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いい人が成功してないとしたら、それはね



こんにちは!大高です。

今日は、『いい人』に成功して欲しくて記事を書きます!!


私はお利口に暮らしてきたのに報われない人を、自分含めたくさん見てきました。


だけどそんな人こそ、いつだって幸せに過ごせるべきチケットを持つべきだと思っています。
ハートフル特急片道ハッピーライフ行きのチケットを。

というか、持っていてくれ、頼む、というもはや祈りにも近い気持ちでいます。


私はいい人が好きだから。



もし今あなたが、自分は真面目に努力してきて、なのになんだか報われてなくて。

周りにはズルい人が多くいて、そいつらの方が得してるように見えて、なんなんこの世の中???は???ってなってるなら。


自分の嫌な自分になれないとうまくいかないのかなって不安になっているなら。


このまま読み進めて行ってください。



美しき私たち



私のクライアントさんはいい人ばかりです。

優しくて、誠実で、努力家で、真面目です。

それでいてお茶目で話すと楽しい人。



これを『いい人』と呼ばずして誰がいい人なの!?といういい人。


私まで遠回りしてボロボロでたどり着いた、いい人。










ちなみにですが、私も結構ないいヤツなんですぜ旦那。

そんで同じように、大きな声で幸せだなって言えるまでかなり遠回りしてきました。

その辺はこの記事で。



そもそも学校でも道徳にまさかの正解があるような教育を受けるほど、散々いい人でいることを求められてきた私たち。

それを愚直に守ってきた私たち。

なのになぜ、いい人である私やクライアントさんやあなたが遠回りすることになるのか?



おかしいじゃないか。おかしい。絶対に変。

誰も傷つけず、悪いことをせず、人に手を差し伸べてきた。
誰かのささやかな幸せを守ってきたはず。

なのに、「なんで私はシアワセじゃないの?」とある日絶望する。




この紐付けが謎だからうまくいかないんだったら、きっとここを解き明かすことで損しないいい人になれる。


ここからはその仕組みを話していこうと思います。



エネルギーは川みたいなもんで



去年の夏に退職してフリーランスとして暮らすようになったのだけど、何に驚いたかってエネルギーの流れを感じたことなんです。


ストレッチマンのように「どうだこの辺があったまってきただろう!?」というのとは違います。

めちゃくちゃ簡単にいうと気力体力って決まったゲージの中でやりくりしてるんだな〜って感じ。



やっぱり会社という自分の選んだわけじゃない大人数と交流するってエネルギー使うものだから、本来流したいところに流したいだけのエネルギーを注げていなかったんだなと思ったんです。



