







こうしないと…と「他の人から期待されていると自分が思っている役」「見られたい自分」を演じるたび、どんどん他人になっていく感じがします。









わたしはずっとそうしてきてしまったんです。だから言いたいんです。



それ麻痺するよ、自分を大切にしないことにどんどん慣れていくよ。

自分を生きよう。









誰の期待に応える必要もない、自分に期待して自分の理想を追って自分を幸せにしてね。






傷つけられて心が悲しみでいっぱいになってる時、人生の時間をその傷つけてきた人に使っているんだよ。もったいないよ。いやすごくわかるけどね、悲しいもんね。







でも本当に、「あ。自分で決めよー」って納得できてからはめちゃくちゃ楽ですよ。覚悟の割には意外とこんなもんかーって思いますよ。







だいたいこういうのって、足を持ち上げるって決めるまでが気が進まないものなんですよね。決めちゃえば歩きだすのは早いんです。









嫌われたくないに打ち勝って




私は自分を幸せにしたいと思ってやられっぱなしじゃないって決めたけど、それでも言い返すのが怖くないわけじゃありませんでした。



でもやってみたら意外と相手も自分も大丈夫でした。








疲れも違いました。


いつもならずっと悲しい気持ちに引っ張られてたけど、今回は自分のすべき行動はとれたとどこかでスッキリしていました。






嫌われたくないという気持ちを遠ざけて、健康的になれたように感じました。







私は大姑に服従する態度を取ることで、大姑に「だから嫌わないでね」「だから家族として好きになってね」という見返りを求めていたのかもしれないです。




だから攻撃が止まないと、がっかりするし傷つくのでしょうね。







少なくともそれを手放せたことは大きな収穫です。


私を好きかどうか、どんな態度を選択するかは、大姑が決めることで私にコントロールできることじゃないんです。







そんなことを考えながら運転し家に着き、帰りの車で寝てしまった息子を抱っこして布団にそっと置いたとき、「私が人生に向き合わず強いものに服従する人生のままだったら息子にどんな影響があっただろう?」とふと考えてゾッとしました。







息子が色々理解できるようになって、攻撃されてもヘラヘラ耐える母親の姿を見たら?

息子自身が何か言われたとき、その場で守らずスルーしてしまう母親だったら?

息子にどんな影響を与えることになったでしょう。








息子がある程度大きくなるまでは、両親が行くところに拒否せずについてくると思います。


ということは、私と夫が行くと決めれば大姑に会うことについて息子に拒否権はないわけです。(実際には私は息子の気持ちを考慮するつもりではいるけれど)






そこでもし、息子に嫌な気持ちをさせてしまったら。






また、親が直接見て守ってあげられる期間はとても短いと予想しています。

集団生活をするようになれば、目の届かない時間は増えます。





学校で何か言われても、それを母親が見守っていつでも飛び出して守ることはできないし、したらやばい。








だからこそ息子には、攻撃してくる人とは距離を置いていいし悲しいのを耐える必要もないんだという心の自衛を身に着けてほしいのです。






そのためには、親がその姿を見せることがいい影響になるのではないかと思っています。

大姑の悪口を言うわけじゃないよ。それは違うから。






だから嫌々出勤するのではなく仕事を楽しんでしてる姿を見せたいし、だから好きな人に時間を使う姿を見せたいし、だから息子が嫌な気持ちになったときに離れていいよ!とGOサインを出せる親で居たい、ということです。








今回この記事ではかなり個人的なエピソードをふんだんに散りばめちゃったからどれくらいの人が共感して読んでくれるかはわからないんだけど、それでも置き換えて考えてもらったとき、あなたの人生がより豊かになるヒントに使ってもらえたらこの上ないよろこびです。







こういうときどうしてる?今こんな状況です。など、いつでもご連絡くださいな!

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サポートしてもらえたら嬉しいです。なにに使おうかな。ジェネリックそうめんじゃなくて、揖保乃糸を買えます。