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自分の人生とビジネスをつくるために

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#挑戦

成果が出る発信の書き方

頭から離れない発信。 閉じた瞬間、忘れる発信。 他の記事も読みたくなる発信。 最初の数文字で「戻る」を押す発信。 何が違うのでしょうか。 私たちの発信は、どちらでしょうか。 私はコーチとして、発信から100%集客をしています。 それは、発信を読んでいただけないことには何も始まらない、という戦い方だということです。 リアルでの繋がりから売れるようなら少しは苦労も違ったであろう起業初期(約5年前)から、私はたった一人、画面に向かって、画面の向こうにいる”あなた”に向けて、

夢への挑戦が怖くなくなる日は来ないけど

5年前の今日。2018年の9月5日。 私は不安でいっぱいのなか、初めてつけるスリング(ハンモックのような布をたすき掛けして、赤ちゃんを入れるタイプの抱っこ紐)に悪戦苦闘していました。 今、辛い人。怖い人。もがきながら挑戦してる人。 行動した分だけ見える景色は、後から今を振り返った時に、とんでもなく美しい思い出になっているかもしれません。 だから、夢を叶えるために動いてほしいんです。夢を叶えてほしいわけではありません。夢はいつだって修正していいもので、叶えなければいけないわ

理想を遠くに置くと、人生は変わる。

「自由に理想を描いていいんですよ」 そう言われて、本当の本当に自由な夢や理想を描ける人って、どのくらいいるのだろうか。 制限のある暮らしをしている中で、制限のない夢を描くのは、慣れていないと難しい。私は最近まで、こういう問いが本当はずっと苦手だった。 とはいえ、私もコーチなので、「夢を自由に描く」「理想を現状の外に置く」ことの、効果や素晴らしさも知っている。 とんでもねぇ夢を描いてくれよな!!とは、常々思っているのだ。 なぜ、私たちは、うまく夢や理想を描くことができ

「自信がない私」と、「私はこんなもんじゃない」が同居してる人はいるかしら

自信がないのも本当だし、「私はこんなもんじゃない!」も本当。 一見両極端に見える要素が、自分の中に同居することがある。 こんな時、できれば、「私はこんなもんじゃない」という声を丁寧に聴いてあげてほしい。 できる!には根拠がなく、できない!には根拠があることが多いからだ。 「〜だからダメなんだ」「〜の時もそうだった」。どんなに優秀な人も、間違いや失敗がゼロではないなかで、上手くいかなかったことはいくらでも挑戦を阻む根拠になり得る。 一方で、赤ちゃんが寝返りをするような

「自分にしかできない仕事」を探しているなら

自分にしかできないことが、どこかにあるはずだ。 そう思って、学生時代〜独立するまで、本来だったら取れた手段を「これじゃないかも」と何度も見送ってきた。 普通に埋もれるのも嫌だったし、かといって、特別な挑戦をする勇気もなかった。 自分にしかできないことなど、果たして本当にあるのだろうか。 今の私の答えとしては、「私だけにしかできないことはない」と思っている。 そりゃあ、本音を言えば、私だけにできる仕事があったらいい。したい。とってもやりたい。 けれど、実際にはコーチ

辛くないですか、寂しくないですか。

辛くないですか。 寂しくないですか。 なにかに挑戦しているとき、得体の知れないなにかと戦っているとき、私たちはとても孤独になったりします。 せっかく学んだこと。 頑張って身につけたこと。 真面目に取り組んできたこと。 結果が出ないと、自分がいけないような、大きな試験に落第したような、果てしないやるせなさに飲み込まれそうになりませんか。 なんで売れないんだろう。 なんで届かないんだろう。 なんでわかってもらえないんだろう。 なんで動けないんだろう。 なんで言い訳しちゃう

自分の人生の時間を、最短で成功するために使う

結局のところ、どんな生き方をしても、命を削る。 8月、9月は大切な存在を立て続けに失った。 こういうことがあると、否が応でも、自分の生き方を見直すことになる。 一番に思ったのは、独立して、自分のコントロールできる暮らし方を選んでいて、よかったということだ。 祖父を亡くした時も、愛犬めいぷるを亡くした時も、どちらもすぐ実家に駆けつけることができた。 会社員だったら、そうはいかなかったかもしれない。見送ることもそうだし、同じように悲しんでいる家族のそばで、一緒に過ごすこと