例えば子育て。

平日の夜や土日に疲れてて目一杯遊んであげることができなかったのは、まさにエネルギー切れでした。



例えばゴミ捨て。

廊下には潰してない段ボールが積み重なっていました。読みもしないカタログがまだビニールに包まれたまま積み重なっていました。


DHCのカタログ、溜まる溜まる…



こんなの捨てようと思ったらあっという間なのに、体も疲れてて、分別で頭使うのもめんどくさくて、後回しにしていました。



仕事を辞めて、子供とたくさん遊べるようになったこと、ゴミ捨てるのって大したことなくない?なんでできなかったんだろ?と感じた時。


そっか〜〜〜!!たくさん頑張ってたからエネルギー切れやったんか〜〜〜〜!!と合点がいきました。



自分のエネルギーっていうのはもともと大きな川みたいなもので、そこからそれぞれの支流に分かれていくのだと思います。


もちろん支流が多ければ多いほど、下流なら下流なほど、流れは細く弱くなります。



私の場合は会社にエネルギーを使いすぎていたり、母に気を遣いすぎていたり。そんな風に少しずつ自分のエネルギーを分散させていたのです。



それが仕事をやめたことで十分なエネルギー量を確保したまま、子供に向き合ったり家のことをしたりできるようになりました。



例えば実家に住んでいたり、
義家族と同居してたり、
合わない友達と無理して付き合ってたりするのも似たような感じだと思う。

なんのしがらみもなく選べるとしたら選ばないであろう相手と付き合うってそういうこと。



頻繁にエネルギー切れを起こしていた時には思うようにできないことが日常の中にあまりにも多くて。

「私はダメなやつだ」「何ひとつ思うように動けない」「こんなの普通にやってる人はたくさんいるのになぁ」という思いで毎日いっぱいでした。


だけど厳選した場所にだけエネルギーを使えるようになって思うように体も頭も動くようになったのを感じました。


ようやく、もしかしてこれまでは余分な支流を作りすぎていたのかもしれないと思うようになりました。



どうして支流が増えたのか


最初に書いた通り、この記事は真面目に過ごしてきた心優しい『いい人』に向けて書いています。


私の関わってきたひと調べにはなってしまうけれど、いい人は支流が多いなと感じます。


向けられた期待に背けない。
人に不愉快な思いをさせたくない。
頼まれたら断れない。


そうやってどんどん、大きな川が枝分かれしてしまう。
後出しで無理ですといってがっかりさせるのも怖くて、一度流した支流を止めることもできない。



その結果、気がついた時には自分や自分の大切なものに流せるエネルギーが今にも枯れそうなチョロチョロの川になってしまう。



ある日、手の中を見ると



いろんなことに頑張って、食らいついて、サボらず愚痴らず真っ直ぐに進んできた私たち。


いいことをしたら気分がいい、「さすが」と言われればほんのり木に登りかけてはすぐに降り謙遜し、周囲の人の気分を害さないような対応をスーパーコンピューターよりも素早く弾き出してきました。


でもそれに、エネルギーを使いすぎてるのかもしれない。



自由奔放でズルく見えるあの人は、ずるいのではなく自分のエネルギーを消費しないことに長けているだけなのかも。


お金を溜め込む人をケチだと揶揄することがあったり、有事に食料を買い込めばメディアに踊らされた情弱だと言われたりする。

何かを温存して貯めることをこの世の中はあんまりよしとしないものですからね。



私たちはそれでいうと、エネルギーをケチらずにほかの誰かのために十分な水量を分け与えて暮らしてきました。

在庫ゼロ。自分の取り分ゼロ。

それはそれで、素晴らしいことには間違いありません。


だってあなたと過ごすと気分がいいなと思う人が確かに存在したんだもの。それはとってもすごいこと。かっこいいこと。



だけど、少し立ち止まって握りしめてた手の平を柔らかく開いて見つめてみてほしい。

そこには、何がありますか。

握りしめてくしゃくしゃになったそれは、人生の終わりに棺桶に入れたい大切なものですか。



手の中に自分にとって必要で大切でどうしようもないものがあるのなら、また硬く握って歩き出していいと思います。

オードリー春日のように胸を張って堂々と。


だけど、もし本音では好きだと思えない人からの賞賛や、搾取してくる構造からの期待を握りしめているのなら、それは。

そんなに硬く握ってエネルギーを消費してまで守るべきものなのでしょうか。


ねぇ、今日までそれを守るために、もう十分すぎるほど頑張ってきたのではないのかい??



正直に伝えるとね。



私は、子供を後回しにしました。


待っているのを知っていて残業しました。待っているのを知っていたけど座りたくて電車を一本遅らせました。遊びたいと思ってくれているのを知っていて、公園に連れて行かずyoutubeに任せました。

