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ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-2-

サンゴの石を使った土台の船着き場の周りはどこまでも続く干潟だった。

緑の水草の上に木を一本くりぬいて作ったような朽ちた小舟が2、3艘横たわっており、それは今はもう使われてないようだった。

海沿いには白い石灰が塗られた綺麗な建物が並び、スペインやチリの海沿いの街を思わせた。
きっとこの海沿いの豪奢なお城のような建物はすべて外国人によって建てられ、外国人のものなのだろう。

港にはたくさんのヨットやクルーザーや帆船が浮かんでおり船の上には優雅にマリンスポーツを楽しむ白人がいた。

ショッピングセンターの中にあるスーパーマーケットでビールと水とポテトチップスの子袋を二袋買い、ほかにもお土産屋さんを見たい衝動に駆られたが見ている間に船が出発してしまうかもしれないので帰りの時の楽しみにしてボンゴヨ島まで行く船を待っていた。

あたしはチケットを買う時に思ったよりも値段がかかって少し不機嫌だった。
事前に2つのガイドブックで調べたとき船賃は、一方のガイドブックには10ドルで帰りの船賃と島の使用料とランチ代込みの値段と書いていて、もう一方には18000TSH と書いてあった。
10ドルでランチ込みの方がいいなあと思いつつもまぁ高い方で考えとけばそんなにムカつかないのでそのつもりでいた。
しかし予想に反して値段はそのどちらでもなく7000TSHも多くてそんなバカな私は値段を知っているよ!!と抗議したが、25000TSHだ、去年の6月に値上がりしたんだ、とけんもほろろに言われ、少しでも安くなる望みをかけて私はダルエスサラームで勉強している学生で在留資格(レジデントパーミット)も持っているよ!と言ってみた。
在留資格を持っていることで現地の人と同じ料金で施設を利用できることがある。
しかしまた頑なにイーブンだ、と言い張られた。
結局25000TSH払うこととなり予定外の出費を強いられることとなった。
 この国はサファリをするにしても博物館に行くにしてもどこでもかしこでも外国人用の値段とタンザニア人用の値段に別れている。
外国人用の値段は2倍3倍、ときには10倍以上になることもざらでばかばかしくなるほど上乗せされている。
長期滞在の場合はイミグレーションオフィスで在留資格があることをパスポートに記入してもらえるのだがパスポートを持ち合わせていなければ証明する手立てはなく結局肌の色や見た目で判断される。
すなわち黒人か、それ以外の人々、ということだ。
黒人が経済的に弱い立場になければ逆差別ともいえるようなひどい話だがそれが成り立っている。
払える人からは取ろうという意図で、タンザニアの貧しさを考えると無理もない話ではあるが、タンザニアに住みついている貧乏学生にも関わらず結局多く取られる側に回されるのはあまり気持ちのいいことではない。
黒人と結婚してタンザニア国籍を得た白人や昔からいるアラブ系タンザニア人の場合はどうするんだ!と憤りながらも結局25000TSH はらってチケットを買った。もちろんランチなんてついていなかった。

