夢を絶たれたり、裏切られたり。絶望した人だからこその世界があるよ。
こんにちは。大高です。
自分がこれだ!とピンときて、真っ直ぐに追いかけた夢が絶たれたことがあるひとはどれくらいいるのだろうか。
大なり小なり、大人になるということはどこかで夢を断たれたりするものなのかもしれない。
自ら諦めることもあれば、どうしようもなかったこともあるだろう。
自ら納得して諦めたのでなければ、それはしんどい出来事だったに違いない。
輝く道に続くドアがコナンのエンディングのように閉められるだなんて、どれだけ些細な夢だろうときっととてつもなく悲しい。しかもネクストコナンズヒントもない。
私は夢を断たれたことがある。21歳だった。
あの時はもうだめぽ、と思ったけれど29歳の私は今日が一番楽しい。
もしいま、あなたが不完全燃焼でぷすぷすと煙をあげているのなら、私の経験が何かヒントになるかもしれない。
誰かによって乱雑に閉められたドアじゃない、別の輝くドアが私たちにはある。
夢を見つけたのに順調に行っていない人も、熱烈にアピールしたのに夢と両思いになれなかった人も、ちょっとだけでいいから読んでいってほしい。
自分でドアを開けよう。
言い訳せずに立ち向かおう。
準備だなんて都合いい後回しの言葉に頼るのはやめてしまおう。
どうか、夢を、自分の本気のしあわせを、叶えることに貪欲になってちょんまげ。
大学を中退した。しかも3年の夏に。
私は大学を、家庭の金銭的なトラブルで中退した。
大学3年の夏。大学も折り返しを過ぎている、結構な後半である。おいおいマジかよ。
家は高校の時から金銭トラブルに見舞われて貧しかったけれど、ガッツリ奨学金をもらっていたので心配ないと思っていた。
私には予想できなかった、突然の出来事だった。
と書いてみて思ったけど、父が謝ってきたときにさほどびっくらこかず、スッと受け入れて「うん、わかった」と言えたところを思い返すと、予想はしていたのかもしれない。
予想できていようとそうでなかろうとどうでもいい。
ただ、それはそれは、絶望した。
私の夢は、叶った時の妄想で飯が5杯食えるくらいに素敵だった。だけど、叶わなくなった。
もう死にたい、とツイートしたらTwitterを見ていた母が泣いた。そして怒った。もう二度とその話(中退した話)はするなと言われた。
私のデザインを街中で、コンビニで、見かけるはずだった
子供の頃に選んだ…というか選ばされた夢は何だか、大人の開く『夢カタログ』から選びとるようなものだったように思う。
生意気なくせにそれを隠すこともうまかった、つまりあざとかった少女大高は、『大人はこういうこと言って欲しいんすよね?的な夢』を昔はキラキラした目で語っていた。
思ってもいないのに、それが喜ばれるから。我ながら可愛くない。
時は過ぎて高校生の時のこと。
母が小さな看板屋さんでパートし始めたことで、家のノートパソコン・通称VAIOちゃんにIllustratorがインストールされた。
そこから一気に、私はデザインにのめり込んだ。
頭の中で描いたものが、画面のなかで形になる。楽しかった、ワクワクした。
その秋、文化祭のクラスTシャツをデザインした(愛するドット絵のマリオのデザイン)。
イラレ形式での入稿は手書き原稿を送ってイラスト化してもらうよりもずいぶんと割安だったし、看板屋さんのつてでTシャツ業者さんが安く請け負ってくれた。
出来上がった時には本当に震えた。私の作ったデザインが商品になって段ボールで届く。みんなが私のデザインしたものを着てる。すごい。しかも可愛い。マリオ。
そうして、私の中ではじめて『誰かを喜ばせるために言う』ものじゃない夢ができた。
小さい頃から本が好きだった。商品のパッケージを隅から隅まで読むのが好きだった。だから、本の装丁や商品パッケージのデザインをすると決めた。
佐藤可士和さんの情熱大陸をなぜか忘れられなかったのも繋がった気がした。私はきっと、ずっとこれがしたかったんだ。
これは、誰かの夢カタログではなくて私が自分で捕まえたものだ。
大学は芸術学部に進んだ。苦手なデッサンや構成も食らいついた。真面目だったし、成績は優秀だった。
いつか私は、自分がデザインした表紙の本を書店で見かける。
いつか私は、自分がデザインしたペットボトルのお茶のパッケージを街中で見かける。
そう思っていた。
ハロー、ハローワーク
授業料の支払い期限の前日だったか、その日の朝に大学を続けられないと知ったので、あがくことさえもできずに中退はあっさりだった。
自分夢への勉強が消える時に、あがけもしないのである。
母には公務員を勧められた。
朝は家事をして、昼から夕方は公務員試験の問題集を解き、夕方から深夜までは学生時代から引き続きダイニングバーのバイト。
公務員試験の前日夜、彼氏が良かれと思って好物の激辛ラーメンを食べに連れて行ってくれた。
試験の日、ずっとお腹が痛かった。ぎゅるぎゅる。
腹痛がなくても受かってなかったとは思うけど、精一杯の負け惜しみで「腹痛で試験に集中できなかった」ことにしている。
私は落ちこぼれ扱いになった。バイトも試験の前の追い込みで辞めていた。ニートなので、冷蔵庫を開ける度に嫌味を言われた。
これは…働かなければ…いけないようだな…?
