死ぬまでにしたいこと④

『今を生きる』という映画を観た。

確か原作を読んでるはずなのに、内容が全く思い出せない。
もっと言うと高校生の頃に、この原作の劇を演じたことがある。
なのに、ほとんど内容が出てこない。

そして衝撃が走った。
テリーという少年がピストル自殺するのだが、その展開は全く予想していなかったので、「えええええ!テリー、死ぬの!?早すぎるって!」とテレビ画面に突っ込んでしまったと同時に、二十数年前の劇で、私は手をピストルに見立て、自分のこめかみにつけ、死ぬシーンを演じていたことを思い出したのだ。
目をつむり、ゆっくりと引き金を引き、崩れ落ちた。
その演技に同級生や先生が「うまい・・!!」と絶賛してくれたことも急に思い出した。

え!私、テリーを演じてたんや!しかも死ぬ演技でうまいって褒められるってどういうことやねん、と改めて思った。
それと同時に、こんな簡単に登場人物を死なせるなよ、と作者に怒りも込み上げてきた。これ、何の怒り?テリーは死ぬことなかったんや、絶対に誰かがテリーを救えたはずだと思った。
俳優こそが自分の最もやりたいことだったとキラキラした目で希望を見出し、父親によって打ち砕かれたような気分になったけれど、
なんで死ぬねん。

テリーを演じた時の感情を思い返す。当時テリーと同じくらいの思春期の年代だ。言葉にできない思いが胸の中を嵐のように交差していたのだ。絶望という言葉が一番しっくりくるのではないか。ある程度の年代になってくると、子供の言い分を「そんなことで」と軽くあしらいがちだ。
テリーにとって「今」やりたいことが、俳優だった。だが父親に反抗してまではできない。気持ちが子供と大人を行ったり来たりする年齢は、揺らぎしかない。
「今」の私はテリーが自殺したことに関してなんでやねん、ちょっと辛抱してたら道が開けるかもしれんのに、と思ってしまうが、10代の私は多分そんな風に考えられないと思う。
でも正直なところ、現実で死んでいく人たくさんおるんやから、小説の中だけは殺さんといて、と思ってしまう。
テリーがなんとか生きることを選択する筋書きを書けないものか、と思う。
私はこの10代の少年が自死を思いとどまり、苦しくとも前を向いて生きていける続きの話を書きたい。









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