君、不精だね


高校時代、どの教科もぱっとしない成績だったが、唯一良かったのが国語と美術だった。

美術は選択科目で、受ける人数も少なく、「絵を描くのが好き」な人の溜まり場でもあった。先生はしりあがり寿にそっくりな風貌で、やる気があるのかないのかわからないようなため息混じりでいつも美術室に静かに現れ、先生が持参していたアクリル絵の具を使いたいと申し出ると、

「いいけどお、でもこれ私物なんだよねえ、結構高いんだよう」としぶしぶ貸すあたりが、「なんかケチくさい人」とだと印象付けた。


生徒の作品にも「いいね」などと褒めたりもしないし、具体的なアドバイスも皆無で、ただその授業を淡々とこなしてる風にも見えたが、時々近くに来てぼそぼそっと指摘してくることがあった。

ポスター作品でタバコを吸ってる女性の絵を描いて、下の方にアルファベットで字を書いていた時のことである。


「君、不精だね。雑に書かないで、レタリングを使って丁寧に書いた方がいいよ」

わたしはわざと雑なかんじで書いた方が格好いいんじゃないかと思い、

「嫌です」と、不愛想な野良猫のような目つきで先生のアドバイスを拒否した。

わたしの鋭い眼光に一瞬怯んだ先生は「ええええ、でもねえ、レタリングできれいにねえ、書いた方がいいよう」と困った顔をしている。

それでも「嫌です」と言い通すと、仕様がないというように、静かに先生は離れていった。

嫌ですといったものの、しばらく作品を眺めていると、先生の言う通りにした方がいい気になってきて、レタリングで文字を書きはじめた。するとどうだろう。ポスターらしく美しい仕上がりになり、出来がまったく違って見えた。

「ほんまや、先生の言った通りや!」目を輝かせて顔を上げると、先生は「早く授業終わって一服したいなあ」と言いたげなつまらなそうな表情で窓の外をぼんやり眺めていた。


それ以降、文化祭で使用する2メートル近くある大きな看板描きを頼まれた時にも、「丁寧に、丁寧に」と作品を仕上げることに徹し、一人で完成させた時の喜びは凄まじかった。

油絵製作に入ると、気に入らないと何度も塗り直したり、一ヶ月半ほどかけて『アフリカ大家族の肖像画』という大作を仕上げた。

その間先生はたまに絵を見に近くまで来るものの、多くは語らず、やはり、自分の席に戻って退屈そうにぼんやり窓の外を眺めるのだった。

「いいね」とも「あんまりだね」とも、全く感想を言わない先生なので、「本当に作品ちゃんと見てるんだろうか?」と一瞬不安が過ぎったものの、その学期の美術の成績表には、『5』が付けられていた。


美術の授業中、ややアウトローぎみな空気感を漂わせていた先生だったが、そこが生徒に緊張感を与えず、自由に伸び伸びと表現させてくれたことも大きかったし、何よりも「君、不精だね」という名言をわたしにくれたのである。







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