30分ほどで行ける距離のハローワークへ、迷いに迷って2時間かけて行った。
時間に余裕をもって家を出たはずなのに、町内放送から『ゆうやけこけ』が流れてきたときはマジでちょっと泣いた。
ハローワークがそもそもどういうシステムかわからず、『あきらかに私困ってます顔』をしてカウンターを見つめたけれど、誰も相手はしてくれなかった。
学生とは、優しい人が周りにいる環境だったのだな、と知る。
意を決して話しかけたものの、受付のおばさんが、もう信じられないくらい、空前絶後の、超絶怒涛のめちゃくちゃな意地悪だったことに意気消沈。
誇張ではなく半泣きで家に帰った。
何も進まなかったとは、母に言えなかった。
ハロー、ハローワーク、アゲイン
その後、彼氏の美容院に付き合って藤沢に行った時、ふと思い立ち藤沢のハローワークにいった。
おひょいさんみたいなおじいさまがゲロ丁寧に教えてくれたおかげで、無事求人表を検索するところまでたどり着けた。
番号札をもらい、パソコンで検索する。
実は、この時まではまだ、私はほんのり「デザイン系の会社に行けるのではないか」と思っていた。
チェックボックスにチェックを入れて絞り込んでいく。
女、20代、高卒。
え、なに?情報操作されてる?ハッカーが私の就職阻止してる?ってくらいにガツンと求人が減る。
残ったほとんどが、介護と事務。
私はそこではじめて、自分という人材の市場価値をつきつけられた。私が仕事を選べる訳では無い、私を選んでくれそうな会社にお願いするのか。
であれば、シフト制の介護職よりは曜日固定の事務がいい。条件なんて鼻くそ程度にしか差がないので、勤務地を条件の中心に選んで印刷する。
印刷したら窓口にもっていく。職員さんが求人表を見て求人は出してるが実質受け付けていない(なんだそれは、と今でも思う。募集してないなら消せよ)は会社をはじいていく。
印刷したのが6枚か9枚か忘れたけど、私が応募できるのは2件だけだった。しかもあとから気がついたんだけど番地が2つしか違わない極めてご近所同士の会社が2件。
私がどうしても座間市小松原で働きたい女みたいじゃないか。
かくして、そのうちの一社に内定した。私のスーパー事務員時代の到来である。
ここからは何度も語ってきた事務員としての毎日がはじまったので、細かいことは割愛する。
夢が絶たれたことで
ここまで書いてきたように、私は夢が絶たれた。
私のデザインは、街中にも、書店にも、ない。
デザイナーとして、個展を開くことはできない。デザイナーとして、情熱大陸に取材もされない。
だけど、新しい夢を毎日食べながら楽しく暮らしてる。
ひとつ言えるのは、あの時夢が絶たれてよかった『かもしれない』な〜ということ。
人生の岐路の色んなパターンを見ることはできないから言い切れないけど、私はあの時あの絶望を味わったから今コーチとして活動できているんだと思う。
中退した。公務員試験に落ちた。ハローワークでババアにエンカウントした。能ある鷹は爪を隠すと自分に言い聞かせていたのに、爪が生えてなかったことを知った。
無力だと知れたから、本気になって事務員を極めた。だから教育係に任命された。
教育係に任命されたから、人を育てる難しさにぶつかってコーチングを勉強した。
子供を産んで復帰したらパワハラにあった。だから、仕事を辞めたいと思った。
一枚ずつバタンと閉められていったドアに背を向けて走り続けたら、ここまで来ていた。
夢なんて
私の今の夢はコーチングで…と言いたいところだけど、そうではない。
私は私と息子と娘(と、夫)が幸せならそれでいい。私の夢は私の好きな人たちが超幸せになること。
夢なんて、いい事言わなくていいのだ。
コーチングはとっても好きだけどボランティアでやりまくりたいとは思えないし。
私はこの仕事が、本気で人に向き合ったらちゃんとお金が稼げるし相手も幸せになって稼げるようになるし最高!だから好きなだけなのだ。
五兆円が手に入ったら、多分私は働かないもの!
