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初めて死のうと思ったとき、私は小学校4年生だった。


初めて死のうと思ったのは、小学校4年生だった。


私はなにかで、母にひどく叱られていた。普段から言われていた胸が痛い言葉の中でも特に、「育て方を間違えた」「失敗」という言葉がつらかった。


母の声が頭蓋骨のなかで何度もはね回ったあと、勢いを失って転がって脳みそのど真ん中に止まる。反響して、視界がぐにゃぐにゃ歪む。

頭の中に存在感をもって横たわる「母は私を失敗作だと思っている」という事実に、涙が止まらなくなる。話すことも出来ない。

追い討ちのように、「泣くのは自分が可哀想だと思ってるからだろう」と母の声が続く。


そんなことない、ごめんなさい。

そういいたいのに、しゃくりあげてしまって声が途切れ途切れになる。


母は深い深いため息をつき、冷たい目線を一度私に向けたあと立ち上がって、出かける支度をはじめた。私も泣きながら、着いていく準備をする。

母が弟の手を引いてリビングを出る。私もそれに続こうとする。


「来ないで」と言う母の声と同時に、リビングのドアが閉まる。


ごめんなさい!どこ行くの?連れてって!ママ行かないで!!

ドアを開けて追いかける。押し返される。何度もそれを繰り返す。5歳下の弟が母の手を握ったまま、バツが悪そうに私を見る。


何度もお願いしたら、連れていってくれると思っていた。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。最後は叫ぶようだったと思う。

でも結局、母はその日、私を置いて階段を降りていった。


泣きながら自分の部屋に戻った。ベッドに横になると、涙が耳の上を抜けてこめかみが濡れる感じが不快だった。

窓の外から玄関が開く音が聞こえて、慌ててカーテンを開け見下ろす。母の赤い車に弟が乗り、母も乗り、エンジンがかかり、駐車場を出ていく。


本当に置いていかれてしまった。どこに行くのか、何時に帰ってくるのか。これからは一生、母は弟だけを連れていくのかもしれない。私は失敗作だから。


ふと見ると足元には、ゲーム類がまとめられた箱があった。ニンテンドー64と、64の黄色と青のコントローラーがぐちゃっと入っている。

このコードで首を絞めたら死ねるかな。死にたいな。


首を吊るには、この部屋にはカーテンレールしかない。私の体重だと、折れてしまうかも。自分で絞めるしかない。


その前に、死ぬなら遺書を書かなくては。机に座って、便箋を探す。薄いブルーの、『たれぱんだ』の便箋しなかった。かわいい遺書でまぬけだけど、まぁいいか。


遺書を書こうとして手が止まる。遺書って何を書くんだろうか。


わからないから、どれだけママが大好きなのかを書いた。何度も謝罪をした。大好きなママにはもう会えない。あれが最後。悲しくて寂しくて、涙がバタバタとたれぱんだの上に落ちて紙がふやけた。

ママは、この涙の跡を見て、私にごめんねと思ってくれるだろうか。後悔するだろうか。悲しくていっぱいいっぱいなのに、どこか冷静にそんなことを考えていた。


遺書、というか、母への手紙を書き終えた。ゲームが入った箱に手を突っ込み、コードを一本引っ掴んで抜く。赤白黄のプラグが付いた幅広のコードだった。

ベッドに浅く腰掛けて、首に一周まわして左右に引っ張る。苦しい。力が緩む。

思ったより苦しい。どうしよう。



数歩歩いて、今度はピアノの椅子に座り直す。首にコードを回して、左右に引っ張る。さっきより強く、緩まないように。でもやっぱり苦しくて、力が緩んでしまった。


多分、私は死ねない、と思った。


死んだ私を、母に見つけてほしかったのに。
抱きしめてごめんねって言って、一生後悔してほしかったのに。
お葬式で立てなくなるほど私を想って泣いてほしかったのに。

それを、おばけになって見たかったのに。愛されてたって、確認したかったのに。



どんなに頑張っても母の望むいい子にはなれない、かといって死ねるわけでもない。

母から落胆されたまま生きていかなければならないこと、ただただそれが、辛かった。


死ねなかったのに、遺書が見つかったら、また怒られる。机に隠した。数年はそのまま、いつ死ぬかわからないから、その時のために取っておいた。


あれから20年以上経つけれど、私は今も『置いていかれる』『閉じ込められる』『懇願しても無視される』といったシチュエーションが異常に苦手だ。フィクションの作品でも、息が苦しくなるので見ることができない。


