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毒親から逃げられない話

私は死にたい。
日によって、時間帯によって程度は変わるが、私は常にこの感情と共にいる。
厭世観にとらわれながらも生きていくなんて滑稽だ。まさに人生は喜劇。
(厭世観と私の感情の意味は若干違うが、死にたいという言葉ばかり並べるのは美しくないから以後代用する)

先日、また一人有名人が命を絶った。
自殺者というのは勇気ある人間だと思う。
どんな手段を選んだとしても、失敗率の方が圧倒的に高いらしい。
痛いのも苦しいのも失敗するのも嫌な私は、厭世観があっても死ぬことができない。

だから私は消極的な厭世観を持っている。
地震が来るとTwitterを開きながら心の中で「こい!揺れろ!」と叫んでいるし、巨大台風が発生するとわくわくする。
富士山に期待を寄せてしまうし、もし呪いのビデオが実在したら喜んで観るだろう。
今年に入ってからは疫病という希望の星も登場した。
でも新聞に載るのは私の名前ではなく生きたかった人たちばかりだ。


前置きが長くなったが、このnoteでは両親による抑圧とそれに伴って生じた友人関係の歪み等を書いていきたい。
少しでも自分の中の記憶と感情を整理したいからだ。
(万が一念願叶ってあの世に行けた時には、記録にもなるだろう)

もしかしたら私の親は他の親に比べるとましなのかもしれない。暴力はないし、暴言もない。お金に困っている訳でも、性的な暴力を受けたこともない。むしろ裕福な恵まれた家庭なのかもしれない。でも、自分の思い通りにならないとすぐに怒鳴り散らし、娘を理解しようとしない親は毒親と言っていいでしょう。

それでは私の自己紹介。
一人娘として箱に入れられ育てられた私は二十代半ばで実家暮らし。
小学校は公立、中高は私立の一貫校、女子校で、大学も女子大であった。
パンセクシュアルもしくはバイセクシュアルのどっちかだと思うが、まだ決められない。
(性的指向についても、スピンオフ的に書きたいと思っている)
好きな作家は太宰治と長野まゆみ。大河ドラマ、2.5次元周辺、女児アニメ、洋画のオタクである。

次に私の両親を紹介する。
母は気の強い女性であり、少しのことですぐ怒鳴る。まるで女王様。
常に自分が正しいと考え、自分の知らないもの・興味のないものは下等な文化として卑下する。まるで独裁政権。
まあ、早い話、私のこの厭世観はこの人によって作られた。
フルタイムで働いている上に父よりも給料が高く、我が家の大黒柱だ。
今後私が書くことを読む方は、母に対して心象が悪くなるかもしれないので先にフォローしておく。
母の父親、つまり私にとっての祖父は昭和の人間であり、母とぶつかることが多かったらしい。
その祖父も、祖父の父親が戦争で腕をなくしたため、父親に変わって兄弟8人が食べていくために稼いでいたというから、そんな人間になってしまうのも仕方のないことなのだ。
みんな親の犠牲者なのだ。

父はこの家に婿としてやってきた。
母の尻に敷かれているのは言うまでもない。
すぐ怒鳴られてヘラヘラしているのを見て、なぜ母を選んだのか聞いてみたいと私はずっと思っている。
理不尽に責められるのが好きなドMなのだろうか。

そして二人とも教師である。(超重要)

ここでは便宜上母と父と表記するが、私は彼らを「お母さん」「お父さん」もしくは「ママ」「パパ」と呼んだことがない。
私にも由来がわからないあだ名をつけ、その名前ででしか呼べない。
詳細は後日書くが、彼らを親だととても思えなかった時期もあるので、物心つく前からそう感じていたのかもしれない。

これらを念頭に読んでいってもらいたい。

現段階で考えている章立ては以下の通りだ。
第1章 幼稚園編
第2章 小学校編
第3章 中学高校編
番外編 私の性的指向について
第4章 大学編
第5章 現在
それぞれの章は一回の更新で済むとは思っていない。
特に第3章なんて、どうなることやら。
長い長い演目だが、気長に眺めていただきたい。

最後に。
私は両親について色々思うところがあって書いている。
しかしお読みになるみなさんはどうか私の両親の批判はしないでいただきたい。
事実のみ書くつもりだが、バイアスがかかっているかもしれないし、このnoteでしたいことはあくまで気持ちと記憶の整理であって、親の告発ではないのだから。

(追記)
幼稚園編はこちら↓


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