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Diary

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#日記

近況的な。

近況的な。

書き足りない日もある。それとか感情が渦巻いて書くことがあるのに文章の流れが悪く書けないこともある。1日は長く、人生も長い。思うことはいくらでも湧いてくる。困ったものだ。

この生活も3週間が経った。新しい生活にすぐ慣れるかと言えばそんなことはなく、正直言ってストレスばかりである。過去に囚われる私自身もそうだし、なるようにならない今の状況に対してもそうだ。私が思い描いていたものはもう何もなく、先には

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近況的な。

近況的な。

このわずか10時間後である。悪い予感は的中するものであり、そして違和感というものはいつだって裏切らない。そしてまた感情をコントロールするために筆を執ったわけだ。

良い時間であったと思う。かけがえのない、大切なもの。そしてその事実は自分だけがわかっていればいい。長い人生のそのたった一部分、でもそれだけ濃密でかけがえのない時間だったからこそだ。後悔はない。ただ感情をコントロールしきれないし、今日は眠

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近況的な。

近況的な。

時折思わぬことが起こる。生活というものはそういうものだというのに、これにだけは未だに振り回される。歳をとっても変わらないところだ。

少々動揺した心を落ち着かせるためにこうやって筆を執ったわけだが、コントロールするのは意外と難しい。いい大人になってもなお、そういうことは苦手だ。だから振り回されるのだ。

何か変わったのであれば別のことで埋めればいい。たったそれだけである。別に埋めなくたってもいいは

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近況的な。

久しぶりにきっちり1時間昼食にあてた。普段ならミーティングに出ながらだったり資料の確認をしながら昼食をとっているが今日はそんな必要もない。今の仕事も一段落、というところか。

本来きっちりと時間を区切って休憩を取るべきだが、ランチミーティングを入れられたりするのだからそうもいかなかった。夜遅くまで通して細切れに取られる休憩、そんなものはしばらく必要はないだろう。

始まったものは必ず終わりを告げる

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近況的な。

頑張っていればきっといいことがある、というのは迷信である。真実ではないのだからしょうがない。

ただ見ている人がいるというのはわりと真実である。その人たちはちゃんとあいつは頑張ってるとか、あいつはすごいやつだとか思うのである。ただ彼らが当人のために身を挺してくれるかというのが前者が真理たらない理由であろう。

何か得るためにはそのために正しい努力をしなければならない。ゴールがあってもそこに向かわな

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近況的な。

美味いパンを買いに行こうと息巻いていたのに目の前にあったポテチが美味すぎて平らげてしまう。それも自分らしいと思いながらも、ポテチで満足してしまった自分に少々悲しくもなる。この後は明日からまた始まる1週間に向けて準備を進めなければならない。久々に行った買い出し、あまり料理をする気にはなれずいつもよりも少なめの食材たちだ。新玉ねぎが美味しそうで買ってきたけれどどうやって食べるのがいいか。はて。

とは

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時折歩きたくなる。決まって時間と体力に余裕があるときだ。そして少しだけ考えごとをしたいとき。

人生の岐路に立たされてるような感覚がある。大きな選択をいくつかしないといけない。歩いていれば考えがまとまるというわけではないけれど、当事者と対峙したときにいらないことを言わないでいいくらいには頭の中を整理することはできる。それくらい普段から色んな感情が渦巻いているわけだ。

もっとシンプルに生きられれば

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シンプルな生活に少しの色味があって。そういうちょっとした余裕みたいなものに憧れる。丁寧な暮らし。窓際の観葉植物だったりベッド横の間接照明だったり。お気に入りの香りに包まれる夜はきっといい夢が見れる。広々としたキッチンにはお気に入りの食器。木のテーブルに暗めのプレート。ふんだんに使った色鮮やかな野菜たちが皿の上で踊る。お金の余裕とか時間の余裕とか色々あるけれどわたしはそういう余裕がいい。

今週はと

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起きて20分後には電車に乗っていた。これだけは昔から変わらない。要は朝が弱い。実家暮らしのときはよく親に叩き起こされていたし、大学時代は朝練の20分前に起きていた(授業の20分前には起きなかった)。社会人になってからも在宅勤務のときは始業10分前に起きる。普段しっかりしているとよく言われるが実態は真逆でだらしない。

ただ起きれなくてどうしようもないわけでもない。ちゃんと早起きして遠征も行ってきた

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日曜日の午後、秋風を浴びながらパンとコーヒーを頬張る。夕食はポトフにすることに決め下拵えを済ませた。決め手は瑞々しいかぶだ。葉までパキッとしていてすぐに手を取ってしまった。しらすも買ってきたので葉の部分はふりかけにしよう。このふりかけは祖母の味で、祖母は大根の葉であったけれど、食卓に並ぶと父と米をがっついた記憶がいまだに鮮明に残る。味はそれなりに再現できていると思えるが、レシピを聞いておけば良かっ

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近況的な。

清々しい朝だ。自宅から見上げた空はまだまだ薄暗く、頬を刺す秋の渇いた空気は冷たい。顔を洗ったあとに保湿をしなかったことを少しばかりか悔やんだ。なぜ筆を執ったかと言えば時間を持て余したからである。朝からこうやって言葉を選ぶ作業はなかなかにタフであるが、それぐらいが私には丁度良いのかもしれない。最近は頭が働きすぎる。

小山田壮平が好きだといったキミの顔も名前も覚えていないのだけれど、小山田壮平が好き

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近況的な。

昨日はどうも後ろ向きなことを書いたのだけれど、状況的には案外悲観することもないのでそれも記しておきたいと思う。

最近は仕事の調子がいい。調子がいいというか、ちゃんとやってきたことに対して結果がついてきたというだけかもしれないが、とにかく順調といえば順調である。努力は裏切らないとはよく言うが、あいつは実のところよく裏切る。正しい努力は裏切らないと言えば間違いないだろうか。ここで言う"正しい"という

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近況的な。

生活環境が変わって1年ほどが過ぎた。仕事は変わらずだが、住む場所を変え生活リズムも大きく変わった。世の中の流れもあったとはいえこれまでなかった飲み会は週に3回はザラ、ほとんど眠らずに仕事に行くことも増えた。よく身体がもつなというのは自分自身思うことではあるが、実のところもってないよなというのも自分自身思うところなのである。

物事が続かなくなったというのは1つ大きな変化だ。前の生活ではしょうもない

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近況的な。

雪積もる小高い丘の上で子どもたちの声を聞きながらギターでも弾いて。サンドイッチでもつまむそんな日々がよかったといえば嘘になるかもしれない。案外今の生活が良くてこれからもそれでいいのかなだなんて思い始めている。

変化を求めないのは人間の性なのかもしれない。日々何かに追われストレスを何かにぶつける生活ではあるけれど、たまには嬉しいこともあるし、たまには楽しいこともある。それで満足と言われれば満足なの

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