こどもたちに泣きながら訴えられると、死のうとした日の母にすがりついても受け入れられなかった絶望感がよみがえって、つらい。


たとえば、食材を買い忘れて、夫に子供たちをお願いして家の隣のスーパーに行こうとする。わたし一人なら帰宅まで10分もかからない。

でも出かける様子を察知した子供たちが「ママと一緒に行きたい」と泣きそうになる。「すぐ帰ってくるから大丈夫だよ」と伝えても、泣き出してしまう。


そんな時、このままドアを閉めたら……と思うとどうしようもない気持ちになるのだ。あの、駐車場を出ていく母の車を見送った絶望感。

わかっている。うちの子どもたちは本当に切り替えが上手くて、夫に任せて出かけてもすぐに泣き止んで楽しく過ごせること。


でも私は、靴を脱ぎリビングに戻り、子供たちに上着を着せて、一人なら10分もかからないはずの買い物を、30分かけて子供たちと行く。ごま油を買うだけのはずのおつかいで、子供と選んだおやつをたんまり買って帰る。


この子たちに会うまで、私はずっと頭の中に『たれぱんだの遺書』を隠して生きてきた。いつ死んでもいいように。


自分は失敗作だと信じてきた。いつも何かに、誰かに、ごめんなさい、と思っていた。


でも、もうそれに疲れてもいた。仕事もがんばってる、素敵な人が結婚したいと思ってくれた、子供を授かった。生きてていいって、生きててよかった!って、思ってもいいんじゃないか。


そういう決意が、退職や独立の後押しになった。自分の幸せのために、失敗作な自分をぶち破るために、育てられ方?そんなもんクソ喰らえだよ関係ねぇよと言えるために。人生をゼロから作り直したかった。


今、私がいないと泣いて起きてしまう娘が、私のお腹に頭を乗せて「スースー」とマンガみたいな寝息を立てている。

この文字を打っているスマホの中には、大切なクライアントさんたちとの愛に溢れたやり取りが残っている。

かつて絶望感でいっぱいだった脳みその中には、「どうしたら優しすぎる人が報われるか」「コーチとして稼いで幸せに生きる方法をどうシェアしていくか」そんな伝えたいことがパンパンに詰まっている。


楽しそうですね、幸せそうですね、とよく言われる。昔からそうなの?と思われるかもしれない。

違うんだ。私は、ここ数年で生まれ変わったんだよ。



コーチングを学んだ。ひとりでやっていたけれど、食べていくほどは稼げなくて、折れかけた。でもやっぱり諦められなくて、まずは自分がコーチングを受けた。

生きやすくなった、愛に気がつけるようになった、本当の友達が増えた、お金が怖くなくなった、挑戦がたのしいことになった。


職場の恐怖で支配しようとしている人間に気がついて、もうここは私には必要ないと退職して、独立した。そこからは、「大高あみが好き」と言ってくれる人だけが仲間で、お客さんだ。


絶望は、それぞれにある。
きっとこれを読んでいるあなたにも、思い出すと血液の温度がサーっと下がるような絶望があったのでは。

自分はなんてダメなんだと、落ち込んだ日があったのでは。もしかしたらたった今も、続いているかもしれない。


もしその絶望が、誰かによってもたらされているのなら。それはあなたを支配しようとしている人が絶望を攻略に使っているだけだ。

絶望が誰かによってもたらされたものなら、希望だって誰かから受け取れるはず。だから大丈夫。


もし自分で絶望を生み出しているなら、それはきっと自分次第で絶望の生産をストップできる。絶望を生産していたエネルギーで、希望の生産にスイッチしていける。


人生は挑戦によって、いつでも作り直せる。飛び込んだ世界が、私たちを変えてくれる。


私はいま、生きてきて本当によかったと思ってる。死ななくてよかった、死ねなくてよかった。

夜更かしして、本を読んで、ゲームして、美味しいものを食べて、大切な人がいる。

自分で、大好きなおうちで、お金を稼いで生きている。


もう嫌だ!という気持ち。
報われてやる!という覚悟。
私は失敗作じゃない!という怒り。

決してポジティブとはいえないかもしれない。キラキラ輝いたストーリーとは違うかも。

でも、案外そんなもんだったりするのだ、成功の一歩目なんて。



報われたい人が報われることを諦めなければ
愛されたい人が愛することを諦めなければ
一人で抱え込まずに本音を言えれば
きっとこの先、生きててよかった未来はある。


私のサービスで一番売れているのが、「コーチングだけ」じゃなく「発信のコンサルだけ」でもなく、「コーチングもしながら個人ビジネスのお手伝い」なのは。

きっと、これがこんな人生を歩んできたからこそ私に出来ることであり、必要とされていることだからなんだろう。


あなたの挑戦を手伝うパートナーが、私でありますように。生きててよかった明日が、あなたにきますように。




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