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ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-5-

無人島の岸壁に探検しにきたあたしは潮の満ち引きの考えが全くなかった。
無謀にも潮が引いた島の周縁を探検してきたが、潮は満ち、帰り道は海の底に沈みつつあった。これ以上進むと危ないだろう。

しかし元にいたビーチに帰ろうと決意するよりも、もう少し往生際悪く先に進んでみたいという気持ちがあった。
砂浜の先の海は今まで歩いてきた道より深く、肩まで水があった。
どうせここまで来たなら島の反対側まで踏破してみたいと思ったのだが、ドイツの邸宅が建っているという島の先端は幾分か近くはなっていたがまだまだ遠そうだった。
それに今で肩まで水があるからもっと深くなるかもしれない。
ここらが引き際だと思った。

そこからはもう歩くよりも泳いで戻った方が良かった。
時々ものすごく深くつま先でないと足がつかないところがあったから歩くより泳いだ方が早く進んだ。
砂浜に着くまでにものすごく苦労した剣山のような鋭い貝の海底も少し岸壁から離れたところを泳いで戻れば踏まずに済むのではないかと思って少し離れた所を泳いでみた。
しかし生憎そこの部分だけはある程度離れても浅く、結局悪夢のような貝の痛みに耐えながらそっと歩くことになった。
水域が少し増していたのでなおさらバランスが取りにくく、何度か滑って海底に手をついた際に貝で小さな切り傷を作った。

戻るときにも壁の蟹はシャラシャラと鈴のような音を立てて逃げて行ったが、時々壁から落ちてぽちゃんと海に落ちる。
壁に一匹逃げない蟹がいた。親指ほどの小さな蟹だった。近づいてそっとつついてみたが動かない。つついた振動でカサリと乾いた音をたてその体が崩れた。紅色と白の小さな体は木の葉のように柔らかい落下で海に落ち、ぷかぷかと浮いていた。
捕食者に食べられるわけでもなく、壁にとどまったまま絶命した小さな蟹、彼はどうしてそうやって死んだんだろうと考えたが、答えもわからず、何かとても切ない気持になった。
戻っている最中青々とした蟹が逃げるときにそうして壁にとどまって絶命した紅色の蟹の体を海に蹴落としていった。

 だんだん水域が上がっていき、行きはただ歩いてきただけだったのがまるで水中ウォーキングのようになった。
なかなか思うように進まずもどかしかった。
そのとき、すこし離れた沖のほうでぽちゃんと何かが水面を騒がせた音がした。
沖の方なので岸壁の蟹が落ちた音でもない。なんだろう。魚かしらと思った。
振り向いた瞬間に藍色のなにかが見えたような気がした。
気にせず先を急いでいたが、歩いている途中で、ふと、とても嫌なことを思い出してしまった。
最初に進んだトレッキングの目的地の一つに「シャーク・ラグーン」と呼ばれる場所があった。
結局迷ったためにそこのシャーク・ラグーンはお目にかかることができなかったがあたしの記憶では確か海沿いに位置していた。
もしかしてここはそのシャーク・ラグーンの近くなのではないか。
時たま「シャーク」という鮫のイメージの獰猛な強さ、ワイルドなイメージを利用して海辺の町の地名やホテルやレジャーランドのプール、店などがシャークの名前を冠することがある。
しかし、ここタンザニアではそんな気の利いたことはあまりしないことを生活感で何となくわかっていた。
きっと鮫がよく出る場所なのだ。
ラグーンがサメの形に似ているとかでつけられた名前ならいいのになぁ・・・と思いながら、いつ青々とした肌の鮫が自分にかぶりついてくるかもしれない危険があったので水音に耳を研ぎ澄ませ、周りを見渡して警戒していた。

 大体の国ではあまり人がいるようなところにサメはいないと思う。少なくとも日本の海水浴場では鮫の心配をして泳ぐことはなかった。
しかしダルエスサラームのビーチの沖では小舟でもいける範囲にサメが生息しているらしい。
キガンボーニという場所に、ダルエスサラームでも一番大きい魚市場がある。
地方の海沿いの街では船の周りで漁師が個々でセリをはじめるところを見たことがあるが、この市場は日本の援助で作られたらしく、そのせいか魚を買いに行くとコンニチハ!イカ!エビ!マグロ!などと知っている日本の魚の名前を挙げて売り込んでくる仲介人に声をかけられる。
刺身好きなダルエスサラーム在住の日本人もよく買いに来ているのだろう。
そこの市場に行くと必ずサメが台の上に並んでいるのを見る。
市場についている漁船を見るとエンジンをつけたそれほど大きくない小舟が停まっているのを見る。
あの小さな船ではそれほど遠くの海に出れることはないだろう。
それほど遠くない沖でサメがとれることを示していた。
また数年前にダルエスサラームで休日にウィンドサーフィンをしていた青年海外協力隊の隊員が鮫に臀部と指を食いちぎられ、南アフリカに緊急搬送されたという話も聞く。
よくテレビで実はサメは人が好物でないので食べない、人を食べた時はほかの魚と間違い誤って食べるのだという話も聞くが、誤ってかじられて申し訳なさそうに帰っていくとしても鋭い歯で傷つけられて痛い思いをするのはごめんだった。

サメが現れるかもしれないという可能性にあたしは焦り歩を早めた。
しかしサメが現れたとしてもそれほど深くない水域は泳ぎにくいはずで、岸壁沿いに歩いていさえすれば近寄って来ないのではないかと思った。
岸壁に手がつくうちは大丈夫と自分に言い聞かせ、それでも周りに注意を配りながら水をかきわけて進んで行った。
しかし思ったよりも潮が満ちるのが早く、水域は腰のあたりまで来ていた。
これぐらいの深さがあったらもしかしてサメもここまで来れるかもしれない。
自分の腕や足がサメに食いちぎられて、透明な海の中に自分の血が食紅を水に落とすようにあたりを染めていく場面を想像して、背中に寒気が走りもがくように早足で進んだ。
しかし満ち潮の進む速さは驚異的だった。
わずか10分ばかりの間に見てわかるほど打ち寄せる波の高さが増して行き胸のあたりまで水が来ていた。
もはや歩くよりも泳いだ方が良いほど歩くのに水の抵抗がかかり、数時間前にこの海底に水がなく裸足ですたすた歩いてきたことが考えられなかった。

冒険には、危険がつきものなんだということをあたしは改めて思い返していた。

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