段ボールの収集日だと知っていて、足で廊下の端に避けて出勤しました。

嫌味を言われているのをわかっていて、ヘラヘラしました。




どれも別に、して悪いことだったとは思いません。頑張っていたとさえ思います。


でも、でも。


握りしめたかったのは、子供の手だった、本当は。

それは、子供って何事にも変え難いものだから!ということではなくて、私が何よりも子供を愛したいと優先したいのだと本音では願っていたからです。


問題はそれが模範的か道徳的かではなく、想いと行動が一致していたかどうかです。


だから、もちろん想いによっては子供の手を握るために自分の夢を諦めるべきではないと思う。

何事も、まずは自分の想いがどこにどうあるかなんですよね。それに一致した動きができているかなんですよね。



いい人のまま成功する


さて、話題は最初に戻って。


いい人のまま成功したい。嫌われずに結果を出したい。


これは、可能だと思っています。



だけど、そのためには準備もいるなと思っています。



これを読んでいるくらい経験を積んできたあなたはもう知っていると思うけど、生きて行く中で知り合う人全員に好かれるのはなかなか難しいことです。

本気で成功を願ってくれる人というのも多くありません。



まずはそれを、揃え整えるところからなのだと思います。



言い換えれば、自分がいい人でも成功できるような環境を用意するということ。


私の動きを喜んでくれる人に囲まれて、
私の成功を願ってくれる人に囲まれて、
私の努力に刺激を受けてくれる人に囲まれて、
私の真面目さに感動してくれる人に囲まれて…


私の思う「いい私」を歓迎してくれる人と過ごすこと。


私にとってそれは、自分の好きな自分が最大化される方法でした。



それまでの道のりでは搾取してこようとする組織に背を向けたり、利用しようとしている人に拒否を示したり、好きじゃない人との時間を減らしたりとこれまでの自分ではできなかったことに挑戦する必要がありました。

簡単ではなかったけれど、効果はバツグン、会心の一撃でした。



だって、その苦労なんか屁でもないくらい、今私は思うように愛する相手の手を握って好きなゲームして手芸して、考え事してそれを伝えたら喜んでくれる相手と仕事してるんだもの、そらぁ幸せよ!!!ゲーム実況見ながら赤子のほっぺたを吸って1日が終わるんや!!!最高!!!!



多くの人にとってのいい人でいることってすごく難しくて、Aさんにとってはこのやり方がいい人だけどBさんにとってそれは嫌な人、ってことが起きる。


基準を他人にすると、クリアできない無理ゲーになるんです。


だから自分を基準にして、それがいいと言ってくれる人や環境と過ごせばいい。



認めてくれない人たちの中で、もっと頑張ってもっと学んでもっと我慢して…とするよりも、今の自分を認めてくれる人を探しに行く感じ。


これまで補填型で信頼を集めてきた人からすると「そんな優しい環境では甘えてしまうんじゃ…?」と思うかもしれない。私も思った。


でも蓋を開けてみると逆でした。


切れそうな糸を切れないように守り続ける努力より今好きでいてくれる人たちにもっと好きになってもらうための努力の方が、楽しいし身につくから能力が伸びるのが速く伸び幅も大きかったのです。



もういいじゃないか


いい人でいるのは大変だ。

楽なのは、楽しそうなのは、スルスルと波を超えていくのは、どこかズルい人が多い。特に組織にいると。


口八丁手八丁で言いくるめてうまくいくあの人。言い訳がうまくのらりくらり大変な局面をかわすあの人。他人の気も知れず言いたいこと言ってるのに「あいつはそういう奴だからな〜」って嫌われないあの人。



なれるもんならなれたらいいけど、ズルくなれないんだよ。私たちは、いい人なのだ。いいではないか、それで。


関われば傷つけないか心配になる。期待されたら応えたくなる。話すときは真正面から受け止める。



だからさ、だから、どうせだったら。そのまっすぐさを活かすなら。


好きな人に囲まれよう。大切にしてくれる環境に身を置こう。すでに持っているものをありがたがってくれる人を選ぼう。いいではないか、それで。



私はこれまでにコーチとして様々な環境、様々な背景を持つ人と話してきたけれど、素晴らしい人ばかりだった。頑張ってる人ばかりだった。

多方面に頑張りすぎて、縛られすぎて、ぎゅっと握った手にはもう握力が残ってなかったり手を緩める勇気が足りなかったりして、新しい優しい環境を手にできないでいる人が多かった。



私はそんな人と話すたび、不必要だったものを握りしめてきた自分を許すことができた。そんな私だから、あなたのことを馬鹿にせず理解して一緒に歩めるから。


言っとくけど私、すでに持ってる宝物を掘るのが得意だよ。それに気づいたらもう、幸せになるための道を引き返せないよ。幸せに気づいてしまうよ。それでもいいなら仲良くなろう。私はあなたを笑わない、私はあなたに足りないなんて言わない。


これまでよく頑張ってきたね。




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