成功をつかみ取れる挑戦には、共通点がある

自分の人生を変える選択は、いつするべきなのか。 答えは「そう考えたら」である。今なのだ。その理由を解説していく。 できる投資、できない投資 コーチをつける、コンサルをつける、起業する、クライアントを募集する。 そういう選択をするときに、私たちは、しばしば「今じゃないかもな」と先送りにする。 スクールや書籍での知識の仕入れには、案外ハードルは低く飛び込めるのに。 私もそうだった。 妊娠中、スクールにはあれよあれよという間に申し込みが完了した。 同じタイミングで車の教習

諦めてばかりだったから、成功する仕事。

言い訳をしてきた人だから、活躍できる。 相談者さんが、「わたしはこれまで、言い訳をしていろんなことを諦めてきたんです」と語ってくれた。 時間がない、歳が合っていない、お金がない、今じゃない。 わたしもかつては言い訳のプロだった。 言い訳って、本当に便利で、いくらでも作れてしまう。 就職するまで、9割諦めてきたのではないか?と感じるほど。 学生時代のわたしの世界は、やらないことばかりで溢れていた。 やりたいことが、自分の位置よりずっと遠く離れて見える。 手を伸ばしても届

「こんなこと書いたら、どう思われるか」が不安なとき

「それは、私のお客さんだろうか?」 この質問は、行動を見直させてくれる。 こんなこと書いてどう思われる? 偉そうかな、頼りなさそうかな、もう書いてる人がいることかな。 発信するということは頭の中を見せることだから、ついつい弱気になってしまう。 もう今はほとんどそんなこと考えなくなったけれど、発信を始めたばかりの頃は弱気になってばかりだった。 私の場合、弱気になる時は、同業者に目線が向いていた。 あのすごいコーチにどう思われるだろうか? 「違うんだけどなぁ」と思われな

自分の経験はすごくないと感じたら

「私の経験なんて、大したことがない」 程度の差はあれど、誰しもが感じたことがあるのではないだろうか。 特に、発信をしようと思うと、この不安はやってきがちだ。 あの人も、その人も、すごい。私にないものを持っている。私の知らないことを知っている。 飛び込んだ世界にそびえ立つ巨塔。見上げる自分。 私が語る意味なんてあるのだろうか、と、私だって自分の仕事をつくりたい、の間で揺れる気持ち。 そもそも私たちはなぜ、周りの人のすごいところに敏感で、自分自身の「すごさ」に自信がも

やったことすべて、いい結果だったらいいのに

はじめては、上手くいかないことばかり。 相談者さんから、「○○をしたいのですが、上手くいくか……」と不安を打ち明けられることがある。 上手くいきたい。そりゃそうだ。やったこと全ての結果が素晴らしいものならいい。予想外のことなど起きずに、穏やかにシナリオ通りの進行を見守れたらいい。 けれど、現実は、「こんなところに罠が……」の連続だ。はじめては、はじめてなりに、想定を超えた出来事が起きる。 今日は、マンションの一周年記念イベントだった。駐車場にキッチンカーが来て、中庭で

挑戦者はいつだって、逆境の中にいる

「どうやって、お子さんを育てながら記事を書いて、仕事もしてるんですか?」 よくいただく質問だ。 「授乳しながら記事を書いてます」 「子供たちが寝静まったあと、深夜に仕事しています」 「おんぶで寝かせつつ、部屋を歩き回ってセッションしてます」 嘘をつく必要もないし、ありのまま、どうしているのか答える。 乳丸出しで記事を書いているのも、夜中に髪ボサボサ+すっぴんで仕事をしているのも、部屋の中なのに息切れしそうなほど子供をおぶって歩き回るのも、スマートさとは無縁だ。 スト

発信で大切なのは、「結論」じゃない。

読者は、答えを知っている。 情報発信をしようと思った時、ノウハウを伝える記事では特に、誰も気がついていないこと、自分が見つけ出したことを書かなければ……と思いがちだ。 発信者側からすればそれは当然で、パクリになりたくないし、オリジナルの知識がある人は魅力的な気がするし。 けれど、ほとんどのやり方、考え方は、もうこの世の中に存在している。 私は事務員時代、Excelで「こんなことができればいいのに!」と思うことがあったら、必ずすぐに検索していた。こんなことができたらいい