絶望は強いぞ
私よりあっさり味の絶望を経験した人も、もっとこってり味の絶望を経験した人もいる。
だからすごいとか、すごくないとかはどうでもいい。誰かと比べる必要なんかない。
どれだけ他人から見たらライトな絶望だって、当事者にとって辛ければ辛いと言っていい経験だから。
どんな種類でもどんな味付けだとしても、いい。絶望した人は強い。
ドアが順調に開かれなかったからこそ、自分で新しいドアを見つける力が湧く。ドアを開ける知恵がはたらく。
組織に入ることや、誰かの支配下にいることは、自分だけで開けられないドアと付き合っていくことだ。
仕事を頑張っても上司の好みでドアが開かないことだってあるだろう。
理解のない親がドアを開けることを邪魔してくることだってあるだろう。
だから、私みたいなお豆腐メンタルのくせに自己顕示欲の強いお人好しは、自分で開けられるドアを自力で開けていく必要がある。
誰にも邪魔させてはならない。
夢が絶たれた人、裏切られたことがある人。
絶望はしんどかったと思うけど、それはあなたのエネルギーになり、開けたいドアの鍵になるから安心して欲しい。
というか、そうでもしないといつまでも生きる世界に絶望したままだ。そんなの悲しいから早く昇華させちゃおうぜ!という感じ。
10年前デザイナーになるとワクワクしていた私は、いま、あの時名前すら全く知らなかったコーチングの世界で結構稼いでいる。
絶望してよかった。だから信じる人を選べたし、夢を叶える仕事を見つけられたし、幸せに働けているし、毎日暇である。
もう誰かを喜ばせるために頑張らなくていいよ、自分の夢とそれを応援してくれる人とだけ幸せになればいいよ。
🌟大高あみ公式LINEができました!
0歳の赤子と2歳の幼児を育てながらコーチとして暮らすわたし大高あみが、『ブログよりぶっちゃける』というテーマで週に2~3回の配信をしています。
登録者プレゼントも準備しているので、今日の記事がよかったと思った人は、お友達登録してくださいね〜!
もちろんすぐにブロックしてOK!わたしと一番仲良くなれるメディアです。
【お友達登録のプレゼント】
🎁有料マガジンのサンプル
🎁体験セッションしまくって契約が取れなかった時の提案資料解説動画
🎁ターゲット設定のワークシート
🎁ブログの添削企画もやってます!
登録はこちら👉https://lin.ee/3IUhexh0Z?
【自己紹介】
大学中退⇒ただの事務員⇒独立⇒第二子臨月に月収100万円達成。
すぐちょける。おしゃべり。下ネタ。
【商品】
セールス苦手なコーチ向けノウハウ
https://note.com/amiotaka/n/n85f82ed3565e
考え方ひとつでいい関係性になれるヒント
https://note.com/amiotaka/n/na0e9960a7be1
私の受けてる公開コンサル
https://note.com/amiotaka/n/n7d3c815cafee
サポートしてもらえたら嬉しいです。なにに使おうかな。ジェネリックそうめんじゃなくて、揖保乃糸を買えます。