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生きていても他者の中で私(の好きな私)が死んでいくことの怖さ-夢をめぐる思考-

「常に見つめていないと、方向を見失ってしまう、あそこに行きたいっていう星のようなもの」
それが夢らしい。

最近再び住み始めた実家の居間で、父が観ているテレビからサッポロ黒ラベルのCMでハッピーエンドの松本隆さんの金言が耳に入った。
な、なるほど………!と心の中で感嘆する。

私は現在、大学4年生で卒業研究のための実験をしている。卒業研究は高校生の頃からやりたかった応用微生物学(微生物生態工学)の研究室に所属し、充実した研究室ライフを送っている。
生命としての大大大先輩、古細菌たちと対話することができる貴重な経験だ。それに、生態系における微生物同士の複雑な絡み合いをマクロ視点で捉えつつ、ミクロ視点で生成物の特性や生命機能に着目し、彼らの潜在的な可能性を引き出してあげることは、やっぱり最も私がワクワクすること。今後の人生もずっと私のまなざしは、彼らに影響を受け広がり深化するのだと思うと、とても喜ばしい。

でも、微生物に向き合う半年間のうちに、私の憧れであり尊敬する同志や友人たちは、本気で頑張りたいことを頑張って夢に近づいている。私からもっと遠い存在になってしまうんじゃないか。きっと、好きな人達と自分の距離が遠くなってしまうことが、私は怖い。

なぜそう思うんだろう。もしかしたら、距離が遠くなることで他者の中に私がいなくなってしまうことが怖いのかもしれない。もし他者の中に存在しているとしても、更新され続けない私が存在することが怖いのだと思う。

これは約2年前に亡くなった母と向き合う中で知った、私が母に感じる他者の死の感覚そのものだ。
母は私の想像の世界の中にずっと存在し続けているけれど、私は変化が起きても母は生前までで母の印象は止まっている。近況を報告するのは互いでなく、私だけだ。死の本質は、意識できるかどうかでなく、変化の連続の中にいないことなんだと悟った。

私は生きている。だが、上記で私が定義したような、親しい人と互いに変化する自分を共有することができなくなってしまうという「死」 を避けることは今の状況だと難しい。
慣れない実験作業や研究室の運営のために卒業研究に関係ないこともやっていると、一瞬で夜になる。それでももうひと踏ん張りしようと、大学から車で約30分かけて実家に帰ったあと、夢の方向に近づくためにPCに向かうが、思ったより時間と思考力と集中力が残されていない。


夢のようなものの濃度は、私を構成する細胞から徐々に薄まっていく気がする。細胞は代謝されていくから月日の流れとともに、自然と今目の前にあるものごとで細胞空間を埋め尽くし、私の小宇宙は知らぬ間に消えていくだろう。そうやって、どうしても守りたいものが、私が好きな私が、よくわからないまま失われていく。怖い。
でもこれはどうしようもなくて、誰も悪くない。
私の頬を伝った涙が、手の甲に落ちたー。

さらに皮肉なことに、これは卒業までの期間ではない。社会人になったあともきっと、これはずっと続くんだと思う。私は人生で成し遂げたいことのために、ビジネスの現場で成長したいという思いから、来春から東京に拠点をおくベンチャー企業への内定が決まっている。今の自分の視座では想像できないが、私が成し遂げたいことの実現のために必要な力をここでならきっと磨くことができる、そんな期待を込めて選んだ道だ。何より私を選んでいただいたことに感謝しかない。

そうやって言葉で、その道を選んだ説明をうまくできたとしても、目の前のことが、本当に私の夢に近づくことなのか、結局よく分からない。

地方にそのままいたいな、新卒地域おこし協力隊になって自由に課題解決に取り組みたい。その方が夢を叶える道に立っている気がする。もっと等身大な気がする。それに、学歴不問でも働ける会社はあるわけで、大学辞めて何か問題があるのはいっときでしょう?大学辞めてもよくない?と、復学して研究が充実してる今でさえも、そんな考えが一瞬頭によぎってしまう。

それでも、この選択はきっと未来の私のためになる。'今の私'でなく、'未来の私'にとっての正解だと信じて選んだ。

正解は正解のまま、片手間でもいい、優先順位がよく分からなくなる時があるくらいでいい。夢が自分のもとから逃げていってしまう前に、夢という名の山を「ちゃんと登れてる気がする」 という小さな実感を、自分の足を動かして少しずつ積み重ねたい。

夢とは、常に見つめていないと方向を見失ってしまう、あそこに行きたいっていう星のようなものー。

登れてる実感がないと、その夢を'見つめていること'さえ難しくなる。夢が夢でなくなってしまうということ。私が好きな私が、どこにいるのか、存在しているのかも分からなくなってしまうかもしれないから。。

……

上記の夢をめぐる思考は、20代に何をしているかではなく、どんな感情をもってその時の「今」を生きているかを少しだけ具体的に想像させてくれた。私の20代はきっと、「私が好きな私」という分人を守るために、他者の中で死んでいない私であるために、夢の方角から目を逸らさせてきそうな何かに'抵抗'することに1番のエネルギーをかけて20代を生きていくのだろう。そんな気がしている。

友人と親密に仲良くしたり、パートナーがいたりすれば、抵抗がうまくできない時期の、怖さが少し和らぐかもしれない。でも、よくわからない何かに抵抗するための力を生み出し、私が好きな私であるために頑張ることができるのは、結局自分しかいない。

誰かの意識に介入したいくせに、自分の夢のために自分ひとりでいる時間をたっぷりとろうする私は孤独な人間で、矛盾があるけれど、、

孤独の時間も、夢の方角に突き進む「私の好きな私の分人」が、他者の中に死なずに生き続けることに繋がるから。今日も私があなたの中で生きるために。私はひとり、呼吸する。

2023年10月11日


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