 船着き場に行くと一艘の小舟に乗り込んでいる人たちがいた。
塗装の禿げた木の小舟で、まさかあの小さな船で40分かけて島まで行くんじゃないだろうな、と心の中で悲鳴を上げていると沖のほうに白い船が一艘あった。
どうやらあの大きな船が引き潮のせいで近寄れないために小舟からあの船に乗り換えて行くようだ。
海の中にある石の道を通り小舟に向う。周りにはたくさんの水草が生えており、たくさんの体の透き通った稚魚が忙しそうに泳いでいた。
白人の子供が見てて!捕まえるから!と母親に話しかけ手をそっと水の中に伸ばすが稚魚たちはとたんに水草の中に隠れてしまい子供はOH...と残念そうな声を上げた。
最初はくるぶしほどだった水かさは船に近づくほど上がってきて、膝ぐらいまでになるともう海の中にあった石の道はなくなって足場がとても悪くなっていた。
短パンの下にスパッツをはいていたので腿のあたりまでそれをたくしあげたが船にあと2mというところまで来ると足の付け根まで水の高さがあり結局服を濡らす羽目になった。
時々海の中の泥に足を取られたり突然現れたぬめりけのある岩に滑りそうになったりして、リュックの中には携帯電話とデジタルカメラと電子辞書が入っていたのでひやひやしながら頭の上に抱えて進んでいった。
水の高さが腰のところまで来てもうさぁ少しで船に乗れるぞ、とほっとしたところで小舟は満員になってしまい、「Basi!Subiri ingine!!(終わりだ!次を待て!)」と言われてしまった。
えええぇぇぇぇとショックを受けていると黒人のママがそれでも自分だけどうにか乗ろうと大きいお化けカボチャのようなお尻を船に乗っけようと頑張っていたが10数人のっていた小舟がひっくり返るんじゃないかというくらいぐらぐら不安定に揺れ、乗組員が必死に「Acha! Acha! Subiri!(やめろ!やめろ!まて!)」と言い聞かせていた。
ママはあきらめ、水の中にポツンと残された私たち。
そうしていると今度はきれいな近代的な白い小舟が近づいてきた。
水の中で服をびしょ濡れにしながら待つ私たちを通り過ぎてひざ下ぐらいの水域の位置で待つ白人を乗せてさっきの小舟が向かった船まで向かっていった。
なにあれ!!あそこまで船来れるんじゃん!!しかも白人だけ乗せて!なにこの差別!!と思いつつ次の小船が来てぶつぶつ文句を日本語で言いながら残りの黒人たちとともに乗り込んだ。

 大きな船に向かうとき隣に座った黒人の若い女性に「サンスクリーンを貸してくれるかしら、忘れちゃって。」と言われ、あぁはいはいどうぞ何も考えず日焼け止めを貸したが、船に乗り込んで思い返してみると、はて、すでにもう真っ黒なのに日焼け止めとはいかに・・・?とおかしさに気づいた。
黒人女性も日焼けとか気にするんだということがわかりボンゴヨ島に着くまでそれを思い出しては顔がにやけた。
さわやかな潮風を浴びながら、カモメが魚を取りに海に潜るところや海を渡る蝶を見て気持ちいい気分で向かった。
40分より短い時間でボンゴヨ島の沖に着くとまた小舟が砂浜から迎えにきた。
何人かはもう小舟が来るのを待ち切れず服や荷物を友人に預け水着になり船の上からダイブしてビーチまで泳ぐ人もいた。
海の中をのぞくと海底におろした碇の綱がどこまでも伸びているのが見え、今までに見たことがないほどの透明度だった。
あたしも船からダイブしたかったが、あいにくあたしは荷物を預ける人もいなかったのでおとなしく小舟を待ってそれに乗って向かった。

 よくきれいな海をエメラルドグリーンというがボンゴヨ島のそれは限りなく透明で、色すらない様に思えた。
砂は砕けたサンゴや貝殻でできていて真白で波が打ち寄せるたびにそれらがこすれ合ってコロコロという鈴のような音をかすかに立てていた。
無人島とはいえランチを作ったり飲み物を提供する管理小屋があり、その周りにバンダというバナナの葉っぱでできた日除けがいくつか立っていた。
荷物を置いて早速泳いだり探検したかったが一人では荷物を見てくれる人もいないためにまずクロークがあるか聞いた。聞いたところ荷物を預かってくれる雰囲気はなく、バンダの下を使うのはタダかと聞いたら5ドル、と言われたので他の客に荷物を盗まれない保証もないのに借りるのもばかばかしくて荷物を持ったままトレッキングに行くことにした。
ここの島はトレッキングができることでも有名だ。
他の客が肌をあらわに冷たい海で遊んでいるのを後目に、虫に刺されないように全身スパッツとパーカーというくそ暑いい出立ちであたしは森の中に入っていった。


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